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【雑文】推敲についての分かり難いただの独り言

 基本的に、私は推敲が苦手である。

 物語を書くときは、ごく短いシーン(写真のような停止場面や、ほんの数秒の動画、あるいは台詞の一言)を思い浮かべ、そこから膨らませて行くことがほとんどだ。この膨らませる作業をとにかく頭の中で行う。辛くなってきたら、キーワードを抜き書き、さらに妄想する。文章にするのは遅ければ遅いほど良い。一度文字に起こすとイメージが固まってしまい、形を変えにくいのだ。

 イメージとしては、頭の中で八割、文字に起こしながら二割を作るくらいだろうか。イラストで言えば、紙の左端から一センチの範囲を下書き・ペン入れ・色塗りをして次の一センチの下書きをして、前の一センチへ戻り微調整して、気を取り直して下書きの続きをしてペン入れ・色塗りをしながら、やっぱり最初の一センチへ戻り微調整をする。全然進まない。長編を書くのは世界一周旅行へ旅立つのと同じくらいの覚悟がいる。大げさだけど。

(ちなみにここでいう微調整とは、形容詞の順番を替えたり、文章を分けたり、句読点を足したりするくらいのこと。文字にしてまだ日が浅ければこれくらいのことはできる。何日も経つと今あるそれが私にとっての基準になってしまい、変更が効きにくくなる。)

 しかしnoteをはじめてからは、そのやり方を少し変えてみている。

(今や隔月投稿すれば良い方の)毎週ショートショートnoteもシロクマ文芸部も、瞬発力を必要とする企画だ。おかげさまで良い訓練になっていると思う。今までと同じやり方では、頭の中で揉んでいる間に〆切を過ぎる。そのため、文字にするタイミングを早めた。

 イメージとしては、頭の中で四割、文字に起こしながら六割を作っているくらい。イラストで言えば、紙の左端から十センチの範囲を下書き・ペン入れ、次の十センチを下書きしながら前の十センチを微調整する。

 有難いことに瞬発力は少しずつ身についている。でも色塗りができていない。最近絵具を使っていないから固まってチューブから出てこない感じ。まあペン画はペン画で悪くないし嫌いでも無いけど、ストーリーラインしか追わない単調なものになりがちでもう少し華が欲しいとも思う。

(ちなみに私は絵心が無い。描けるようになりたい。描けないから書いている部分もある)


 一度最後まで書き終えると、しばらく風を通す。長さにもよるし、目的(〆切)にもよるが、時間があるなら一週間くらい。それから改めて読み直し、修正していく。

 最初にも言った通り、私は推敲が苦手だ。よく、人によっては半分以上書き直したとかいうエピソードを聞く。想像がつかない話である。自力では到底できない。登場人物の半数が版権に触ったとか、突如現れた悪魔がパソコンをへし折ったとか、そういう外的要因が無いと私には難しい。というか、そんなことが起こったら、もう諦めて泣く。

 ストーリーラインを変えることは難しいのだが、細かいところは何度も読んで修正をしている。言葉の使い方が正しいのか、漢字は適切か、読みやすいか、台詞が続きすぎていないか、語尾は相応しいか、現在形と過去形と体言止めのバランス。もちろん誤字のチェックも。

(未来の)イヤミス作家、豆島圭さんが以下のような記事を上げていた。

 豆島先生の記事を踏まえて話を続けよう。

 推敲するうえでのテクニックについてだ。文字にしていただけると非常に分かりやすくて助かる。「紙・耳・時間・多視点」という四点は言われてみれば私も行っている方法だ。 

 ただ紙については、最近プリンターを捨てたため印刷できていない。ちょっと後悔している。代わりに横書き→縦書き、word→PDF、PC→スマホというふうに変えて確認することにしている。

 耳についても、音声アプリなんていうハイテクなものは使いこなせていないので、自分で声に出して読んでいる。よく詰まる。私の朗読技術の問題も多々ある。

 多視点について。これは一応行ってはいた。けれどもこんなに明確に意識しては行っていない。

 小説は、その世界の一時を切り取るものだけど、出てくる登場人物はその世界で産まれ、育ててくれた親がいて、その親もその世界で産まれた事実がある。ただコンビニですれ違ったモブキャラも、道に出されていた燃やせるゴミの袋も、その時その瞬間だけ存在するものではない。そこに至るべくして至る。その意識は一応持っている。だが「そのキャラクターの目で終始一貫して物語を読み直すこと」。豆島先生に言語化していただき感銘を受けた。


まず、犯人と刑事の会話の、刑事のセリフ。

修正前:「東京情報専門学校は、君が通う学校だよね?」 
修正後:「君が通う学校は、東京情報専門学校だよね?」 

は? ですよね。

豆島先生の記事『「紙・耳・時間・多視点」推敲』より


 こういう気づきができるのが「多視点」だろう。

 読者は読み飛ばすかもしれないし、後で思い出すときには、修正前のように反転して理解しているかもしれない。でもこの先で説明されている通り、意味合いは異なる。無意識のうちに、ここから受けるイメージは確実に違う。

 ということを教えてもらった直後に、賢太郎さんも丁度同じことを言っていて衝撃を受ける(私は小林賢太郎フリークである)。


何か……セリフの中に入っているひとつの句読点を0.何秒空けるのかで、こう笑いの質と量が変わったりするんですよね。でもそれは、昨日よりも今日の方が少し短かった場合、お客さんは、おっしゃるとおり「私は昨日も観たけど今日はあの句読点の部分が短かったよね」とは誰も気づかないと思うんですよ。ただし、その客席全体の笑い声の質と量は、僕たちは知っているじゃないですか。ああ、こう変えるとこんなふうに変わるんだってのはやっぱりわかるわけですよ。ってことはやっぱり伝わっているんですよね。気づいてないけど伝わっているっていうか。そういうことはあると思います。

(NHKイブニング信州 9/30(月)午後6:10放映「小林賢太郎さんインタビュー」より抜粋)


 誰も気づかないだろう、と放置するのではなく、徹底して細部を追求して推敲を重ねること。これが物語のリアリティを浮かび上がらせるのだろうと思う。


 ちなみに何故、信州? とか思ってくださった方のために宣伝。

 現在、コント公演「並行食堂」を公演中。



 10/2~4は長野県松本市にて公演がありました。10/10からは京都です。松本は当日券の販売があったみたいだけど、京都の当日券の有無は知りません。

 ちなみに、NHKイブニング信州は、NHKプラスで一週間くらいは見ることができます。気になる方は是非ご覧ください。

 せっかくなので本インタビューより、もうひとつ小林賢太郎語録を載せておきます。


僕が作った作品にできることは、あくまでも観た人の応援をすることだったり、お手伝いをすること。ポジティブに変換するお手伝いをすることだと思ってて。救いの手を差し伸べられるような、そんな……なんですかね。大それたことをやっているつもりはないんですね。ただし、誰かの助けになるんであればそれは光栄なことだし、手は抜けないですね。

(NHKイブニング信州 9/30(月)午後6:10放映「小林賢太郎さんインタビュー」より抜粋)



*ちなみにこの記事は推敲していません。本末転倒。多分いずれ非公開にする類です。
*ピリカグランプリの方はちゃんと推敲しました。7日アップ予定です。以前コッシ―部長により受賞歴云々とか無駄にプレッシャーを与えるまとめ記事が上がっていましたが、最終的には「そんなんどうでもええわ。好きにやったろ」となりました。祭りは参加してなんぼです。

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