おばあちゃんの屍をこえていけ
30年前ぐらいのおばあちゃん像って、「やさしい」がデフォルトじゃなかったですか?
のび太のおばあちゃんも、ちびまる子ちゃんのおばあちゃんも、サザエさんのおばあちゃん(フネさん)も・・・
みんな、おだやかで優しいですよね・・・
でも、うちのばあちゃんは、ひとあじもふたあじも違ったんです。
***
私は18年間、大学に入学するまで、田舎の大きな家で、祖母と祖父と父と母と妹の6人で暮らしていた。
父と母は共働きで、夜にならないと帰ってこなかった。
私は、ほとんど祖母に育てられた。
おかげで祖母の影響を受けまくっている。
***
よくわからないことでいつも祖母に怒られていた。
たとえば、台所におにぎりがあって、
「食べていいよ」って言われて、おにぎりを食べてたら、
「なんで食べたの!???私が食べたかったのにィィィィィ!!!」
って怒られて、
罰として、押入れに閉じ込められちゃう・・・
みたいな・・・、そんな感じ。
***
クレイジーな祖母は、私の母もイジメていた。
母は、そんな祖母と同居するのが嫌だったそうで、
「とにかく、姑と一緒にいる時間を減らしたい!」
と、行動していた。
産休中は、1日中、祖母といっしょにいるのが相当嫌だったらしく。
私を産んでから、たったの1ヶ月で職場にフルタイム復帰した。
しかし、私の住んでいる地域では、1歳以下の赤ちゃんは保育所に預かってもらえない。
というわけで、ほとんど私は、そんなクレイジーな祖母に育てられた。
わたしが人類愛にあふれているのは、たぶん、
「だいたいの人間は、うちのばあちゃんよりマトモ」と思ってるから。
いつだって死ぬ死ぬ詐欺
祖母はもともと身体が弱かった。
すごい高血圧で、毎日毎日、薬をたくさん飲んでいた。
その薬が合わなかったのか、ヒステリー型だった祖母が更にヒートアップし、毎日毎日、小学生だった私に当たり散らしていた。
たまに叔母(祖母の娘である)が、家にやってきて、わたしを慰めてくれた。
「こねぴぃちゃんは良いね。」
「こねぴぃちゃんは、あと10年ほど我慢すれば家を出れるよ。
それか、ばあちゃんが先に死ぬ」
「でも、私は、娘だったから、ずっと一緒。ほんとうに大変だった。」
しかし、叔母は結婚し、違う家で暮らしている。
(今は、わたしのほうが大変なんですけど〜! わたしの10年、どれだけ長いとおもってんだ・・・!)
と思いながらも、わかっている人がいてくれて救われた。
母と、祖母の悪口を言い合うという選択肢もあったけれど、近しすぎる人間同士で悪口を言い合うのは、マジでよろしくないから、
結局、板挟みのまま、
祖母から母の悪口を聞き、
母から祖母の悪口を聞き・・・
毎日、板挟みになりながら暮らしていた。
わたしの救いは、ネットとゲームだけだったので、毎日、いろんな世界を救いに行っていた。
***
祖母は何度も入院したけれど、いつも元気に復活しては、人に悪態をついていた。
わたしは、祖母のことを恨んでいた。
たのしい家族だんらんや、安心できる家・・・とかじゃなくてもいいから
火山みたいに、急に噴火するのやめてもらえたらなぁ・・・
ばくだん岩みたいで怖いんだよな・・・
祖母はたまに、メガンテを発動して、周りをメチャクチャにしてしまうのだ。
しかし、そのあとはケロっとしている。いつもそうだった。
祖母は歩く週刊誌
しかし、近所の人たちには、祖母は人気者で、ひっぱりだこ。
祖母は、家では恐ろしいが、外ではめちゃくちゃ社交的で、情報通。
「◯◯さんちが夜逃げした」だの、「あの人とあの人が不倫している」だの、そういう噂を、いちはやくキャッチしていたので
祖母の「ここだけの話」は、いつも人気があって、たくさんの茶飲み友達がいた。
この村の・・・歩く週刊誌みたいな人だったのだ。
祖母が・・・やさしくなった?
