own-issue (オウン・イシュー)
切っ掛けは人それぞれであっても本質的なところは変わらないと捉えがちな私らしい。流行語化してそうなissueを考えていて、こんなふうな書出しになってしまったのは「これは大したイシューでない」と受けとめた私を体現しているに違いない。「これは大したイシューでない」と私が殊更に述べるのには訳があって‥つまり、大したもの(= イシュー)でないものは重く受けとめる迄もないと(反射的に)軽視しがちな現代の軽薄な風潮に反応している私でもある。どうして大したものでなければ大した扱いを出来ないか?
読む人が読めば分ることだから細かいことをクドクド説明しないで置くが、(早い話が)私の用に帰すべく総ての文は綴られています。(*^-^*)
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私の用‥own issue.(自身の問題)と捉えるのは誤まりでなく、何れにしても(自分に)役立たないモノに価値はあるまい。私はここで何を述べたいのかと言うと‥自分自身の成長が見られなければ記述したって意味ないでしょう⁉私には自身の成長こそがナニより大事。もちろん、状況は人毎に異なりますからあなたにはあなたの用が設定されて、あの人にはあの人の用が設定される。自分自身の用がない人はゐないけれど、自分自身よりも他者の用を優先してらっしゃる有難い存在もある。他者の用の優先を「own issue」とする有難い代表例としては母性愛・悲母の愛・慈父の愛なんてのが考えられるけど、祖国のために死んだ兵士なんてのは痛ましくてやるせないですね。
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