日本の麦酒歴史ができてから ❹
麦酒伝道師を目指しています重富です。
日本の麦酒誕生の地(重富説)での初上映会を終えました。これからは、全国で上映会+スイングカランで重富がビールを注ぐという「ビール付き上映会」を開催していきます。翌月に開催した上映会をお伝えします。
【過去投稿】日本の麦酒歴史ができるまで ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ 開拓使麦酒仕立て 番外編 できてから ➊ ➋ ➌
経堂「さばのゆ」さんで上映会
北海道後の最初の上映は、経堂さばのゆさんで開催させていただきました。開催日の前日の広島発羽田行きの最終便で、羽田のホテルで前泊します。
晩御飯は、広島人の「お弁当」むすびのむさしの「若鳥弁当」です。機内で販売しているビールが「新潟ビール」ちゃんと、カップも付いてきます。※二度注ぎです。
ホテルは羽田空港に隣接している感じです。飛行機好きの方にはたまらないホテルですね。(あとで調べたら、空港からホテルまでシャトルバスガあった。)
経堂に向かう前に、できるだけ時間をつくってきたい場所。エビスビール記念館で、スイングカランの原型の展示にご挨拶をして、ビールで乾杯します。(2人で乾杯してますが、誰だったか思いだせません誰か名乗り出てください。)
経堂に移動して、映画とスイングカランのセッティングです。北海道で数回組み立てているのですが、なかなかスムースにはいきません。
会場は超満席でした。初日の上映会には、お忙しいなか、サッポロビールの高島社長と老舗ビヤホールニユートーキヨーの森社長もお越しいただきました。ありがとうございます。映画上映後は、スイングカランで注がせていただいた「サッポロ黒ラベル」で乾杯して、交流を深めてもらいました。
経堂と榎本武揚
上映前と上映後に、少しだけ重富がご挨拶させていただく時間をいただきました。終了後、経堂の方からこんなコメントがありました。
「経堂と榎本武揚の関係をご存知ですか?」と…重富はまったく見当もつきませんし、参加された皆さんもほぼわからない様子でした。
その方は続けました「経堂には、東京農業大学があります。その大学の創設者が榎本武揚なんです」と… 重富はみなさんとは違った意味でビックリします。
重富には、東京農業大学卒業の友人が沢山います。かられは「醸造学科」を卒業しています。日本で「酒」を勉強する若者の多くは「東京農業大学醸造学科」卒業なのです。
監督との葛藤
映画が出来上がりかけた時、監督から「函館戦争のシーン、ビールに関係ないし、長くなるのでカットしようと思うのだけど…」と。瞬間的に「ここは絶対残さないといけない」と感じた重富は、監督に削除しないようにお願いしました。榎本武揚と東京農業大学のことは全く知りません。もしかすると、このシーンを残したのは「ビールの神様」の仕業ではないかと感じます。
横浜へ
翌日の夜もさばのゆさんで上映会があります。昼間は上映会の打ち合わせに横浜に出かけました。桜木町から徒歩で野毛に向かいます。そこには、よくテレビで見る飲食店の風景がありました。
上映会を企画してくださったのが、ルビチノのマスターです。(ウナ カサ デ グビグビ エル ヌビチノ)
打ち合わせが終わった後に、外人墓地に行きたかったので車で正門まで送って頂きました。お墓参りに訪れたのがスプリングバレーブルワリー(後のキリンビール)創業者のウィリアムコープランド。
その後、徒歩で「映画撮影地を巡る旅」です。
その後、東京に戻り、別の上映会希望会場で打ち合わせです。
日本百貨店「さかば」※現在は閉店されています・
2日目の上映会も無事に終了し、経堂の行きつけのお店で「打ち上げ」です。翌日は「生ビール大學」開催の為につくばに向かいました。
大學開催後は、スイングカランでのビール注ぎイベントです。
生ビール大學の休憩時間に、是非見たいということで「日本の映画歴史」を鑑賞していただきました(感謝)
開催してくださったこちらのお店は、openしたてでした。重富をきっかけに多くの方に来て頂いたようで良かったです。
今日はここまでです。
函館戦争で、榎本武揚の命を黒田清隆が救いました。その榎本武揚が、明治になり、酒を勉強する若者たちの大学を設立する。そして現代のビール醸造を勉強する若者たちに繋がっていきます。この話を伺った時は、本当に鳥肌が立ちました。