【連載小説】第4話 ひとりぼっちの高校生は少女の面影を見る #創作大賞2024#ファンタジー小説部門
第4話 (約4600字)
「っしゃ、今日も天気だ、コーラが美味い! 未紀、帰りにどっかよってこ」
終礼が終わると同時に、すでに帰る準備が終わっている奈那が、カバンを肩に担いで私を振り返る。しかし、私が答えるよりはやく、後ろから冷たい声がする。
「病み上がりを誘うとはな。どうでもいいが、もう戦線離脱か?」
「そういうカタい言葉を使ってあたしに通じるとでも思ってんの? いいからさっさと帰りなさいよ、ガリ勉野郎。あ、これいいかも。今度からあんた、ガリガリ君ね」
千石君は、鼻で笑うとそのまま何も言わず、肩越しに手を振って教室を出ていく。
「いや、多分奈那が負けてるかな」
してやったりという表情を浮かべている奈那に、私はカバンに荷物を詰め込みながら伝える。
「ん? どこが?」
まったく心当たりがないのか、驚いたように私の顔をのぞき込む。そういう彼女の無邪気な様子に思わず笑いそうになって、ため息のように大きく吐き出す。
「うん。そういうふうに訊けるところは勝ってるかもね」
「未紀の判断基準が全然わかんないんだけど」
「まあ、気にしないで」
私はそこで話を終わらせて、教室を出る。廊下を通り階段を下りて下駄箱に到着するまでの間で、神社に行くことに決まる。最近よく現れるという着物の女の子を見に行くのだ。
自転車に乗って走りながら、前回見たという女の子の詳しい話を聞いた。石段に座った、赤い着物の小学生くらいの女の子。何かをするわけでもなく、じっと座っていたらしい。
私はその話を聞きながら、昔のことを思い出していた。七五三で記念写真を撮った帰り、神社の前でお母さんと別れた。待っていてね、と言われて石段に座ってお母さんが帰って来るのを待っていた。お祖父さんがやってきて、お祖父さんの家に招かれるまでずっと待っていた。お母さんは、帰ってこなかった。
「未紀? 大丈夫?」
奈那の声で、私は現実に引き戻される。気がつけば、もう石段の近くだった。
「ごめん、ぼーっとしてた」
私は笑って答え、自転車を壁際に寄せて止める。
石段には誰もいなかった。時間がまだ早かったのかもしれない。太陽は西の空の上方にある。
「うーん、毎日現れる、ってわけじゃなさそうね。でもせっかくだから、もうちょっと粘ってみる?」
彼女は腕を組んで指先であごを撫でる。眉間に皺を寄せて呻っている姿は授業中には絶対見られない。
「でも、夕方にはまだ一、二時間くらいあるよ。ずっと待つの?」
「そだね。じーさんところで時間潰すか」
そういうと彼女は石段を駆け上がる。私は手水で手を洗い、ゆっくりと上った。一番上に到達すると、彼女が石段に座って両手で真っ赤な顔を扇いでいる。
「未紀、なんでそんな汗かいてないの? この石段、きつくない?」
「まあ、私は慣れてるから」
彼女を歩いて追い越すと、私は神様に挨拶をして、建物の中に声をかける。奥から常装のお祖父さんが顔を出す。
「おう、未紀。家でも会えるものを、ワシが恋しくて居ても立ってもおられなくなったか」
「例の女の子を見に来たところです。まだ時間が早かったみたいで」
お祖父さんは上がるように手で指示する。私は靴を脱いで上がると、やがて奈那も上がってくる。
「ちわっす、じーさん」
「おう、奈那。まあ座れ」
二人が座ったのを見ると、お祖父さんはいつものニヤニヤ顔で奈那の方を見る。
「ところで、奈那。未紀の話だと、あの千石とやらと何やら勝負しとるそうだな」
「あー、そうそう。どっちがセクハラの被害者かって話。とりあえず持久走は、ほんのわずかあと数ミリのところであたしが負けちゃってさ。今度は次の期末試験の合計で勝負なわけ。体力と知力の総合評価で決定すんの」
