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プロサッカープレイヤー、佐藤勇人@ジェフユナイテッド市原千葉【サッカー】
ジェフ千葉からまたサムライと呼ばれる戦える男が去る。
佐藤兄弟、双子のJリーガー。
寿人は、古巣を離れたサンフレッチェ広島で大成し、得点王にもなった。
勇人は、オシム時代のジェフで頭角を現し、チームの要になった。
オシムの言葉で、登場する勇人のストーリーは、どこかイケてるサッカー少年のそれで、今も風貌を見ればその面影は残るのだが、
オシム時代に、良い意味でサッカー選手たるもの、サッカーをしている間に休みはいらない、的な発想で、とにかくその後何年にも渡ってプロで歩める身体を手に入れた気がする。
阿部勇樹がまだ現役で出来ているのもあの頃に築いたサッカーへの真摯な姿勢によるところが大きいだろうと思う。
全てはここから始まってた。
— 佐藤勇人 (@satoyuto_7) November 23, 2019
最高の仲間と最高のライバルに出会えた事。
12歳からジェフのエンブレムをつけれてとても幸せだった。
いつの日か最後の優勝記念写真に、この時以上のアカデミー出身選手がいるクラブにならないといけない! pic.twitter.com/dlKvOLs2DP
Jリーグが開幕した頃、ジェフの練習場はJR舞浜駅からも車で15分はゆうにある、ディズニーランドのはるか後方の海のそばにあった。
Jリーグバブルとその地域生もあり、育成のジェフと言っていいかは別かもしれかいが、まさしく、千葉県北西部という少年から高校年代までサッカーが根付きまくった地で、優秀な子は、みんな地区のトレセンからジェフか柏のジュニアユースを目指しいた、そんな時代だ。
トップチームの練習の後で、ユースやジュニアユースも練習し、同じクラブハウスで過ごしてもいた。
その子たちが、大きくなり、ジェフの黄金時代を支えた。
実際には訪れていないが、苦笑
勇人が、Twitterで言うように、これから、是非育成からジェフのまだ見ぬ黄金時代を支えてくれるような、心身共に優秀なサッカー選手を生んでほしい、佐藤勇人選手には、そんな素晴らしい今後を歩んで欲しい。
(年下なのに偉そうですが)勇人、オシムという時代を楽しませてくれて、ありがとう。