仮と本と責任と㋩
「富士山があなたたちのマンション売買契約に口を挟んだ訳でなし」と述べました。富士山は口をきくのか?って勘ちがいしそうな人たちのために少しだけでも付け加えておきますね。富士山には借景としての値打ちがありますから富士山が見える部屋はその値打ちの分だけ人気が出ます。逆に言えば、富士山に興味のないお人には無駄な価値ですし、富士山が見えない部屋を安く買えることはお分かりでしょう。結局、商売は妹の結婚なんですね。笑
オマケを付けて売れなくなったら本末転倒ですから、人気のない詰らないオマケは付けません。お客の顏色を窺がいながらオマケを付けようか付けまいかと判断する。日本中の家電メーカーがNHK放送を受信できるようにしているのは何故かしら?あなたの顔色を見ても、そのほうが売れると踏んだのです。もっと言えば、NHKを受信できないテレビを作って売っては如何でしょう?旨くいけば5千万台のテレビをあなた1人で独占販売ですよ。!(^^)!
それなのに共産党も乗り気でない。あなたが好きな団体も乗り気でないのは何故でしょうか?そんな物は誰も買わないと思っているのです。それなら?受信料を踏み倒してやれと姑息な計算してるのでなければ他に何があるか、誰も答えられますまい。その答えない姿勢に誠実さは有るのだろうか?責任を考える心は具わっているのだろうか?ハテな!? こう導かれてきて、ウクさんのご質問の大きな意味が見えてくるようです。すなわち、そのご質問は
ポピュリズムとは〇〇である。
弱者とは〇〇である。
強者とは〇〇である。
の〇〇に当てはまるものは何でしょうか?
さて、このご質問の形式を批判する積もりはありませんが、日本で育った殆んどの人にはドコとなく馴染み深いのではないでしょうか?ウクさんの心身にも知らず知らずのうちに染みついたものかも知れません。私には丸暗記教育の成果を見るには都合のいい問題用紙を見ている気がします。ウクさんは「二項対立の論理構造を可」と成さらないと思う。○×形式で答える問題形式は二項対立だと思うが、「弱者とは○○」に付いてはどうだろう?
言葉の説明が社会の実状に間に合うだろうか?弱者は私の中にあり、強者も私の中にあり、ポピュリズムも私の中にある。私の中には資本主義思想もあり、社会主義思想もあり、独裁思想もあるが、人間主義の思想もある。ナザレのイエスの心を私は理解できるし、バイブルの神ヤハウェの想いも私の好きなものです。学校の答案用紙を事務的に処理するには便利な二項対立だがそんなもので私の凡てを語れる訳がない。それはあなたも同じでないか?
すなわち、ウクさんの質問を私は価値的に処理したい。だが多くの人は私と同じ心でない。「社会主義は善、民主主義は悪」と云うふうに二項対立として捉える人は多い。私は対話の素材としての価値を見る結果、このように私の思想・感覚を展開することになる。さて、「弱者は私であり、強者は私である」。幼児には私のこの言葉を理解する能力が具わっているが、幼児でないつもりのあなたは如何だろう?幼児は対話ができるから賢いのですよ。
これでウクさんからのご質問への解答は間に合ったと思いたい所です。
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