そこまで聞くと、お祖父さんは興味を失ったのか、後頭部をかきながら立て膝をする。
「じゃあもう結果が見えておろう。今から謝り方を考えておいた方が良いぞ」
「ちょっと! 何勝手にあたしの負けにしてんの? 今回のあたしは一味違うんだって。なんたってちゃんと勉強してるんだからね」
お祖父さんは苦々しい顔で私に視線を送る。苦笑しながら無言で頷いてみせる。
「ならば、どこまで食い下がれるかが見物だな」
「さっきから何言ってんのよ。勝つに決まってんじゃん。このあたしが勉強してんだよ?」
「そこは自慢するところじゃないと思うけどね」
私は笑いながら口を開く。
「だって知ってるでしょ? 千石君が通ってた高校、かなりの名門校だよ。あの高校の出身者の半数が政治家や医師なんだよ」
「そりゃそーかもしれないけど、あのバカが将来政治家や医師になるとは限らないじゃん」
「もちろんそうだけど、それほどレベルの高いところだったってこと」
彼女は気のない返事をしながら、足を伸ばしてストレッチをし始める。一通り終わってあぐらを組むのを見届けると、私は彼女に問いかける。
「ねえ、奈那。千石君が前の学校をやめた理由、聞いた? 噂では先輩を殴って退学になったとか」
思い出したように、今度は首を回しながら肩を回し始める。
「知ってるよ。本人が言ってた」
「じゃあ本当の話なんだね。ねえ、奈那。こんなことあまり言いたくないけど、千石君と一緒にいるの――」
「あいつさ」
私の言葉をわざと切るように彼女は口を開く。全身の力を抜いて、私の方に身体を向ける。彼女の焦げ茶色の瞳がまっすぐに私の顔を捉えていた。
「あいつさ、弟がいたんだって。雄太とかいう、三つ下の。その弟はなんか難しい病気らしくって、ずっと入院生活を送ってた。親は二人とも忙しくて時々しか会いに行ってなかったらしいんだけど、千石はその弟が大好きで、毎日顔を見に言ってた。弟の方もあいつが現れるのが待ち遠しかっただろうね。弟の容態が悪くなると病院からまずあいつんとこに連絡が入って、授業が終わるのを待ってすぐ向かってたんだってさ。そういうことはわりとあって、よく部活休むから先輩からは陰口を叩かれるようになって。この間の四月に、とうとう弟が死んじゃったんだって。そのことを知った部活の先輩から、オニモツがなくなってやっとレギュラー復帰か、って言われてプチっときたみたい。気がついたときには顧問の先生に羽交い絞めにあってて、足元には血だらけの先輩たちが倒れてたって。その先輩たちの親が何でもおエラい方々だったらしくて、大問題になって退学。じゃあどうするかってところで、即受け入れてくれたのがうちのバカ高だったみたい」
「たしかに、眠れる獅子といった風体だったな」
お祖父さんは腕を組んで、納得したように何度も頷いている。
私は、複雑な気持ちだった。千石君がただの暴力的な人ではなかったことがわかって安心はした。だけど、そんな話をいつどんなときに奈那に話すのだろう。
沈黙を遮るように、私は立ち上がる。
「そろそろ、石段のところ見てくるね。もしかしたら着物の子が現れているかもしれないから」
私は彼女の目を見ないようにしてそう言うと、靴を履く。
「あ、待って未紀。あたしも行く」
「待て、奈那。ちょっとジジイの話を聞いていけ」
立ち上がりかけた奈那を制するようにお祖父さんが話しかける。私はその奈那の後ろ姿を見つめ、お祖父さんと目が合うと慌ててその場を立ち去った。きっと私がいない方が良いのだろう。
石段を下りる前に振り返り、耳を澄ます。夕風になびく竹の葉がさやさやと音を立てる。二人は小さな声で話しているのか、話し声は聞こえない。
