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【名言というか曲の紹介というか】「化粧直し」
貴方が去ったあとのこの部屋 白く濁っていく
過去は遥かな霧の様で
私のもう二度とは示せない強さ 霞んでいく
今朝の別れが雨なら良い
貴方に逢って孤独を知った
だけど失った今私は初めて 本当のひとり
馨る枇杷 二人の庭はとうに 朽ち傷んでいる
何度もさようならを言い過ぎて
どうか帰ってもう一度だけ
その時こそは貴方の慈しみを無駄にしないから
貴方に逢って孤独を知った
だから失って今更ながら また貴方を識った
言葉が宙に舞って枯れたとき
やっと私は気付いた
本当にひとり
椎名林檎といえば、小林賢太郎好きの私にとっては2003年の『短編キネマ百色眼鏡』だ。椎名林檎の企画・音楽にのせて作られた40分の短編キネマで主人公の天城を小林賢太郎が演じている。
またその翌年2004年には、小林賢太郎プロデュース公演(KKP)にて『LENS』が公演された。『短編キネマ百色眼鏡』につながる話として描かれたミステリー作品だ。もちろん主人公は天城である。
最近(と言ってもまあまあ前)で言えば、2019年の「SWICHインタビュー達人達」での対談だ。超努力型の天才二人による対談の様子は、録画してデジタルが擦り切れるくらい観た。
つまり、私にとって椎名林檎は大好きな人の近くにいる天才という位置づけだ。
また、私はあまり音楽を聴かない方だが、好きな歌声の歌手がいる。長谷川きよしというシャンソン歌手だ。ギター一本で歌うスタイルだが、ギターのテクニックも抜群なうえ、声も美しく、表現力がずば抜けている。たまたまつけていたテレビで聞いた歌声に魅了され、その夜にCDを買った。
その後、第一回林檎班大会というライブで、椎名林檎と共演をしていたことを知った。
そう。またも大好きな人の近くに椎名林檎がいるのだ。見つけた星の回りを衛星のように林檎が回っているようだ。あっちでもこっちでも。
とまあ、長すぎる余談はここまでとしよう。
冒頭に挙げたのは東京事変「化粧直し」の歌詞だ。
だがこの曲を知ったのは、長谷川きよしのカバーが先だった。
こちらのライブCDにてカバーされている。数十回聞いたこのアルバムの中でも1,2を争うくらい好きな曲だ。
あまりにも好きになりすぎて、元となる椎名林檎が歌う「化粧直し」の収録された東京事変『大人』を買った。
椎名林檎版の歌を聴いた時に、長谷川きよし版と受ける印象が大きく異なり、非常に意外だった。長谷川きよし版では明かされなかったミステリーのどんでん返しを食らったような感覚だ。
とても新鮮な驚きを抱いたので、解釈というか感想みたいなものをじっくりと書き連ねていきたい。
と、その前に、聴いたことが無い方は先に聴いてください。
↓は長谷川きよしバージョンです。是非こちらからどうぞ。
さて、この歌に出てくる二人はどのような人物か、何が描かれているのか、が考えたいテーマだ。
歌い手が基本女性なので、貴方=男性、私=女性、と想定し、二人は恋愛関係にあった(過去形)のはまず間違いないだろう。
貴方が去ったあとのこの部屋 白く濁っていく
過去は遥かな霧の様で
二人で暮らししていた(もしくは「私」の家)の部屋から「貴方」がいなくなっている。二人で暮らしていた過去を鮮明に思い出せず(思い出したくなくて)霞がかかっているようだ。とても傷ついている様子がうかがえる。
私のもう二度とは示せない強さ 霞んでいく
今朝の別れが雨なら良い
引っ掛かりワードその①「もう二度とは示せない強さ」
一度は強さを示している。誰に? いつ? 強さとは?
単純に考えれば、「私」は強がる性格なのか?
