【散文】田舎の鳥の上京つれづればなし
先日告知させていただきました、10/14(月・祝)文学イベント東京vol.3への参加&周辺ブラブラ話です。出来事中心ではなく、感想と内省が中心の記事です。旅行記じゃなくてゴメン。
early bird
西側の田舎に住む鳥の朝は早い。電車のホームで朝焼けを見る。どっちかっていうとnight owlなので日の出を見ることはなく、たまには早起きも良いなぁと思う。ご近所はすっかり寝静まり、たまに犬の散歩をしている人と出会った。この時間から起きていると、なんか得した気分になる。どうせ昼間眠くなるのだけど。
Hallo world, 初のイベント参加
↓に書いたとおりです。朝ごはんが5時頃だったので腹ペコでして、12時の開会と同時にひたすらパンを貪り、お腹が落ち着いたら終わった気分になる。
文フリはそれを目がけて来た人たちがお客様ですが、今回は蔦屋書店へ来たらなんかやってるから入ってみたという方々もいらっしゃる。また代官山という地域性なのか、外国の方が多い。体感4割くらい。英語とスペイン語と中国語が聞こえました。日本語もままならない鳥は他言語を話せず、というか売っているのも日本語オンリーなため、どこまで薦めて良いものやらと思う。
お隣さんと、英語版も出してみても良いかもね、とお話する。そういえば以前chatGPTに英訳してもらったことがあった。わりと良かったのでそういう感じで一冊出してみても良いかなと思う。
ではどの作品を訳し読んでもらうのかと考え、ストップした。仮に私の書いたものを英訳して外国の方に読んでもらったときに、伝えたいことが伝わるのか。っていうか何を伝えたいのか。
今回出した新作は日常のドラマを扱っているのだけど、結局そこで描きたいのは「機微」というやつだ。これは相手に伝えたい時に目の前にドンと提示できるものではなく、周辺から輪郭をなぞってその中を相手に察してもらうようなものだと思う。でもその察するという行為は同じ文脈を持っていることを前提としていて、他の文化圏の方が読んだ時にそれを同じように受け取ってもらえるのだろうかという不安がある。いやもちろん、小説は読み手のものなので好きに読んでくれれば構わないけど、伝わらないのは書き手として寂しい。
最近、Spotifyでコテンラジオを一から聞いているのだけど
この回の最後5分くらいで「日本語は述語と修飾語しかない。主語もまた修飾語」「日本語は積み木のように共生していく言語」と話していて、ああほんとだなと納得する。多分日本のこういうところが好きで面白いと感じているから書きたくなるんだと思う。ってこんなん書いても伝わらないだろうから、聞いてみてください。面白いですよ。
やっぱり英訳してみるのも悪くないかもしれない。伝えたいのはココなのだからそれを外す手は無いし、私も海外の話を見たり読んだりしながら「え、そんな反応する?」みたいなカルチャーショックを面白がっているのだから。ちょっと考えよ。何にせよ最後に残る問題は私の英語理解力だ。
ちなみに、今回机を共にしたお隣さんは女神舎さん。連れていった2羽のひよこを可愛がってくれました。のみならず、私が席を外している時には店番と告知と無料チラシの配布までしてくれていて、もう私要らないんじゃね? と思うほどでした。常々思うが、私は周囲の人に恵まれている。私を中心にした半径100mは性善説が成り立つと信じています。
女神舎さんからおみくじ代わりにいただいたオラクルカードは「RELATIONSHIP」。ほんとそれ。
街歩きで今を知る~代官山編
翌日はどこで何をしようかと考えた結果、街歩きに決定する。田舎住みで東京はテレビでしか見ることがないのです。街の名前となんとなくのイメージはあるけど、それがどこにあるのか、実際どんなところなのかは知らない。
翌朝改めて代官山を歩く。山がちですごく起伏が激しいものの、道は綺麗に整備されていて割れも少ない。頻繁に手入れされているのでしょう。大通りは電線が地中化され、きれいな街でした。歩く人たちは上流階級っぽい身なりの方が多く、外国籍の方もやはり多い。テレビで見ていたイメージ通りの街。
お話に聞いていたロースタリ―東京へ。焙煎する豆の良い匂いを堪能しました。
豆や紅茶葉、タンブラーなんかも売っていて、何か記念に買って帰ろうかなぁと思ったけど、ゆっくりコーヒーとケーキを頂いたら満足しました。
街を歩いていても思ったけれど、基本的に物価が高い。1.5~1.7倍くらい。まあ東京全体かもしれませんが。雰囲気も良くて便利で、暮らすには良いのかもしれないけどお金の面で生活できないよなぁと思っていたら、目の前のサラリーマンが松屋へ吸い込まれた。ですよね、と共感。
街歩きで今を知る~原宿編
東急東横線を北上し、明治神宮前で下車。
あ、そうだ。
前々から思っていたのですが、駅の出口の名前は東西南北で統一しませんか。〇〇方面とか有名な場所の名前を表記してあっても、そこ目的で来てない旅人は知らんのよ。土地勘がある人なら駅のどっち側が表になるのか知っているのかもしれないけど、旅人は知らんのよ。そもそも東口とかの反対側にある中央出口って何なん。西ちゃうん? 東でなくて西でもなくて中央って、地下か。
地名がわからないからとりあえず目についた出口から出て、駅の外をぐるりと回る。この街もキレイなものです。街路樹が植わっていて雰囲気が良い。あと人多い。
キャットストリートなる道を歩くと右も左も服・服・服。オシャレの街ですね。服の方向性が大体似ていて、このあたりがいわゆる原宿ファッションなのかしらと思いながら通る。
なおここを通ったのは、紹介いただいた鼻セレブのイベントが気になったからなのだけど、設備不良で入れませんでした。残念。みんなが鼻をこすりすぎたのかもしれない。お大事に。
そこから竹下通りへ。雰囲気が変わる。原色。黄色・オレンジ・ピンクが増える。歩く人たちも変わる。なんか小学生が一気に増えたけど、何故? 今日学校休み?
