Losing Game 1

我が身を顧みず相手につける注文は多いのが私の悪い癖だ。背は私より高く、年収も車も学歴も相手の家族構成にさえ何かしらチェックする項目があって恋愛はまるで就職試験の面接のようだった。若いころは「三高」なんていう言葉もあったからそれを不思議には思わなかったが、母はそれを「お前は本当の恋を知らない」と嘆いた。


そんなことを麹町の駅から少し離れたところにある半地下のバーで考えていた。ここに来るときはティーリングというアイリッシュウイスキーをロックで頼む。
こんなバーで一人で飲んでるなんて言えば恰好がいいけれど、何のことはない、会社からも家からも遠くて少なくとも私の知り合いには見つからないから。人を待っているのだ。誰にも見つかりたくないような相手を。しかも今日は別れ話の予定だ。打ち合わせしたわけでもないけれど今夜はきっとそうなる。
エイミー・ワインハウスのバラードが低く流れる店内で、グラスには水滴がつき始めている。


彼と初めて会ったのは仕事を通してだった。
私が勤める輸入食品会社はイタリアンを中心にヨーロッパの食材が多く扱う。2018年の秋ごろだったか私は39歳で、働いていたサンフランシスコから帰国して三年ほどだったが大学もミシガンだったし、そのままアメリカで就職した私には初めての日本企業で戸惑うことの多い日々だったように思う。意見を出せば「アメリカ帰りは」と言われ納得できないことも多かった。


それでも輸入食品を扱っていたから外国人のスタッフも多くて、忙しい時期は飲みながら嫌いな上司の悪口や日本の悪いところを言い合って憂さ晴らしをしていたものだ。英語、イタリア語、内輪の下品なあだ名などをごちゃ混ぜで使っていたから誰が聞いても意味不明な会話だっただろう。
そんな中で、私のチームが扱っていた「おうちシェフの本格イタリアン」というソースのシリーズは業績が良く、TVコマーシャルを作ることになる。広報部はあったものの、全国コマーシャルを作るほどの商品が出ることはまれだったから自然に外注することになった。


このような場合、いくつかの会社に声をかけ、それぞれがアイディアをプレゼンし、依頼主が選ぶというスタイルが多いようだ。この時も広報部が声をかけ、合計7社のプレゼンを見た。当時私はアシスタントマネージャーというタイトルを営業部でもらっていたが、マネージャーである上司の出張と重なりプレゼンの場にいる営業部は三年前に入った私と、28歳の部下だけだった。しかも二人ともTVコマーシャルを作るなんて初めてで意見を求められたところで建設的な意見が言えたかどうかはかなり不安が残ったが、いいと思った二つを絞り広報部に伝えた。後日広報部が有力だったものから選ぶということだったが最終的に残った社名は私が選んだうちの一つでもあったから密かに胸をなでおろしたものだ。


トラブルは三日後にコマーシャル撮影に入るという時に起きた。 
契約した大手広告代理店の手違いで予定していた俳優が確保できなかったという。忙しい俳優のようで大掛かりな映画の撮影に入るからという理由で代替の日程も今のところ組めないようだ。


当然のように私たちは怒り狂った。中堅に毛が生えたような規模の我が社でTVコマーシャルはそれこそ社長から新入社員まで楽しみにしているような一大事だったし、広報部も私たち営業部もコマーシャルの放映を軸にその後の展開を考えていたからだ。
外国人スタッフは会社で言ってはいけないような悪態をついていたし、私も同じような言葉が出るのを帰国して三年の日本生活がかろうじて抑えていた。それほど皆このプロジェクトに夢中になっていたのだ。
代理店からミスをした本人とその上司、そして営業部長が謝罪に来た。 いくらミスをしたとはいえ営業部長が来たのには驚いたのを覚えている。相手は日本で会社員をしているのなら知らない人は珍しいだろうというほどの広告代理店である。 


謝罪というのは不思議だ。私は「ごめんなさい」という一言と起きてしまったことへの対策を聞ければそれでいいし、それ以上に必要なことなど何かあるのかと思う性格なのだがそうではない人も一定の数で世の中にはいるようだ。
何と我が社の社長もそのタイプらしい。海外と取引している割には謝罪という形式美にこだわる性質のようで少し長めの「注意のお言葉」を述べている。ここで二時間使うなら私は別の案件を進めたいし、代理店には代替案を進めてもらったほうが効率がいいと思うのだけれど、それを言えばまた「アメリカかぶれが。ここは日本だ。」と陰口を叩かれることになるだろう。


それから一週間ほどたって代替案の詳細が送られてきた。第一案の俳優より年上の俳優の名前があり、男性の一人暮らしでも手軽に楽しめるイタリアンをスタイリッシュな大人の男性が提案するという趣旨らしい。個人的な好みを言えば最初の俳優のほうが好きだったし、一大プロジェクトには違いなかったけれど基本的にこれは広報の仕事であり、私には他にも気にしなければいけない商品がいくつもある。


