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生きる意味などない - 隣国の歌手の死と私の生

月のように輝くあの人が旅立ってから100日が過ぎた。

生きる意味を探し続けたけれど、そんなものはどこにもなかった。

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※"あの人"に心当たりがあって、それに対する言及を目にしたくないという方はそっとページを閉じてもらえたらと思います。
※全て私個人の解釈と考えです。何があったのかは分かりようもありませんから。
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自分の知っている人が死んだ時、あなたは何を考えますか。

私はこの3ヶ月間、いろんなことを考えました。

なぜ死んでしまったのか、どんな葛藤があったのか、死ぬしかなかったのか、人生を手放すとはどういうことか、この世界に生きる意味とは何か。

出来事それ自体に対する思いを発信することは、起きたことの消費につながるような気がして控えていました。

もちろん、他の誰かがそうしているからと言って不快に思うことはありません。

悲しみ方はそれぞれにあるはずですから。

私が私に対して、そうすることを許せなかったんです。

でも100日という区切りを迎えて、出来事を通してかたちづくられた新しい人生観くらいは書き留めておいてもいいのではと思い至り、こうして文字に起こしています。

自戒の意味も込めて、つらつらと綴ってみたいと思います。

■死が輪郭をもった瞬間


4月20日。

目が覚めてスマホを手に取ると通知欄には見慣れたK-STYLEのアイコン。

朝から速報なんて何事だ、と思ってメッセージを開いた瞬間の衝撃、音が消えた数秒間、頭の奥の方がずん、と重くなる感覚、何もかもを不思議なくらい鮮明に覚えています。

間違いかと思いましたし、きっと間違いだろうと思いました。

疑心暗鬼のまま食べた朝食はいつもと同じ味がして、そのあまりの変わり映えのなさには拍子抜けするほどでした。

その日以降、YouTubeもInstagramもTwitterも、アルゴリズムによってあっという間に彼一色になりました。

現実をうまく掴めないまま溢れ出る彼の動画をぼうっと眺める日々。

なんだ、生きてるじゃん。

なんならそう思っていました。

5月12日。

彼の最も大切な弟の一人がメモ書きを残しました。

「アロハの笑う姿を見せてあげてこそヒョンも幸せだよ」。

これを読んだその時、突然彼の死が輪郭を持ちました。

彼が死んだことを私は初めて現実として認識したのです。

もう彼はいないということ、悲しいけれどそれを受け入れるしかないということ。

悲しみと切なさと諦めが滲むそのメッセージは、無意識に閉ざしていた私の心に突き刺さりました。

現実と向き合っている、彼の一番近くにいた人のその姿は、起きたことを理解しようとしなかった私の頭を振り起こしました。

一度認識してからは、考える間もないままとてつもない悲しみが押し寄せました。

悲しみが押し寄せる、なんて歌詞でしか使われない文字列だと思っていました。

でも事実、抗えないほど大きく重い「悲しい」という感情を私は体全体で受け止めざるを得ませんでした。

彼が死んだ。

彼が死んだ。

彼が死んだ。

これほど質量を伴った「悲しい」という感情を抱くのは初めてで、私は当たり前のようにその中へ飲み込まれました。

彼が死んだ。

そうして始まったのは最悪の時間で、朝目覚めてから夜泣き疲れて眠りに落ちるまで、真っ暗闇の中にいるようでした。

ご飯を食べている最中も、通勤中の電車でも、職場でも、寝る前も、ひたすら泣き続けました。

彼の顔を見るたび、声を聴くたび絶望しました。

彼の笑顔が明るければ明るいほど、心は陰鬱になりました。

こんなに素敵に笑う人なのに、こんなに輝いた人なのに。

もうこの世のどこにもいなくて、もう新しい曲は聴けなくて、もう踊っている姿は見られなくて、彼の何もかもが過去になってしまったことが耐えられませんでした。

■この救いようのない世界に生きる意味


しばらくの間は、ひたすら死そのものを悲しみました。

『十分に悲しむ』とはどういうことなのか分からず、引いては押し寄せる悲しみに体力も奪われていきました。

そんな折、設けられていた追悼スペースが区切りをつけた頃からか、悲しみの矛先が変わったような気がします。

彼はこの世界を手放した。

彼が何らかの理由でこの世界を手放さざるを得なかった、その事実に悲しみを覚えはじめました。

きっと、親交のあった人たち、ファンの皆さんの暖かいことばがそうさせたのだと思います。

少なくとも私たちに見える範囲では、どこまでも真っ直ぐに生を全うしていた彼が、生きて闘うよりも死ぬことを選んだ。

それは即ち、この世界には死ぬことでしか解決できないものがあることを意味します。

そんな世界、生きる意味はあるのだろうか。

そんな世界、生きる価値はあるのだろうか。

そんな世界、何のために生きるのだろうか。

全てがつくりもののように見えてきて、信じられなくなりました。

手で掬おうとしても、指の間からこぼれ落ちていくようでした。

間違いなく、人生で最も暗い時間でした。

もうほんとうに命を絶ってしまおうかと思いました。

こんな世界、生きる意味などない。

毎日考えるのは、そればかりでした。

■意味があるほうが簡単だけれど


死ぬ前に会いたい人がいたので、声をかけました。

並んで歩きながら、とりとめもなくぽつぽつとことばを落としました。

夕方5時前の、湿気で蒸し暑い道。

生きる意味が分からなくなった、と言うとその人は淡々と返しました。

「生きる意味はないと思います。」

その人の言葉にはいつも不思議な説得力があるのですが、今回はいつにも増して私の頭にすっと染み込みました。

この世界に生きる意味は必ずどこかにあるはずで、なのにその存在が疑わしくなってしまったから悲しんでいたのに、そもそも意味なんてものは存在していないと言うのです。

あれほど頑なだった、それこそ本当に死んでしまおうとまで考えたほどの執着がふっと消えてしまったのを感じました。

意味なんてなくて、死んでないから生きているだけで。

そうやって漠然と生きていく中で集めたものをあとから俯瞰して見たときに、人生そのものになるのだと気づきました。

同時に、そうやって集めたものがない限り、それを手放すことすらもできないことに気づきました。

どこかにあるはず、ではだめで、自分で作り出さなければならないことに今更ながら気づきました。

しかし、ふと手元を見ると、そこにはあったのはなけなしの知識と偏って凝り固まった価値観くらいで。

私はこの世界を手放す権利すら持ち合わせていませんでした。

この世界に期待していなかったはずなのに、誰よりも甘えていたのは私でした。

私はその日、死ぬことをやめました。

■手放すものを手に出来る日まで生きる

ぐさりと刺さった悲しみはいまだ消えず、その日以来、彼の顔も声も意識的に避けて生活しています。

一定の効果はあり、気持ちの落ち込みはいくらかましになりました。

あまり健康的な対処ではない気がしますが、「大丈夫じゃないまま生きることのほうがまし」だと自分に言い聞かせています。

この3ヶ月間の深い悲しみと絶望の対価として得たものは、皮肉にもこれからを生きる理由でした。

意味を求めるのではなく、結果として今が意味と成るよう、嫌でも生きる。

今はまだ形作られてもいない何かを掴むまでは手放すこともできないから。

私はこれから、手放すものを手に出来るその日まで、生きていこうと決めました。

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