見出し画像

スクリーンセーバ的休息

エッセイ
テーマ『スクリーンセーバ』

上手に休める人に憧れる。
僕は何もない空白の時間を作ることに対して何故だか罪悪感があって、休みの日でも予定を入れる癖がある。友人とごはんに行ったり、特に欲しいものはないのにウィンドウショッピングに繰り出してみたり、落ち着いた休日というには身体の疲れが取れにくい過ごし方をしてしまう。
自分のやりたいことをやれているのだから良いのでは、と見られるかも知れないのだが、僕の面倒な視線がものを斜めから視界に捉え、見るに耐えないあんぽんたんな精神疲労がたまっていく。

先日は珍しく早起きができたので、朝から料理をした。
フライパンでお湯を沸かしてパスタを茹で、一つまみの塩とほんだしと鰹節を入れる。汁気がなくなるまで待ったらチーズと一欠片のバターを混ぜ込み溶かして、最後に卵黄を合えたら出来上がり。
卵かけご飯をパスタに応用したような手軽な料理だったけれど、満足いく味がした。料理をテーマにしているYouTuberが紹介していたレシピだった。手軽さと美味しさが両立できるのだから、また作ることができれば良いと思いながら、その機会は寝坊という怠惰でなかなか来ないだろうと思った。
惰眠を貪るのは好ましいことではないし、早起きが三文の徳であることは分かっているが、板につかないまま生きてきたので仕方ないと言い聞かせた。

お皿洗いも難なく済ませ、録画しておいた『鎌倉殿の十三人』の第一話を流し始めた。これは年を明けてからの話であるから大河ドラマはすっかり新しいものが始まっていて、流行りから一番遠いところで北条の行く末を見守っているのが自分でありそうだった。
一話目であるからか、世間の評価ほどの面白さを見出だすことはできなかった。状況説明と登場人物紹介に重きが置かれており、歴史の授業をハイスピードで受けてるような感覚になった。
それと、それぞれの演者がみんなビックネームすぎるが故に、役と結びつけるのが難しかった。僕は邦画や日本のドラマを見ることがあまりなくて、海外の作品を好んで鑑賞しているのだけれど、その弊害が出ているように思った。
日本の俳優はバラエティ仕事での振る舞いが目につくので、その印象が拭えなかった。仕事のために演じているんだよな、という思いを役の向こう側に透かしてしまったのは、没入しきれなかったからなのか、僕の斜に構えた態度のせいなのか分からなかった。

鎌倉幕府辺りの出来事をざっと調べたあと、買い物に出掛けることにした。欲しいものや、必要に駆られるほど不足しているものがある訳ではないのだが、なんとなく外に出るべきだと思った。充実は家の中にあらず、という世間様の謎の圧迫感が僕を玄関から弾き出したのだと思う。
無印良品を物色していたら、カカオトリュフの塩キャラメル味を見つけたのでなんとなく買った。店員さんは無表情で、仕事のマニュアルを完遂することこそが是とするような振る舞いだった。無印だ、と思った。
近くのUNIQLOに足を延ばしてみたら、仕事で知り合った別店舗の店員さんが応援に来ていたようだった。遙々こんなところに来てるんですねと声を掛けたら、どこにでも飛んで行きますと愉快に応えてくれて、少しだけ笑った。給料が上がるぶんやる気も比例しているのだろうか。

雑貨屋を覗いてみたら、ショーケースの中にあるものは取り出すから声を掛けてくれと言われた。
見るだけで満足するピンバッジや手触りの良さそうな革財布、本気で握れば割れてしまいそうな薄張りのグラスなどが飾られていて、用途の共通項はなにもないけれど、どれか一つが好きな人は他もまとめて好きだろうという取り揃えだった。展示した人のセンスに脱帽した。
ものの使い方で並べるとお店に来た感じがするけれど、嗜好に沿って展示したなら家の一角にあることが想像できる。その空間を切り取って持って帰ってしまいたいくらいだった。買ってしまいそうだからケースの解錠はお願いしなかった。

