義母が突然死んで旦那がおかしくなりました。 ②

お通夜、告別式
彼は次男でありながら
喪主として役目を果たしました。

実はお通夜・告別式が行われるとき
私たちは入籍しておりませんでした。
そのため、婚約者という立場で葬儀に参加しました。
妻だったらもっと踏み込んで
お手伝いしてあげられたのかなあと
思う事もありましたが、
そんな心配もよそに、
彼は葬儀屋さんと打ち合わせをし、
丁寧に来ていただいた方に挨拶をしていました。
私の両親が、
辛いのによく頑張ったね。と声をかけると
彼は少し安心したのか涙を流していました。

画像1

~一難去ってまた一難~

葬儀が終わり、
私たちは仕事に復帰しました。
復帰したといっても、
年末休みに入るので最終日の1日だけです。

年末年始は、彼の実家で過ごしました。
元々は私の実家で年越しをする予定でしたが、
四十九日までは出歩かず、
お母さんのそばに居よう
と決め、
彼の実家でおじいちゃんと三人で過ごしました。

お義母さんが亡くなってから
おじいちゃんの元気もみるみる無くなっていき
体のあちこち痛いと言い出すようになり
手は腫れ、赤くなり
首も回らなくなってしまいました。

私たちは、お義母さんが亡くなってからすぐ
おじいちゃんの手の異変に気付き
【皮膚科】に連れて行ったのですが
これが間違いでした。
血液検査の結果をもとに
皮膚科の先生は
「うーん、膠原病の数値高いけど
これは若い人がなるものだからな~」
と言って薬も出さずおじいちゃんの診察は終わりました。
この数値の異常さにどこか引っかかっていた私は
知り合いのお医者さんに相談すると
「リウマチじゃないかな?」と言われました。
おじいちゃんも
この時気づけばよかったのですが
私たちに心配させないように
「寝てたら治るよ」と言って
年末年始、ずっと寝たきりでした。

年始、私の両親が遊びに来た時に
彼がおじいちゃんが心配で心配でしょうがなかったので
リウマチを見てくれる病院をネットで探して
予約して連れていくことにしました。

病院当日
おじいちゃん病院で熱を測ったら
38.5度もありました。
病院の先生もびっくり。
相当我慢してたし辛かったでしょう…
と言っていたそうです。
肺に白い影が見える

このまま家に帰すのは危険
という判断から
急遽入院することになりました。

私たちも、おじいちゃんを一人にしておくのは
とても心配だったので
逆に入院してくれてよかったと思っています。
コロナの関係でお見舞いに行っても
守衛さんにしか会えず
電話でしか声を聴くことが出来ないのは
寂しいです。

画像2

そして・・・・・

喪中ではありますが
お義母さんが楽しみにしてくれていたのと
彼の親族、私の両親からの後押しもあり
私たちは結婚しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?