小さな会社の営業部は何でも屋だ。特にヨーロッパで家畜間の伝染病のニュースが散見されるようになり、チーズを扱うチームがピリピリしていたからコマーシャルの撮影日にフランス出張がかぶっても大してがっかりはしなかった。


月曜にはフランスに発つという土曜日、雨だったが私は出かけた。アメリカを出てくるとき離婚を経験して以来付き合っている人はいないから一人の外出である。思えば前夫の事情や心情も考えず勝手に日本への帰国を決め、挙句は仕事まで決めて離婚を通告したような形になってしまったのだから我ながら身勝手な悪妻だと思ったし、最後まで恨み言を言わなかった彼には申し訳ないと思っている。


そういう経験をしているからか、日本での生活になれるのに精いっぱいだっただけなのか、一人でもそれをさみしいと感じることもなかったと思う。


紀尾井町に紀尾井ホールという比較的小さな室内音楽を専門とするようなコンサートホールがある。小学校の同級生があるオーケストラのバイオリニストをやっていてクラシックギタリストの友人と公演があるから来ないかと電話をもらった。当時、中野に住んでいて会社は新宿だったからあまり縁のあるエリアではなかったが出張の買い物ついでにと思って出かけてきたのだ。
パフォーミングアーツは大学時代から大好きでサンフランシスコには室内楽もオペラもあったからよく出かけていたし、初めての場所でも昔から方向感覚はいいほうで地図を読んで迷うことはほぼない。逆に携帯に「300メートル先を右です」などと言われるのは、人間としての本能が鈍るようで好きではないのだ。


「ニューオータニの向かいだから簡単に見つかるよ」
きれいに方言が抜けた同級生は、私がニューオータニの場所を知っているという前提で話すから東京人だなと苦笑してしまう。
最初に日本橋まで出て取引先と工場へのお土産を買う。フランス語は話せないが気の利いたお土産があると場が和むからだ。紀尾井ホールにも迷うことなく到着した。


幕が上がる前はどんな公演を見ていてもドキドキするが、これは幕の向こう側にいるほうも同じだろうと思う。今日の演奏について観客が想像するのと同じように、演者も観客の反応について思いを巡らせているはずだ。幕が上がれば見るほうと見せるほうのダンスであり、それこそ相性が悪かったらどちらも後味が悪い。だからこそ演者は切磋琢磨して舞台に臨み、観客は息をひそめてそれに集中する。


公演が終わると7時を過ぎていた。同級生の楽屋に声をかけて帰ろうと席を立つと、不意に名前を呼ばれた。
振り返るとあの代理店の営業部長がたっていた。少しだけカジュアルなスーツに眼鏡をかけて、仕事中とは違うリラックスした顔をしている。私はあわてて頭を下げる。何よりも我が社の機嫌の悪い社長と意地の悪い広報部長が滔々と文句を言っている中でただ横に所在なさげに立っていただけの私の名前を彼が憶えていたとは思いもせず、こんなところで会ったことに加えて驚いた。


「私の名前、憶えてらっしゃったんですね。」
一言目に出たのがこれである。社会人としてあいさつやらお礼やら言わなくてはいけない事ははきっとあるはずなのに。
「先日お詫びに伺ってうちの部下が謝罪と代替案を出した後、すっと席を立たれようとしたでしょう?怒ってらっしゃった感じもなかったし、そのあとの社長のお話し中もメールをこっそりとチェックしてるのに不真面目な感じでもない、他の方とは違う反応をされるなと思って後で広報の方からお名前を伺った次第です。」
「そうでしたか。。。申し訳ございませんでした、そんなつもりはなかったのですが相手が謝った以上こちらからネチネチいうのは性に合わなくて。謝ってもらって、納得できる解決方法を示していただいたのであれば前に進みたい性格なんです。」
「僕もそっちのほうが建設的だと思いますよ。御社の増益の裏にはあなたのような方がいらっしゃったんですね。コンペの話が出なかったらこちらから営業をかけさせていただくつもりでした。」
「とんでもない、まだまだ生意気なはねっかえりです。 そういえば、クラシックお好きなんですか?」
「クラシックというよりギターが好きなんですよ。学生時代はフォーク全盛でしたからギターを弾いて歌っていました。今日はたまたま見つけて。」


