仮想現実について
こんにちは 猩猩以前です。
この世界は仮想現実である。
と聞いて、さすがにあり得ないと思いますよね。
僕は少し偏屈な人間だと思います。
「さすがにあり得ないだろう」
そう言われれば必ずと言っていいほど
「その固定観念は危険じゃないか」
そう感じてしまう。
特にほとんどの人が疑問にすら思わない都市伝説。
宇宙は本当に存在しているのか。 地球は本当に丸いのか。
そういったことですら、この目で見ないことには信じきれない。
だからこそ、様々な都市伝説を支持しやすいのかもしれない。あり得ないという固定観念がないからだ。
同様の理由で、熱狂的支持をしている物もないが。
言ってしまえば、ほとんどの説に対して可能性はあると思っている。
宇宙が存在しない可能性 も 多くの種類の宇宙人が存在する可能性 も信じている。僕はそんな可能性に見出した持論をnoteで語ることにしたのだ。
本記事では仮想現実について語る。
仮想現実とはこの世界が作られた世界であるというものだ。
とある知的生命体が作り上げたシミュレーターだろうか。
寿命=懲役である未来の監獄だろうか。
様々な想像が膨らむ。
僕は、この世界がゲームのようなものであると考えている。理由はもちろん楽しそうだから。
では、このゲームはオンラインだろうか、オフラインだろうか。それとも自分すら用意されたNPCに過ぎないのか。
僕は自分の中の常識を用いて考えてみた。
まず、オープンワールドにするのはむずかしいと考える。たとえ可能であっても、できる限りデータを減らすはずだ。
この予想から、基本的にはオフラインであると考える。
例えば、僕が部屋でこの記事を書いているとき、部屋の外は読み込まれていない可能性がある。
つまり世界はこの部屋の中だけで、プレイヤーも僕だけなのだ。
しかし、あくまで基本的にはである。
他人が視界に入った時点で一時的にオンライン状態となる。
僕が部屋を出て居間に移動したとする。その瞬間、母とオンライン状態となり、僕が最後に読み込んだ居間のデータに上書きする形で、母親と机の上のコーヒーが表示される。
この理屈で行くと、序盤に書いた地球は本当に丸いのかという疑問があり得ないこともなくなってくる。
地平線や水平線は表示限界。これで片付いてしまう。世界はドラゴンクエストのようなマップになっており、左端まで行くと右端から出てくる。
あくまで仮想現実である可能性の中の地球が平面である可能性だが、このようにあり得ないようなことが起こりうる可能性を見出せる。これがあり得ないと簡単に切り捨てたくない理由だ。
この人生がゲームであれば気が楽だ、嫌なことは辛いと感じるただのシステムだ。そしていずれゲームは終わる。
ゲームがオーバーするのだ。そして現実に戻る。
それからシミュレーションへの貢献度に対価が支払われる。
そんなSFもいいかもしれない。
猩猩以前 (@BeforeOrangutan)