「厶」と「ム」←どっちが漢字でしょう!?
みなさまお久しぶりです!
自称漢字好きのけいゆうです!
最近、漢字を勉強していて
「漢字の成り立ち・語幹」を
非常に意識することが多くてですね…
成り立ちがわかれば
その漢字のニュアンスを推測で
導くことができて
自分の中にある「漢字の世界」を
さらに豊かにしてくれるな〜と
感じるんです。
それに気づかせてくれた
漢字の1つでもあり
今回のテーマでもある「厶」を
紹介します!
「厶」←これなんて読むんだ?
「ん?これってカタカナじゃないの?」
「む」じゃないの?
今回は違うんですね。
ちなみにカタカナの“む”は
「ム」で今回の漢字は
「厶」です。
より三角形“△”に近いのが
漢字っぽいですね(偏見
ということで、正解をば…
これは「厶」(し)と読みます!
他にも
音読み…コウ・シ・ボウ・モ
訓読み…わたくし
となります。
部首でも厶部が存在するので
見かけたこともあるかも…
ちなみに意味は「自分・私の領域」。
なのでカタカナのムよりも
角度が狭くて「△」に近いんでしょうね。
部首は「禾」ですが
「私」という漢字は
このニュアンスが強いです。
禾黍を他人に渡さんと
自分のものとして囲う感じ。
また、イメージに合うのは
「撤去」の「去」。
人や雑念を「私の領域から除いて
自己の領域を確定する」感じ。
「参加」の「参」もそうですね。
これは「去」とは逆で「他の領域から
私の領域へ入る・参る」イメージ。
この「私の領域」という概念。
これをもう少し深く見ると、
「腕で自分のものを死守する」形でもあります。
この形の性質上、自分を表す以外に
「他人のものを自分のものにする」
「奪う」イメージもあります。
特に「簒奪」の「簒」がソレですね。
私の領域
私
奪う
漢字にこのニュアンスがあれば
部首が「厶」である可能性も
一段と高くなります。
「仏」や「台」は違うの?
じゃあ「仏」は?
「台」とかもムがあるよね?
って思った方いるはず。
こちらは「仏」の旧字体が「佛」で
簡易体・略字として「ム」が活用された
パターンです。
「台」は
「ム…クワや鋤(スキ)などの道具の形からくる象形」
「口…人間を表す。表情とか感情も含めた感じ」
からなる会意文字で
①道具を使って行動する➡︎“始める”
②土地を耕せた➡︎“柔らかくなった”
③人の固い部分が柔和になった➡︎“よろこび(怡楽)”
というニュアンスがあります。
なので「厶」のイメージでは
ないんです!
こうやって語幹のイメージを
知ると部首だけではなく
漢字そのもののニュアンスも分かって
楽しいですよね!
ちなみに「厶」は
私を表すと言いましたが
「厶る」で「ござる」と
読みます。
これも「厶=私を示す」ことを
知ったから連想しやすいハズ…。
漢字が僕らに教えてくれる
ニュアンスを無視して
ただその漢字の形を勉強するのって
苦痛すぎます。
それは漢字を侮辱してそうだし…。
その漢字が何を表してくれるのか
何を僕らに伝えてくれているのか
これを成り立ち・イメージを通して
漢字と友達になりましょう♪
では、また👋