意外だった。若くは見えるが60歳くらいだろうと思う。きっちりと上げた髪、仕事中はスリーピース、靴は細身の革靴であの時計の形はきっとオメガだ。私が子供のころに経験したバブル時代を彷彿とさせる。それでいて語り口は柔らかいし、身のこなしも上品だ。仕事中よりもだいぶ抑えたような話しぶりだがきっとこちらのほうが素の彼なのだろう。当時はさぞかし持てただろうと思わせる佇まいだった。その彼がフォークを歌うとは。
「では髪が長い時もあったのですか?」
土曜日に社外でばったり会うという状況に油断したのか、私は少し冗談めかした質問をする。
「そうですね、高校生の頃はいわゆるウルフカットだったことはありますよ。その前が坊主だったので反動が来ちゃったんでしょうね。その後は友達にそそのかされて角刈りにしました。そしたら西部警察に出てた渡哲也のようになってしまって。仕事もありましたから大変でした。」
最後の一文に笑ってしまった。彼はスムーズに続ける。
「あ、先日聞きましたがアメリカにいらしたそうですね?どちらですか?」
「サンフランシスコです。その前は大学でミシガンに居りました。」
「そうですか、確か一度ロスに仕事で行ったことがありましたがカリフォルニアは暖かくていいですね。ニューヨークも行きましたが寒くてね。。。ただ、サイモン&ガーファンクルがニューヨーク出身なので感慨深くて。あ、若い方はサイモン&ガーファンクルなんて知らないかな。」
「おっしゃっていただくほど若くはないですけど、知っています。よくテレビドラマの主題歌に使われていた時期がありましたから。ビージーズとかサイモン&ガーファンクルとか。イーグルスなんかも少しロックっぽいですけど聞いてました。テイクイットイージーとかホテルカリフォルニアとかかっこよくて。サンフランシスコに引っ越した時は歌のイメージと実際のカリフォルニアが違いすぎててびっくりしたんですよ。」
「知ってるもんなんだねぇ、なんだかうれしいな。」
私の前でバブル時代の渡哲也は、はにかむ高校生のフォーク少年に変わった。

その時私の携帯が鳴る。人身事故のため、電車が止まっていると知らせていた。一瞬だけ私の顔が曇る。
「どうかされましたか?」
とすぐさま彼が聞く。彼は人の表情を読むのがとてもうまいらしい。私が謝罪の会議中にみせたという表情もきっと一瞬だったはずだ。そんなあからさまにしていたら私はすでに誰かに怒られているだろう。
「いえ、使っている電車が止まっているようで。人身事故だそうです。」
「では、もしこんなおじいさんでよければ一杯だけお付き合いいただけませんか? コンサートの感想って見た人じゃないと分からないし、お茶っていう時間でもタイプでもないから。」
返事の代わりに私はにっこり笑う。二人連れだって会場から少し歩くと15分もいかないうちにあるバーについた。オフィスと住宅街が混ざったような麹町にひっそりとあるお店はこんなにも六本木に近いのに私たちのほかにはもう一組しかいなくて、なんだか現実感がなかった。


メニューを見るとティーリングが目に留まった。思わずバーテンダーに聞いてしまう。
「これってアイリッシュウイスキーのティーリングですか?」
「はい、さようでございます。今はスモールバッチとシングルグレーンが入っております。」
「じゃあ、スモールバッチをロックで。」
私の横で部長が驚いたような、感心したような顔で聞いている。
「ウイスキー詳しいの?」
「詳しくはないですけれど、ティーリングは一度ダブリンの蒸留所に行ったことがあって。もともとお酒はあまり飲まないんです。ワインもだめだし、スコッチもバーボンも好きじゃなくて。焼酎は何かで割れば。でもティーリングを飲んだ時はその飲みやすさと香りの華やかさにはまりました。生産量があまりないのか、日本ではなかなか見つからないんですよ。」
「海外へは今でもよく行かれるの?」
「近場だけですね、台湾とかハワイとか。あ、月曜からはフランスに。残念ながら仕事なんですけど。」
「お、いいなぁフランス。昔はよく行ったけど役職ついちゃうと本社にいろって言われることのほうが多くてさ。パリでふとつまみに買ったクラッカーが美味くてね、行くたびに買ってたなぁ。」
彼はフランスでは庶民的な銘柄ゆえに日本には流通していないクラッカーの名前を挙げた。


そこからはいろんな話をする。コンサートの感想、音楽のこと、家では焼酎を飲んでるけど外ではバーボンが多いこと、それを彼は「味よりもノスタルジーに近いかな」といった。そして今でも趣味でベースを弾いていること、テレビっ子なこと、同期入社のお友達のこと。年齢はなんと63歳。海外での失敗談は涙が出るほど笑ったし、話は尽きなかった。思えばこんなに誰かと楽しく話したのはいつぶりだろう。
静かなバーに不似合いなほど私たちは笑っていた。それでも11時を少し過ぎた頃、彼が時計を見る。
「月曜フライトだったら明日は荷物とか昼寝で調整したりするんじゃない? そろそろ帰ろうか。ごめんね、こんなに遅くなってしまった。すいません、タクシー呼んでください。」


五分後にはもう私はタクシーに一人で押し込まれていた。彼は手際がいい。
「今日は付き合ってくれてありがとう。もしうちの仕事で何かあったらこの番号に連絡ください。すぐに対応させるから。運転手さん、中野までこれで足ります?」
運転手に一万円札を差し出すと、私が何かを言うひまもなく彼が合図をして車は昼間よりひどくなった雨の中を動き出す。

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