善縁/悪縁
直前の記事「理系&文系が融合する世界」で善縁と悪縁にちょっとだけ触れたが、これを私は生き方の基本原則としている。私には大概の日本人が善悪を軽く捉えてらっしゃるように感じられてならない。善悪は相対的な価値であれば、絶対的とか普遍的と比較して軽く感じられるのかも知れませんが、私にはこの一見軽めな相対的価値(≒善悪)がとても重く思われるのです。
思いもしなかった害悪を受けたとき、人は誰でも「こんな理不尽な酷い目に私はどうして遭わなければならないんだ」とお嘆きになりたいだろうし、その気持を私はよく分かる。これが想像していたことなら反応は異なる訳で‥何らかの対策を立てた筈です。台風が襲うかも・津波が来るかも‥そんな状況と同じく、避難する手順を決める等々‥なんらかの対策を立てる。
だから私の明日に必要な情報がもたらされているとき、私はその情報を無視も軽視もできない。その情報に気づかずに放っておいたばかりに(私の)家族が害悪に遭って危機に陥るかも知れず、そのことで仮に司法(検事・判事)が、私には何の落ち度も無かったと弁じてくれたとしても理不尽な事件事故が無かったことになるモノでなく、結局、その痛みを逃れる術はない。
後悔先に立たずであれば‥私は後悔でなく前もって準備万端整えたいと思っているのです。せっかくの善縁を生かさなければ、私に落度は無いという評価を得ても私の場合は嬉しくないのです。もちろん、嬉しがるも嬉しがらないも個々人の価値判断で評価するしかないのですから、あなたはあなたの価値判断で善悪への接し方をお決めるなられるでしょう。それにしても‥
勝った勝った、バンザイ\(^o^)/と弁護団が喜びを満面に浮かべる如き幸せを私の人生で手に入れることは出来そうにない。どのような宿命をあなたは選ばれるのか私には分りませんけど、(私が)選んだ宿命であれば私は私が選んだ宿命を甘んじて(潔く)受入れなければなるまい‥と思う。(*'ω'*)
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