私は静かに一人、石段を下る。一番下の石段の隅に腰かけて自分の足もとを眺める。ずっと昔、私はここでお母さんを待っていた。お母さんが昔から、私に隠し事をしていることはなんとなく気がついていた。時々、私の知らない「親戚のおじさん」と会っているのも知っていた。それを、私に知られたくないと思っていることも知っていた。だから私は気づかないふりをした。知らないふりをした。そうして良い子にしていれば、お母さんはずっと私のそばにいてくれるんじゃないかと思っていた。
思わずあふれそうになる涙を、顔を覆うようにして指先で抑える。
「やあ、こんにちは」
すぐ頭上から声がした。私ははじかれたように顔を上げる。目の前には二十歳半ばくらいだろうか。色白の、思わず見とれてしまうほど端正な顔立ちの男性が立っていた。まったく近づいてくるのに気がつかなかった。
私は立ち上がる時に、さりげなく涙を拭く。あらためて見ると、通りすがりの人ではない。白衣、浅葱色の袴、雪駄。神職だ。
「気づかずに失礼しました」
「こちらこそ。突然話しかけて悪かったね。ここに御堂仁雅はいるかい?」
「はい、祖父なら中におります」
「祖父、ということは君が未紀かい?」
私ははい、と答えながら少し首を傾げる。正直なところ、同業の方が訪ねてきたところを今まで見たことがなかった。彼は親しみやすそうな笑顔を浮かべる。
「ああ、そうか。綾乃からは聞いていたが、もう高校生になるんだね」
「綾乃、さん?」
「紫乃の妹だよ」
紫乃、という言葉がお祖母さんの名前だと結びつくのに、時間がかかる。二十代の男性が私のお祖母さんを友人のように語るのにも違和感があった。お祖母さんに妹がいたことも初耳だ。
「祖母のことでしょうか」
「その西園寺紫乃だよ。そうそう、そういえば侑子は西園寺に帰ったんだよね。君は外子だからと手放したみたいだけど、会ったりはするのかい?」
「母をご存知なんですか?!」
思わず男性に追いすがりそうになるのをぐっとこらえる。彼は少しだけ身を引き、優しく微笑む。
「勿論。私も普段はあの家に関わることが無いけれど、綾乃と侑子にはよくしてもらって、感謝しているんだ」
男性は私の目をじっと覗き込む。まるで頭の中を隅々まで見渡されるようだった。
「しかし侑子は完全に君を切り離したんだね。そして仁雅も何も知らせていないのか。血は切り離せないというのに」
「貴方は誰なんですか。一体何を知っているというんですか」
語気を荒げる私を、まるで檻の外から眺める見物客のように楽しそう眺めていた。そしてふと思い出したように、口を開く。
「そうだ、未紀。前島奈那という子を知っているかい? ちょうど君と同じくらいの年頃だ」
奈那の名前に意表をつかれ、毒気を抜かれる。と同時に、彼女の話していたことを思い出す。小学校のプレイルームで出会った和服のペラペラ野郎。この男性のことだ。
奈那を知っている、と答えることが良いのか判断ができない。だが口ごもる私の表情から読み取ったのだろう。
「君とはどういう関係? 遠い親戚? 彼女の親の素性を知らないかい?」
たたみかけるように質問する。興味深々というように瞳を輝かせて、前のめりになる。私の話は笑いながら身を引いていたのに。私はその変わり様に、苛立ちを隠せなかった。
「直接お聞きになったらいかがですか。今、祖父と一緒にいますよ」
彼は少し驚くように目を開くと、石段の上に視線を送る。遠くを見つめるように一点に集中していたが、やがてふと力を抜き私に目を戻す。
「それは止めておこう。先日、前島奈那と出会った時には突然殴りかかられてね。仁雅を尋ねたのは彼女のことを訊きたかったからなのだけど、彼女のいないときに出直すよ」
彼はそれだけ言うと踵を返す。夕陽が彼の影を薄青く染めていた。