カフェに守ってもらって、暮らしている
消えてしまいたくなるような日、私はカフェに行く。
その消えてしまえと声をかけてくる感情に翻弄される前に、カフェへ飛び込む。すると少し落ち着く。
カフェに命を守ってもらうようなそんな瞬間。
カフェを見渡す。窓辺に座るからし色のニット帽の男性も、ソファに腰かけてスカートの裾が弛んでいる彼女も、同じように消えてしまいたい日なのかもしれない。私のようにカフェに駆け込んだのかもしれない。
ロイヤルミルクティーのミルクのやわらかい甘さを感じて、脳のなかが一掃される。消えてしまいたいモードの脳にミルクの泡が浸透していくよう。白紙に戻っていく。
抹茶のフィナンシェを啄みながら、1時間くらいじっと外を眺めて、薄く流れるジャズの音を受け入れていく。
脳が一掃されて、カフェを出る。車内に戻ると、現実に引き戻されて脳がグレーに汚染されそうになるのだが、カフェのコーヒーの香りが洋服や髪の毛に染みついているのを感じて少し、グレー色の脳内汚染の速度が緩やかになる。
いまのうち、いまのうち、家に帰ってお風呂に入ろう。バスソルトも入れよう。ゆっくりあたたまったら、きっと大丈夫。そんな風に言い聞かせる余裕すら生まれる。そして、今日を乗り切って、また明日が来る。
大丈夫、カフェがあるから、明日もきっと私は大丈夫。
そうやって、私はカフェに寄りかかって、守ってもらっているのだ。
私の日常を、心を、命を。
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