わたしは、この家を出るために…、大学の受験勉強を必死にやった。
まぁ、結果的に、家を出ることに成功した。
それで、私が家をでたら、祖母の爆発のターゲットが、私の妹にきりかわってしまい、
妹はメンタルと身体のバランスを崩してしまった。
ひどい貧血やアレルギー、いろいろな症状がでて、妹は病院通いをすることになった。
妹はもともと頭がよく、県で1番のトップ高に通っており、祖母にとって「自慢の孫」だった。
そんな妹が高校に行けなくなってしまい・・・
祖母は反省したのか、それとも、薬が替わったのか・・・、それとも年のせいなのか・・・
祖母が、すこしずつ、やさしく、穏やかになっていったのである。
祖父が死んだ
祖父は、私が21歳の時に死んでしまった。
こんな、ばくだん岩みたいな祖母といっしょにいれるぐらいなので、
もう菩薩か仏のような精神の持ち主だった。
祖母がなんど爆発しても、なぜか二人は仲良しだった。
たぶん祖父は、いわゆる「メンヘラホイホイ」だったんだろうなって思う。
祖父は優しい人で、祖母がどんだけ怒ってても、最後には包み込んでくれる優しさをもっている人だった。
そんな祖父が死んでから、祖母はどんどん塞ぎ込むようになった。
昔のように、ブチ切れるエネルギーがなくなってきたのかもしれない。
***
少しふさぎこんで、人に優しくなった祖母は、なにかのドラマに影響されたのか・・・
「死ぬ前に、孫の、結婚式がみたい!!!」と言うようになった。
しかし、わたしには、結婚するような相手がいない。(当時、23歳)
あれ、わたし・・・祖母のこと好きだったの?
いっておくが、私は、祖母のことが嫌いなはずだった。
それなのにそれなのに・・・
なぜか祖母の面影があるような、メンヘラっぽい男子ばかりに惹かれていく。
女友達もなぜか狂ったメンヘラばかりが集まる。
わがままな「うちの祖母」の、女バージョンと男バージョンみたいなのばかり好きになったし、仲良くなっちゃう。
なぜだろう?
こんなにこんなに嫌な目にあったのに、なぜか、・・・
振り回されたりすることが、落ち着くのだ。
決死の覚悟で、家を出て、祖母と離れたのに・・・おかしい・・・
祖母目線で結婚相手を選ぶよ
「祖母に似てる人を好きになるのは やめよう」
と気づいたのは、大学を卒業してからだった。
会社員になって、すこし忙しくなり、メンヘラっぽい男に振り回されることは少なくなった。
それに、まともそうな男と結婚した子が、心底幸せそうに見えたのだ。
しかし、わたしの心はどうしても、祖母と離れることができない…。
わたしは、考え方をシフトすることにした。
逆に・・・「祖母が好きそうな男を選べばいい!」
と。
***
祖母は、歩く週刊誌なだけあって、まぁ非常に人を見る目に長けている。
「この人は浮気しない」とか「この人、頭がいいし稼ぎそう」とか。
しかしまあ、祖母のメンヘラに振り回され慣れた私は
「メンヘラ男といるのが楽しい!」と思い込んでいるフシがあった。
その趣向で、何度も痛い目にあってきたので、
アラサーになって、どう変えていくかが課題だった。
***
ひとつ、解決策を思いついた。
自分の性格や頭の中に、祖母が考えそうなことを入れ込むのだ。
つまり、「相手」に祖母っぽさを求めるのではなく
わたしが「祖母みたい」になっちゃえば楽になれるのでは・・・?と。
まぁ、どうせ頭カチカチの良い子ちゃんの私が「祖母みたい」になろうとしたところで、大したことにはならないのだけどね。
祖母目線で婚活したら意外とうまくいった
そして、わたし作の祖母目線で・・・いい男サーチライトに、
「結婚向きの男子」としてロックオンされたのが、今の旦那・・・!