引っ掛かりワードその②「今朝の別れ」
今朝という時制、そのままの意味では最近過ぎる。さっきいなくなったばかりで、「過去が遙かな霧の様」にはならない。
貴方に逢って孤独を知った
だけど失った今私は初めて 本当のひとり
二人でいるときは良いが、離れている間は寂しいことに気づいた。だが「貴方」と完全に別れてしまった今、本当の寂しさを知る。
馨る枇杷 二人の庭はとうに 朽ち傷んでいる
2メロに入り、ここでやっと「貴方」の状況が分かる。
枇杷には「庭に植えると病人が絶えない」という迷信があるらしい(根拠のない迷信らしい)。
「貴方」は病気の末、亡くなっている。さらには枇杷のある庭が朽ち傷むほど時が経過している。
何度もさようならを言い過ぎて
さようならを何度も言うということは、別れられていないということだ。
「貴方」は亡くなってから長く経つが、「私」はどうしてもそれを受け入れられずにいる。
毎朝、目が覚めた時、「貴方」の姿が隣に無いことに気がつくのかもしれない。だとしたら、「今朝の別れが雨なら良い」の時制とも辻褄が合う。
どうか帰ってもう一度だけ
2サビの入りの部分。
前のフレーズで「貴方」がすでに亡くなっていること、どうしてもそれを「私」が受け止めきれないことが明らかになったうえで、「どうか帰ってもう一度だけ」とくる。
心の底からの願いだろう。
その時こそは貴方の慈しみを無駄にしないから
慈愛に満ちた「貴方」だったのだろう。そして当時は「私」はそれを当然のもののように思い、雑に扱ってしまっていたのかもしれない。
また、慈しみのある「貴方」と強がる「私」という対比として見るなら、「もう二度とは示せない強さ」を単純に捉えても良いかもしれない。
貴方に逢って孤独を知った
だから失って今更ながら また貴方を識った
1サビは、「だけど失った今私は初めて 本当のひとり」だった。
1サビの時は、残された「私」へフォーカスされたが、ここでは「貴方」の方だ。
もし「貴方」がいたなら何と言ってくれただろうかなどと「貴方」のことをさらに考え想像し、一緒にいたときには気づかなかった側面に気がつく。
言葉が宙に舞って枯れたとき
やっと私は気付いた
本当にひとり
「ああそうか、こういうことだよね」と思わず発した言葉を受け止める人はそこにおらず、宙に霧散する。
広い部屋の中、「私」はひとり佇んでいる。
以上が、歌詞に関する私の想像だ。そして以下は音楽について。
の前に、ここで東京事変『大人』バージョンを是非お聴きいただきたい。ラストにどんでん返しがある。
長谷川きよし版は、深みのある男性の声のため、「私」は「どうか帰ってもう一度だけ」と口では言うものの、どこか諦めているような分かっているような諦観を感じる。
一方、椎名林檎版は、少し鼻にかかるような甘い女性の声のため、「私」はまだ諦めきれていない雰囲気がある。
長谷川きよし版はギター一本での歌のため、原曲のボサノバ風を出しながらしっとりと歌い上げる。
一方、椎名林檎版は、東京事変というバンドでの演奏だ。ボサノバ風のイントロから2番まで歌い上げる。
そして、最後の歌詞「本当にひとり」と歌い切った直後、アウトロで曲調が一変する。
寡聞にしてあの曲調を何風というのかは知らない。
急速なテンポ、車のクラクションのような音で鳴るトランペット、ネオンがちらつくような都会の夜景を思わせる。
この変調は様々に解釈されているが、私は以下のように感じた。
音楽が止まりそうな歌い終わりの直後に駆け抜けるスピードは、どこか踏切やプラットホームからの飛び込み自殺を連想させる。
「貴方」の死がどうしても受け入れられない「私」はとうとう後を追ったのではないか。
この曲のタイトルは「化粧直し」。化粧直しをするとしたら、いつだろうか。夕方・夜に外出をするとき、誰かと会う前だ。
だが、歌詞を見るとおり、「私」はずっとひとりだ。「貴方」はすでに亡くなっている。もしも「貴方」に会う前に化粧直しをしたとしたら、それは後追い自殺をするということなのではないだろうか。
聞き手に様々な解釈の余地を残しつつ、ストーリーが展開していく緻密な構成と、大胆なアレンジ。紛れもなく名曲である。
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