今どきの若い人の中で流行っているであろうメイクをする女子が増えて、ああ現代のギャルがいる、と感慨深く思う。時代とともに変わっているけれど、結局共感できるのは自分が20歳くらいの時のメイクだけで、それ以外はなんか違うと思ってしまう。だからメイクで年代がバレるんだろうなぁなんてことを考える。きっとこの子たちも10年後に流行るメイクはなんか違うと思うのだろう。
りんご飴とかいちご飴とかクレープとかわたがしとか、カワウソさんとかモルモットさんとか。歩く人も売っているものもいろんなものが商業化された「カワイイ」で、「カワイイ」ってなんだったっけと思い耽る。
またもですが、以前聞いたコテンラジオの中で、ヤンヤンさんが「カワイイ」について話していたことを思い出す。どの回かは忘れました。ごめんなさい。代わりにヤンヤンさんのページを貼っておこう。
聞き返すことができないのでうろ覚えですが、大陸の国はいつ隣から襲われるかわからないため強さを誇示するけれど、日本は海に囲まれ攻められにくい土地。となると内輪での争いがメインとなる。その中で、弱さ・可愛さを出して「守られるべき対象」として振舞う戦略が出てきたという解釈だったと思う。それを聞いた時、すごく納得した。極東の島国だからこそ出てきた文化。
ラジオを聞いた時にはこの文化を大切にしたいと思ったのだけど、竹下通りを歩きながら「カワイイ」の切り売りを見て、思考が迷子になった。「カワイイ」って何だっけ(2回目)。まあ、私の求める「カワイイ」だけがすべてではないので、良いのだけれど。
街歩きで今を知る~渋谷編
渋谷という街はよく舞台になるけれど、実際にその場に立つのは初めて。やはりハチ公を見ておこうかとキョロキョロすると、長蛇の列ができていた。みんなハチ公の前で記念撮影をしているらしい。有名な待ち合わせ場所、というイメージだったけどあまり待ち合わせをしている様子ではない。観光地、という感じ。
有名なスクランブル交差点もせっかくだからわたってみる。ドラマとかで写る交差点は、日大のパフォーマンスである集団行動みたいに、颯爽とみんながぶつからずに歩くイメージだったのだけど、実際はそうでもない。いやぶつかるわけじゃないのだけど、歩く人の中には観光客も多く、携帯を構えてウォークスルー動画を撮る人がたくさんいる。向かいのビルのスタバの窓にもたくさんの人がスマホを構えて張り付いている。ここも観光地。
となると、ドラマや映画で観るシーンは作られているわけだ。もしかしたら撮影当時はそうだったのかもしれないけど、有名になった今では観光地化しているのね。
これまた有名な109へ入り、グルグルと見学。原宿と同じく、同じ方向性の服がたくさん並ぶ。田舎者としては、こういうビルの場合、様々なファッションを置く方がよりたくさんの人が来るのではと思ってしまうのだけど、都会はそうじゃないのね。ディープな世界だなぁ。
いろんな人たち
今まで全く近寄らなかった東京に、今年は春から3回も訪れることになりました。5月は日帰りだったのでほとんど街を見ていませんが、先月と今月で、飯田橋、上野、渋谷あたりを回りました。街によって雰囲気は違うし歩く人も違う。みんなその街に住んでいるわけではないのにそういう格好になるんですね。そしてそういう人が好みそうな店が増えて人が増えれば街が整備されて店が増えればまたそれを好む人が訪れる。街も建物も建ちあがったらそのままというわけではなくて、人口の多いところは新陳代謝が早くどんどん変わっていく。街は生き物。常にどこかが工事中というのはストレスもあるかもしれないけど、何年たっても新しい街であるのは良いことだなと思う。田舎みたいに割れた道路がそのままになってたりしないものね。
見かける人々もとても個性的で、かつその街に溶け込んでいた。国籍も服装も性別も、髪や目の色も多様で、突然、田舎に転移したら浮くだろう人が、雑踏の中に消えていく。バラちらし寿司みたい。そういえば渋谷に黄色い帽子と赤いランドセルを背負った、ファンキーな柄のスカートと下駄を合わせた黒ひげのおじさんが立っていたけど、何してたんだろう。バラちらし寿司でいえば甘く煮た椎茸みたいな人。
こういう街や人をみると、キャラものの話を書くのも良いなと思えてくる。キャラ立ちしているとそれがノイズになり伝えたいことが伝わらない気がしていて、いつも没個性的な人を好んで書くけれど、この地域に住んでいる人たちには多少の個性やキャラなんてノイズになり得ないだろう。
私があると思っていたガラスの壁だの天井だのを、多国籍な人や中性や両性具有の人が素通りしていく。たくさん刺激をいただきました。また田舎でゴソゴソがんばります。