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【連載小説】第5話 白山の蛇 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門


第5話  (約3300字)

「仁雅様」

 俺の顔を見ると嬉しそうに紫乃が微笑む。その笑みに自然と顔がほころぶものの、昨夜の綾乃の顔が重なる。痴態を晒すまいと耐える顔。さりげなく椿へと視線を移す。

 思わず紫乃のその顔を想像してしまい、強く目を閉じる。腹の奥底にその表情を見たいという欲がある。そのことに気がついた。同時に、この花のような微笑みを守りたいとも思う。

「お顔色が優れぬようです。よく眠れていますでしょうか」

 目を開けると、不安そうな顔で覗き込む紫乃の顔がある。俺は口の端を上げてみせる。

「心配ない。皆からの心配りをいただき、快適に過ごさせていただいている」

 彼女は眉根を寄せたまま、口を開く。

「お勤めが大変でしたら澪に相談してみてはいかがでしょうか」

 その言葉で思い至る。彼女は俺が何のためにここへ来ているのか知っている。毎夜何をしているのかを知っているのだ。

 思わず視線を避けるように、口元を押さえ半歩ずり下がる。今すぐ彼女の視界から俺の姿を消し去りたい。

「仁雅様」

 半歩近づき見あげる眼差し。否、この眼差しを独占したい。相反する感情が激流のように渦巻く。

 今のこの使命が無ければ。
 否、この使命があればこそ。
 否、この場所ではない別の形で彼女に出会えていれば。

 俺はしっかりと根付いた椿へ目をやる。

「紫乃。お前はどうしてここにいるんだ」

 思わず言葉が漏れていた。考える前に出た言葉はもう無かったことにはならない。

 彼女は一呼吸置くと、椿へ振り向く。

「西園寺は平安の世からこの地に住んでいます。守るべきものがあるのです」

 俺の質問を、個人としてではなく家として答える。その選択を悲しく思う。

「一体何を守る。移動も許されないほど、そんなに重要なものがあるのか」

 彼女はすっと顔を上げ、遠くを見つめる。視線の先は、屋敷の奥にある山の中腹。

「あの山に、騰蛇とうだが祀られているのです」

騰蛇とうだ……!」

 予想外の単語に、思わず叫びそうになる。

 騰蛇。かつて安倍晴明が使役したという十二天将の一柱で、炎に包まれ羽の生えた蛇の姿をしているという。

「その時代、安倍晴明の身体が失われるとともに十二天将は放たれました。吉将は良いのですが、凶将は何としてでも抑え込む必要があったのだそうです。先祖はあの山へ騰蛇を眠らせることに成功しました。以来私たちは眠り続けさせるためにここにいるのです」

「そんな話、聞いたことがない。五家は知っているのか? 今の安倍晴明の生まれ変わりとやらが完全に封じ込めることはできないのか?」

 彼女は椿へ視線を戻し、そっと花に触れる。

「御存じではないと思います。また完全に封じること、あるいは晴明様が再び調伏することは可能ではないかとも思います。ですが」

 言葉を切り、俯く。唇が震えているのがわかる。

「騰蛇を調伏すること。手中に収めることが西園寺の悲願なのです」

 言葉を失う。五家に隠して西園寺が騰蛇を手に入れようとしているのだ。それが叶えば力関係は大きく変化するだろう。だが、そのために千年にもわたり、一体何人の犠牲を出してきたというのだろう。それをこれから先も続けようというのか。

 俺はただ、そうか、と呟き部屋へ戻る。何も考えはまとまらない。様々な感情が大きく波打ち収集がつかない。何も考えず、ただ眠りたかった。



 この夜以降の相手には、名前を聞かなかった。もちろん仕事として丁寧に接する。いやむしろ、自分でも驚くくらい冷静に適切に対応していた。どこか感情の途中で壁があるのだろう。そう。これでいいのだ。

 昼の逢瀬も続いた。だがもう西園寺の話は聞きたくなかった。外の街の様子や、特産の果物や、祭りや流行りの芸事等、とりとめのない話をする。そうすれば、彼女は楽しそうに笑う。西園寺を語るときのような、苦しそうな表情を見ることはない。

 冬は次第に深まり、積もった雪は融けなくなる。俺がいられるのは春までだ。それまでこうして過ごせれば、それで良かった。だがそれは俺の一方的な望みだ。変わらない日々は突然終わる。


