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ジェフの前にまず鹿島

これはジェフと、カズさんを書こうとしているnoteで、ノーサイドでないサッカーにとって他チームは全てライバルであり、スポーツにおける敵ですが、カッコよくて、羨ましくて、素直にあっぱれな鹿島アントラーズ。まずここから、始めます。

Kazuさんも畏敬の念を頂く鹿島アントラーズ

以前、日経新聞のコラム「サッカー人として」の「名門がまとう空気」の回でKazuさんも仰っていました。


“話は変わり、イタリアの名選手、ロベルト・バッジョはACミランに加入してクラブハウスに来るや「ここが世界一である理由が分かった」と語ったという。

練習場やクラブがまとう空気が、そこが名門かどうかを物語る。

11月に練習試合で鹿島に出向いたとき、僕もそんなことを感じた。

スタメンから外れた選手による試合でも、鹿島アントラーズの面々の「試合に出たい」というハングリーさは、同じ練習試合をした浦和レッズとは違っていた。

 リラックスゲームでも遊びでもじゃんけんでも、「勝負がかかれば何であれ負けるな」というジーコの精神が見て取れる。

偉大な選手が何かをもたらしても、本人が去れば一緒になくなることは多いもの。鹿島だけは継承し、ぶれず、ブラジルのスタイルを貫いている。

いま日本で名門と呼べるのは鹿島だけだろう。”と。

当時は、「へぇ、Kazuさんでも鹿島のことをそのように思うのだ」くらいに思っただけでした。

名門がまとう空気

空気とは、なんぞや、を考えてみた。
例えば鹿島アントラーズで言えば、Zico(Kazuさん流に言うと、ズィコ)がいなくなった後も、Zicoの意思を受け継ぐだけでなく、それをチームのプレイスタイルや、ファンも含めたチーム力に変え、それを続けてきた、ということなんだろう。

でも、それくらいしか、理解というか、感じられてはいなかった。

今日、たまたま仕事でスポーツチームが運営するInstagramのアカウントをザーッと見る中で、特徴というか違いを抽出したりしてみた。

すると、なんか悔しいくらいに、カッコよくて、Instagramという文脈なんだけど、明確にはそこにファンを惹きつける、他にはないものがあった。

空気とは、スピリットであり、企業文化のようなものである

プロが分析すると、他の要素もあるのだろうが、鹿島アントラーズのInstagramには、他のスポーツチームアカウントには見られない、あるカテゴリーの投稿があった。

#sprit 単にこうタグを置くことから、横断幕にまで見られる#sprit of zico まで様々だが、Zico本人の現在の鹿島との関わりはもちろんだが、単にスピリットの部分だけを黒に白抜きの文字バナーだけで、語ったり、Zicoの白黒若しくはセピア調の顔写真にメッセージだったり、そうした投稿が、散りばめられている。

選手へのフォーカス、チームの戦いについてのフォーカス、練習、オフ、チームマスコットなど、一般的なスポーツチームのアカウントの代表的な発信はこうだ。

ところが、鹿島アントラーズは、自分たちが鹿島アントラーズたる所以をきちんと理解している。

もちろん、カッコイイ、うまい、イケてる、様々な理由からサッカーファンになってもらうこと、鹿島ファンになってもらうことは、苦しい低迷時代を歩んだ全てのJリーグチームが否定しない。

ただし、だからこそ、本当のサッカーファン、鹿島アントラーズファンにもなって欲しいのだ。

そんな時、鹿島は1993年の開幕時代からのファンを大切にしつつ、新たなファンにも、私たち鹿島アントラーズとは何者であるか、を伝え続けているのだと思う。

Instagramの世界観での、スポーツのアカウントでの投稿から、たまに垣間見え、そして、圧倒的な存在感をはなつ、スピリット。

確かに名門と呼べるチームは鹿島アントラーズをはじめ、数チームしかないのかもしれない。

名門がまとう空気とはすなわち、チーム創立からの大切にしているスピリットのことで、それは企業でいうところのその企業に根付いた文化と同じようなものではないだろうか。


県を接する仲であり、同じオリジナル10の一角であり、名門丸の内御三家の一つである、我がジェフユナイテッド市原・千葉が、J2から長らく上がれない原因の一つを見た気がした。

この鹿島とZicoの関係とスピリットをみるにつけ、例えば多くのジェフファンが、そして、日本のサッカーファンの多くが、感動の数年間を味わった、イッビツァ・オシム御大から、ジェフというチームは何を学んだのだろうか、と私は不思議でならない。

昔はサポコミにも出たが、今はどうなのだろうか。

フラットな気持ちで、是非鹿島アントラーズに学んでみたもよいのではないだろうか。




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