冷え切って澱んだ街角
前を向く つもりが双六 振り出しへ
どうも(・ω・)ノ
処方薬の副作用か、電気毛布の魔力か
昼間に爆睡しておりました。
このところ動ける日は極力表に出て、日光浴するように努めておりますが
今日は朝から動けなくって、どうしようもないわけでして。
‥‥だから、ナマポ受けてるわけなんですけどね。
今日はこのままNote更新せずに終わろうかと思っておりましたが、
どうしても書かねばならないことが起きてしまいましたので
あえてPCに向かっている次第です。
白昼堂々と、首吊り自殺
今日はやたらと「自殺」というキーワードがSNSやネット上で飛び交った一日でした。
三宅雪子元衆院議員が遺体で発見され、入水自殺と思われるという一報が飛び交った時点で、物騒な仕事始めの朝だなと思ってたわけなんですが
なんと先ほどTwitter見てみると、トレンドに
「首吊り自殺」
という文字。
しかも‥‥
堂々と白昼の駅前の連絡橋で首吊り自殺してる写真を晒してやんの
しかも捨て垢で
ご存じない方のために一応説明しておきますと
「捨て垢」というのは「使い捨て前提のアカウント」という意味でして
Twitterでいうなら@マークから下の部分が
ランダムなアルファベットの羅列か、末尾がやたら大きな数字だったりするアカウントです。
SNSだとやりたい放題にやりすぎると、アカウントが凍結やBANされてしまうので、あえてそうされてもいいような使い捨てアカウントを前もって複数用意して、そっちで好き勝手発信し
自分の日常で必要なアカウントでは決してそういう発信はしないと
そういうわけですね。
‥‥自分も憂国wikiという自称愛国者の集団のパヨクリストにツイッターアカウントぶち込まれてから、凍結対策にサブ垢こさえておりますのでね、
それそのもの自体は決して悪ということはないんですよ、はい。
他人の骸(むくろ)を嗤いながら晒す社会
問題なのは、その晒したTwitterのコメントの内容でありまして、
「こいつ、4(=死)んでるやん」
「服装が陰キャwww」
「空中浮揚パフォーマンス失敗
君はまだ修行者としてのステージが低い」
・・・・そのコメントを最初に見た率直な感想が
うすら寒い
この一言でした。
なんてこの社会はここまで自己中で冷酷で、澱み切ってしまったのだろう、と。
死刑囚は死刑執行されたら罪を償ったことになるので
それ以降は過去にどんな非道なことをしようが「元」死刑囚と呼称される。
この首をくくることになったその人の経緯は、今となっては知る由もないわけですが、
「いかなる人も死せば、皆、神仏」
この概念はいったいどうしてしまったんだ?と。
しかも「www」とかネタツイートなんて、
あんたら、どういう躾(しつけ)受けて社会にいるんだ?と
おそらく後2つのツイートは同じ写真を転載してますので
便乗的愉快犯とは思われますが
それはそれで、なおタチが悪すぎるわと。
その瞬間の駅前の状況を想像すると、寒いぼが出ますわ。
「うわ~」とかいかにも心配そうな口調で声は出しても、
スマホ向けて、撮影してるんですよ?
眼か口元は嗤いながら、ご遺体にスマホ向けてる群集の姿‥‥
そんな絵面が視えてしまうんですけど?
関わりたくないけど承認されたい「自我肥大」
バッサリと言い捨ててしまうのならば、
「自分以外はどうなろうが知ったこっちゃない
自分の生活に影響なければ」
そういう考え方なんだろうな、と。
だから‥‥
他人の不幸にはどこまでも冷酷になれる
リアルでそれを表に出せば、自分の生活に影響出るので絶対にやらないが
ネットだとストレートに表にできる。
だって
スマホやPCの画面は掴みかかり、殴っては来ないから。
この際、自殺の是非はひとまず置きましょう。
それに至る背景や状況、社会環境が複雑に入り組んだ内容になるので。
大勢が通る駅前と思しき繁華街の連絡橋で、
首にロープかけて、柵をよじ登る人を見かけても、
誰一人、止めることもなく、
スルーしていく社会。
そして、遠目でそれを見つけたら、
無心にスマホのカメラを向ける群集。
さらにその写真を転用して、
趣味の悪いジョークと気づきながら、
捨て垢でネタツイするネット民。
‥‥寒く、なりませんか?(; ・`ω・´)
日常を普通に過ごすのは、正直つまらない。
だから刺激が欲しい。
できれば、自分がその刺激の中心にいて、
その刺激に浸りたい。
それのどこに他の人間の姿があるんだろう。
他人の不幸には関わりたくはない、
自己の生活への重荷になるから。
でも、刺激的な非日常を見かけると、
誰よりも先にそれを伝えて、
刺激の渦中に腰を据え、他人に承認されたい。
誰もが情報発信できる時代だからこそ、
そういう建前の陰に隠れてた、
肥大しきった自我の姿が顕れてしまうんだろうな。
駅前に群集はいるけど、
それらは決して連なることはない。
肥大した「個」が、
まるで倉庫のジャガイモのように積み重なっているだけ。
スマホのカメラを向けるのは、
実はまだマシな方なのかも知れない。
一番、タチが悪いのは、
「忙しさ」や「用事」を理由に
それに目を向けることすらせずに
黙々と通り過ぎていった人間なのかもしれない。
一体全体、どうしてしまったのだろう。
いつからこんな風になってしまったのだろう。
いつの間に、
骸に合掌する前に、スマホのカメラを向けてしまうような
凍てついた時代になってしまったんだろう?
いつからそうなったか、という心当たりは、無いわけじゃない。
たぶん、あれだ。
「関係ねーよ」
これが最強の返し文句になってしまった頃から、
なんだろうな、きっと。
今回亡くなられた人に、心中でそっと合掌しながら、
こういう文章書いてる。
誰他あらん自分自身も、その同類なんだと
心の奥底で、苦い思いをしているわけです。
改めて、言うね。
「寒く、なりませんか?」と。
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