私の弱いところをカバーしてくれて、精神的にしっかりものの旦那と結婚することにした。
あたりまえだけど、祖母に旦那を会わせたとき
「この人・・・めっちゃいい男やね!いいわあ!」
と、めずらしく祖母が褒めてくれた。
わたしは初めて、「今まで、祖母に振り回された甲斐があった」
と思った。
そして、とんとん拍子で結婚式を計画することになった。
わたしの結婚式は、祖母の劇場になった
結婚式を企画しているとき、プランナーさんが、
「お色直しの時は、1番お世話になった人と、一緒に退場するように企画する人が多いですね!」
と言った時に
「お世話に・・・なった人・・・・?」
ふっと思いついたのは・・・だれでもなく「祖母」だった。
***
(やめようやめよう・・・)
(なんで嫌いな祖母といっしょに、結婚式で退場しなきゃならないのか)
(なんの茶番だよ)
***
「祖母といっしょに・・・退場・・・いいけど・・いやだけど・・・
イイかもしれない・・・!」
と、頭のなかをぐるぐるしていた。
結婚式のプランナーさんは「?」という顔をしながら、わたしの決断を見つめていた。
***
結婚式の当日のお色直しのとき。
司会者さんが「新婦!お色直しのため退場です〜!」と言う。
「いっしょに退場するのに指名するのは・・・」
「お世話になった、おばあちゃん!」と言う。
***
「ばあちゃん。これまでお世話になりました…」
と言って、顔をあげると、祖母が泣いていた。
祖母は人目を気にせず、わたしは祖母と抱き合って泣いた。
その泣き方がとても美しくて、激しくて、まるで映画のように思えた。
このシーン、べつに最後とかじゃないくて、お色直しなんだけど・・・
感極まって、みんなが泣いていた。
***
参列した友人みんなが「今までの結婚式で一番泣けたよ」と言ってくれた。
「おばあちゃんと、仲良しだったんだね」
と言われて…。
(うん?違うよ?)
と思ったけれど、それは後の祭り。
***
「厳しく接しすぎたかもしれない」
と、あとから、祖母も反省しているって、わかっていた。
高血圧の薬が合わず、ヒステリーになってしまったこと。
それから、薬を変えるようになったら、多少マシになったこと。
そんなこと言っても、わたしの子供時代は戻ってこない、、、
子育てしてると、頭のどこかに祖母がいる
いま、1歳の娘を育てている。
たまに、祖母が乗り移ったんじゃないかと思うぐらい、子どもにムカついてしまうときがあって、恐ろしく感じている。
夜泣きをして、2、3時間しか寝れなかったとき
そりゃあもう、キレたくなってしまう…
「もう!なんで起きるの!?寝ろよ!!!」って、つい言葉にしてしまう。
子どもに罪はないのに。
のちのちになって「祖母みたいなことをしてしまった」と後悔する。
わたしの頭に、思考回路に、確実に祖母がいる…
と気づき、自分がすごく嫌になる。
祖母よりも叔母が先に死んだ
去年、50代だった叔母がインフルエンザで死んだ。
子ども時代のわたしに
「ばあちゃんのほうが先に死ぬからね。大人になったら楽しいことがいっぱいあるよ」
と子供時代に励ましてくれた叔母が、まさか、祖母より先に死んでしまうなんて。
祖母は、実の自分の娘が死んでしまった悲しみもあり
なにか生きる意味みたいなものを見失って、生気がなくなり
毎日、仏壇の前でお経を読むようになった。
部屋の壁には
「他人の生活と比較することなく、汝自身の生活を楽しめ」
みたいな格言が貼られるようになり…。
みちがえるように、優しいばあちゃんになってしまったのだ。
しかし、それは長く続かなかった。
祖母、ガンが発覚する