 最初に気がついたのは朝餉だ。廊下に置いてあるときにいつもある覆いが無い。盛りつけの色どりも味気なく、いつもに比べて味が濃い。

 当然のようにあったものが無くなった時、はじめて気がつくのだ。覆いがあったことで、埃を防ぐことはもちろん、多少は温もりが残った状態で食事を摂ることができていた。さりげなく入っていた緑菜や飾り切りの人参が食事に華を添えていたことに気がついた。しっかりと出汁の味が沁み込むことで塩味が薄くても美味しかった。

 俺は不安になり、早めに椿の前へ足を運ぶ。紫乃の姿は無い。肩に雪が積もるのも構わず、ただ待った。

 雪は音もなく降り積もり空も足元も椿も、見えるものすべてを白く覆う。彼女のいない世界に色は無かった。


 奇しくもその夜訪れたのは綾乃だった。誰よりも多い四夜目となる彼女には、最初の頃の針鼠のような印象はない。心を許されてはいないものの、当初のような敵意が見えない分、お互いに無駄な力が入らず事が運ぶ。

「綾乃。そういえば今朝方より食事の味付けが変わったように思う。いつも紫乃が作ってくれていると聞いていたが、体調でも崩したのだろうか」

 隣で横になったままの彼女に、俺はさりげなく訊ねる。彼女は二呼吸程置くと、思い至ったように口を開く。

「そうか。今朝方よりみそぎに入っているはず」

「禊? 何かあるのか?」

 少し視線を彷徨わせ、やがて俺と目を合わせる。

「話すことはできぬ」

「そうか」

 何か大切な儀式があるのだろう。部外者なのだ。聞き出すことは難しいのかもしれない。それでも。

 俺はそっと綾乃の頭を撫で、露出した肩へと滑らせる。冷えた肌を温めるように覆い、息のかかる距離で彼女を見つめる。彼女の瞳が揺れるのがわかる。わずかにまつ毛を震わせ、そっと目を伏せる。

「裏の山の中腹に祀られているものに対して、毎年一人の巫女を選び行う秘儀がある。今年は紫乃の番よ」

「騰蛇か」

 彼女は驚いたように目を見開いた。

「知っているのか!」

「ああ。西園寺が騰蛇の封印を守っている、という話は聞いたことがある」

 少し安堵したような表情を浮かべ、俺を見上げ続ける。

「騰蛇は夏に強まり冬に弱まる。毎年この時期に祀ることで、一年間抑え込むことができる」

「今年は紫乃の番、と言ったな。毎年巫女が変わるのか」

「無論。十八から二十歳までの顕現せぬものが筆頭よ。兆候が無さそうな女は極力人に会わせぬように過ごさせ、お館様の命により巫女となる。騰蛇は穢れを知らぬ巫女を喰らうというからな」

「巫女を……喰らう?」

 彼女の肌の上を滑らせていた手が止まる。言葉の意味が理解できなかった。

「実際にその光景を見るのは当の巫女のみだ。ただ翌日にはほとんど部位が残っていないというのだから、喰らうのだろう」

 俺は思わず半身を跳ね上げ、彼女の顔を見降ろす。

「人身供犠か! 何故そんな愚かなことを。姉を大切だと言ったのは嘘か」

 彼女は上体を起こし、俺の剣幕に驚いたように見つめる。

「何を怒っている。無論、姉は大切な人だ。巫女がいるからこそ西園寺は平穏に過ごせる」

「お前の姉だろう! 姉が死んでもいいのか」

「人間はいずれ死ぬものだ。大切なのはどれだけ西園寺に貢献ができるかだろう」

「お前は……お前は死ねと言われたら死ぬのか!」

「それがお館様の命なら」

 まっすぐに見つめる瞳に言葉が詰まる。

 彼女は本心だ。お館様の命で俺に抱かれ、お館様の命なら命を投げ出す。

 ようやく理解できた。西園寺はお館様を頭とした一個体なのだ。西園寺という家が個人であり、それぞれの人はその部位でしかない。頭が命じたことを手足はその通りに動いているに過ぎないのだ。こんなにも多くの人間の命と尊厳を粗末にする統制がまかり通るのは、それぞれに個人の意思が無いのだ。

 俺は服を整え、あるだけの符を懐に入れる。その様子を見て、綾乃が首を傾げる。

「こんな時間にどこへ行く」

 外套を羽織り、肩掛けを手に取る。

「終わりだ」

 俺は振り返ることもなく部屋を出た。



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