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座標と空間と価値
この空間の1点をx軸、y軸、z軸を表す。
これをこの点と仮称しよう。
この点はこの宇宙が発生した時からこの点で、この点以上でも以下でも無く何億年もこの点だ。
何でも無い空間だ。
例えばこの点を内包する様に建物を建てたとしよう。
または何か容れ物の容れ物部分をこの点を内包する様に置いたとしよう。
容れ物、建物の原理的な価値は空間部分だと思う。
もちろん、容れ物や建物の芸術的な外観の価値はあると思う。
でもそれは少しトリッキーな価値観で、
やはり使うのは中身だ。
そうすると何でも無い空間だったこの点は急に意味を持つ、いや持たされる。
この点は責務を負わされる、住民の安全や食品の保存等だ。ありがたいありがたいと使用者には感謝される。
この点からわずか座標の違う点、その点と仮称する。
こちらは内包されずに相変わらずなんでも無い空間のままだ。
相変わらず感謝もされ無い座標、認識もされない座標、価値が付加されてない座標、その点だ。
この点もその点もただそこにあるだけだ。
これまでもこれからも。
建物や容れ物が朽ち果てて無くなればこの点もまたその点と同じく何の意味も付加されていない空間に戻る。
とある座標だ。
この点もその点も何もしてないのに勝手にもてはやされ、忘れられて。
こんな事を未来永劫繰り返すんだろうな。
私はこの事を考える時、点視点から見ると勝手もんだなって思ってしまうのだ。
別の見方をすれば何でも無い空間に付加価値を付ける建築物や容器は凄い。見る者を感動させる芸術的価値を持ちつつ内包する空間の概念を変える代物。
紙でも棒でも組み合わせて、誰でも簡単に価値の有る空間を創り出せる。
これはもはやアートと言っても良いのでは無いか?
その理屈からするとジェンガは高度なアートなのだ。
え?
良いから早く抜けって?