祖母は、体調を崩し、検査をしたところ、かなり進行した癌が見つかった。
今、食道癌で入院している。
先月、肺炎も発症し、ご飯を食べることもできず、点滴と人工呼吸器で命をつないでいる。
「もうダメかもしれない」と、父からのLINEがきた。
***
(ばあちゃんが死ぬかもしれない)
やっと穏やかな優しいおばあちゃんになったと思いきや・・・
ガンになって、心細くなって、改心したのかもしれないなぁと思うと、
やはり、だれよりも人間らしくて可愛らしく思えてしまう。
死ぬなら、今だよ。ばあちゃん。
全員の、記憶に刻み込める死に方ができるかもしれない。
✳︎✳︎✳︎
いま、死んでしまったら。
コロナウイルスの時期で、肺炎で死んじゃったら・・・
たぶん、葬式も、してもらえないんだよ。
みんなで別れを惜しむこともできず
「さよならもいえなかった」
という後悔を、人に押し付けて死ぬなんて
あなたにぴったりの死に方じゃないか。
いつもの理不尽を炸裂させて、運命まで味方につけ、あなたは死ぬのか。
✳︎✳︎✳︎
母は、死にそうな祖母のことを話して、泣いた。
昔から折り合いが悪くて、ドラマみたいな嫁姑戦争をしていたのに…
どうして泣くの。
やはり、母も、なんだかんだ、祖母のことが好きだったのかな。
それとも、達成感?うれしくて泣いてるの?分からない。
母は、うちに嫁に来てから、夜7時以降は外出を禁止され、映画も飲み会もいけないし、買い物も何を買ったかすべて監視される生活をしてきたんだ。
そして、嫁にきての生活のほとんどは、子育てと介護で忙殺されていた。
母は、家族のために人生を捧げてきたけれど
やっと、自由になれるかもしれないんだよ。
父はずーーっと、のらりくらりと過ごしてきて、最近やっと、祖母に口ごたえができるようになってきたのにね。
✳︎✳︎✳︎
もうすぐ祖母が死んでしまうかもしれない。
コロナウイルス対策のために、病院は面会禁止となっている。
自粛生活をしていて…、家族とも、祖母とも、会えないけれど…、
「ばあちゃんが死ぬかもしれない、悲しい」
ってだけじゃない。
「恨み」「でも好き」とか、複雑な気持ちを、言えずにいる。
でも、死人の前に、「悲しい」以外の言葉なんて、似合わないから。
きっと永遠に言えない。
***
ふと自分の顔を鏡で見ると、
自分の顔が…、どんどん祖母に似ていくことに気付く。
血は争えない。
わたしも知らず知らずのうちに、娘にとって毒親になるのかもしれないなぁと危惧してしまう。
***
祖母が死んだ時、はっきりと「悲しい」といえるように…
ただただ、悲しくて泣けるようになりたくて…。
わたしは、これから、過去を塗り替えていきたいんだ。
恨んでることはいっぱいあるんだけど、もうだれにぶつけることもできないから
せめて、すこしだけでも、いい思い出がないか?って探してるんだよね。
結局のところ、わたしは、わたしのために、祖母を許そうとしてる。
祖母を許せたら、わたしもいい親になれる気がして。
***
わたしは、祖母みたいに、DVはしない。しない。しない。しない。
だから、祖母が死んだら、ちゃんと悲しめる強さがほしい。
そのために思い出を漁る。
わたしはこれから、都合の良い過去を作ろうとしている。
もう過去の話を共有することなんて、ほとんどないから
私好みの過去にしてしまおうと思っている。楽しみだ。
***
もう怖い祖母は、いない。いない。いない。
最初から祖母は・・・優しかった。優しかった。優しかった。
祖母が死んでしまったら・・・
もう誰も、わたしの、やさしくて穏やかな祖母を塗り替えることはできない。
祖母から、わたしは卒業するんだ。
わたしは祖母の屍をこえていく。