そんな風に時間が潰れて夜になったので、職場の同僚たちとの待ち合わせ場所に急いだ。すっかりネオンサインが目に痛い時間になっていて、夜に生きているみたいな人たちが歓楽街に向かって歩いていたから、僕もその波に乗った。
待ち合わせていた二人はすでに到着していて、その内の一人は、僕が着くなりヘパリーゼを渡してきた。明日は朝からだって聞いたので、とやけに気が利く振る舞いだった。
九州の串焼き屋さんを予約してくれていて、のれんを潜ると狭めながらも綺麗な佇まいの新しいお店だった。メニューが壁一面に張り出されており、おでん盛り合わせやポテトサラダ、コロッケ、かわ焼串などを頼んだ。
千ベロセットを最初に注文していたので、ドリンク交換用の簡易的なメダルを渡されていた。僕の青色のメダルはビールに換わっていった。カウンターの中では捻りハチマキを巻いたおやじさんが串を焼き、三角巾のようにタオルを巻いたお姉さんがフロアをかけまわっていた。

下らない話と仕事の話のシーソーゲームを繰り返していると閉店の時間だと告げられ、気づけば五時間も同じ店に居座ってしまっていたことにそこで気がついた。
ヘパリーゼをくれた同僚は、婚約者の仕事の異動に着いていくためにお店を離れる予定だったので、半分送別会みたいなものだったから、なんとなく浮わついて時間を忘れてしまったのだった。
終電までそこそこ近い時間になってしまったので、早歩きで駅まで向かい、各々の日常へと帰っていったのだった。

スクリーンセーバ、である。
なんだか全く関係ないような話運びになってしまい、テーマに興味を持って読んでくれた人は三々五々にバックボタンを押したんじゃないかと思っている。
いや、そういう人は、テーマがスクリーンセーバだから読もうというよっぽどな物好きなのだから、ここまで読んでくれている可能性もあるかもしれないけれど、それにつけても遠いところにある話を持ち出してしまった。

このテーマで何かそれらしいものを書くというのが至難の業だったので、とりあえず、スクリーンセーバとはなにかを考えた。
PCをつけたまま放置した際に、画面をそのままにしてしまうとモニターが焼け付き、劣化が生じてしまう。その為、放っておいた時には何らかのアニメーションが写し出されそれを防ぐ、という算段である。
つまりモニターにとっての「ちょっとお休み状態」がそれであり、スリープとはまた違ったお休みなのだろう。
スリープは使い手がPCを使わなくなった区切りとして行う手筈であって、はい、Googleとかでものを教えてくれてありがとう、動画を再生するのも疲れたでしょう、しっかりと休んでおくんなまし、というものだ。
スクリーンセーバは確かに休んではいるのだけれども、画面には忙しなく何かが写し出されている。使われることはなくても、目は開いたまま、腰を据えて休んでいるわけではない。

僕は会社から、休んでおくれと休日を貰っているのだけれど、上手にスリープモードに入れない。
同僚とのふざけた会話の合間に仕事のやり方の話が挟まったり、居酒屋の大将とバイトの動きをつい見てしまったりする。雑貨屋の陳列は勉強になるし、UNIQLOと無印良品の店員さんの素行にも目が向いてしまう。俳優の仕事ぶりが気になって話に集中できないし、YouTuberの料理を作りながら収益のことを考えて、お金の稼ぎかたを思ったりする。
一日を通して仕事のことを考えないで済む日があればそれは最高の日だと胸を張って言えるだろうが、僕の休みはスクリーンセーバ、絶え間なく仕事のことが脳みその底の方から稲妻みたいに光を発して止むことがない。

それが止まれば良いのだが、止まったときには休みという怠惰で僕が焼け付き、どうしようもない体たらくになってしまうのかもしれない。
怠惰が癖になったら人として見てられないから、これくらいが丁度良いのだ、と自分に言い聞かせながらこの文章を書き進める僕の頭の裏側では、やっぱり明日の仕事の数字のことがチラチラと輝き続けているのだった。

著:藍草(https://twitter.com/aikusa_ok)

いいなと思ったら応援しよう!