見えているのに見えない目
朝、雨が降っていたので傘を差して出掛けました。
自分のロッカーには既に置き傘があり、2本一緒に傘を掛ける場所に引っ掛けました。
帰りも雨が降っていたので、朝持って来た半乾きの傘を置いて、置き傘を差して帰りました。
何故、置き傘!?
そんなアホな事をする奴が、実在するのか!!?
――ここに、いる。
自分は目には映っているのに、存在を認識できない事が良くある。
「見えているのに見えない」のだ。
冒頭の話で言えば、自分は2本の傘の内置き傘しか存在を認識できなかった。
もう1本の傘は、透明になってしまった訳である。
何もこれは「物」に対してだけではない。
「人間」も同じだ。
「自分を「●●●●」と言う名前の人物と知っている人間」には機敏に反応し、常に愛想笑いをし、もう一人の自分にいい加減やめろと冷たい目で見られているが、「自分を誰なのか知らない人間」は見えない。
長い一本道を車で走っていると、自分の前を走っていた車がいつの間にかいなくなっている。
曲がった瞬間は目に映っていたはずなのに。
全く記憶が無い。
しかし不思議な事に、交通ルールはきっちり守っている。
無事故無違反のゴールド免許だ。
気付いたら目的地に到着している、なんて日常茶飯事。自分は既に、車の無意識自動運転機能を実装しているのである。
道で沢山の人とすれ違っても、道端の雑草より存在感を感じない。
好みの雑草が生えているかだけが気になって、すれ違う人間は皆、目には映っているのに透明になっている。
どうやら自分をダイレクト精神攻撃して来る可能性のある人間以外は、見えない仕様になっているらしい。
(ネット上の自分を知らない他人が滅茶苦茶見えるのは、セルフ精神攻撃を受けてしまうからか?)
自分は常々周りの人々と別次元にいるような気がするし、生まれる星を間違えたとも思っている。
今の季節、窓の外の高い空を気持ち良さそうに飛ぶトンボを見る度に思う。
あー、トンボになりてぇなー。
なお、子供の頃羽にカラー油性ペンで落書きした件については、大変申し訳なかったと心の底から反省している。
ところで、こいつ最近最初の頃の記事と口調が変わっていないか?と思っている人もいるだろうが、これが素だ。
人に見せる前提の記事は、敬語で軽めのノリにしたりふざけたりしている。
独り言はそうする必要が無いので、本来の口調で行く。
頭の中で考え事をする時も、いつもこの口調だ。