迎春
書道家の米早食です。
いつも書やコラムを読んでいただいている皆さま…あけましておめでとうございます。
ご近所の方々に年始の挨拶は済ませましたか??
最近はありがたいことに門下生も増え挨拶回りだけで三箇日が終わってしまいそうです…
正月といえば「お雑煮」ですが、その起源は古く平安時代には年神様にお供えしたお下がりを煮て食べたことがはじまりで肉や野菜など様々な種類の具材を煮て食べたので「煮混(にまぜ)」と呼ばれ、これが雑煮の語源であると言われています。
もともと雑煮は正月以外にも食べられており室町時代の武家の間でお祝い膳としてお雑煮が出されるようになってからお正月料理に含まれるようになりました。
室町時代の文献にも「雑煮」という言葉が度々登場し、武家の開く宴会ではお酒のおつまみとして食べられていたようです。
お雑煮は宴会の初めに必ず食べることからお雑煮自体が縁起のいい料理と考えられるようになり、この風習がお雑煮が正月に食べらる風習へと変化していきます。
同時期に武家以外の一般庶民もお雑煮を食べる風習が生まれていきますが、当時、お餅は高価なものであった為、里芋を代用して使っていました。
江戸時代に入って米の値段が安定した為、一般庶民にも餅が買えるようになりお雑煮に入るようになりました。
お雑煮には地域によって角餅か丸餅か先に焼いてから入れるのか、そのまま入れて煮るのか、出汁はすまし汁か、白味噌か、合わせ味噌か…などなど地域差があることは皆さんご存知だと思いますが、プロレスラーの魔苦・怒鳴門選手の出身地である香川県では「あんもち」をイリコと白味噌仕立ての味噌汁の上に浮かべた「あんもち雑煮」が食べられているとのこと…
現代の皆さまが聞くと珍妙奇天烈な取り合わせに驚くと思いますが食べてみると白味噌とあんこの相性はよく食べてみると美味しいという方が多いのですが、どちらも甘味があるものなので合うのでしょうか??
豊かになった現代人には気持ちが悪い取り合わせだと言われますが…この「あんもち雑煮」が生まれた当時は贅沢を極めたとりあわせだったのです。
江戸時代末期に高松藩は藩を豊かにする為に、讃岐三白と呼ばれた塩、砂糖、木綿の特産品を奨励しました。
サトウキビ栽培には特に力を入れ「和三盆」と言われる白砂糖の製造に成功しました。
九州の黒砂糖がメジャーだった時代ですので白砂糖は瞬く間に有名となり高松藩を代表する名産品となりました。
白砂糖は役人によって厳重に管理されていて藩に納める大事な献上品ですので生産者といえど気軽に消費することはできませんでした…
しかし、年に一度の正月くらいは贅沢がしたいということで生まれたのがこの「あんもち雑煮」だったわけです…
砂糖を餡に入れて餅で包み雑煮の中に入れることで見た目では全く砂糖を使っていることがわからないようにしたわけです。
役人にバレそうになった時の為に「塩入りあんもち雑煮」も作っていたとか…
現在でもこの風習が残りあんもち雑煮は「塩餡餅」と「砂糖餡餅」が食べられています。
島や阿波に近い山村ではあんもち雑煮ではなく、赤味噌の汁か、すまし汁に丸もちを入れた雑煮が食べられていたようで役人たちも雑煮の中に砂糖餡が入っているとは夢にも思わなかったことでしょう…
白味噌も当時は高価なものでしたので、農家にとってはまさしく夢のコラボだったのです…
そんな農家の心持ちに思いを馳せてみれば簡単にスーパー買える白味噌や、砂糖餡、お餅もまた一味違って感じるのではないでしょうか…
この原稿は餡餅を食べながら執筆していますが…妻の用意した餡餅が甘すぎて…少し目から涎が出てしまいました…
原稿が涎の雨でクシャクシャになってしまわないように今日はこの辺で筆を置かせていただきます…
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