腎臓の手術をしたら足に痺れが残っちゃった話
はてなブログのほうでも書いたことがあるのですが、あまりにも読みにくいのでちょこちょこ手直ししたり付け加えたりしてnoteにあげてみることにしました。しかし思ったより長くなってしまった。これを読んでくれたあなたが、ちょっとでも元気に、前向きな気持ちになるといいなぁ。暇つぶしになりますように!
一夜にして世界が一変する
腎臓の病気が見つかった。
新入社員になり、もうあと一瞬きで令和になる、そんな春のことだった。中学生のころにでっかい病気が見つかってともに生きてきたけれど、またかという気持ちだった。わたしは悲しいことに病気の引きが良いらしい。全ッ然嬉しくない。
この腎臓の病気を受けて、昨年9月に腹腔鏡手術をした。お腹には穴が開いたけれど、なんとか手術が無事に成功した。めでたしめでたし。
……なんて、現実はそんなに上手くいかなかった。いや、腎臓のほうは上手くいったのだ。腎臓のほうは。
おかしいなと思ったのは手術をした翌日のことだ。
股関節から爪先まで、右足に大きな違和感があった。ゴムのようなものをきつく巻き付けられているような感覚だ。思わず看護師さんに問うた。
「何かわたしの足につけてますか?」
「いいえ、何もつけてませんよ」
ゾッとした。ゴムみたいなのは自分の足そのものだったのだ。
正座したときの痺れなんかじゃないビリビリした感覚に襲われて、自分の意志で動かすことが出来ない。
右足が痺れていた。
自分の足だけど、自分の足じゃなくなった。一夜にして世界が変わった夜のことだった。
ドとレとミの音がでない
手術は全身麻酔で行われた。背中にいれたチューブから麻酔剤が注入されていた。幸い、そのチューブを抜き取ると股関節のあたりから太もも、ふくらはぎ、下へとむかって徐々に痺れはとれていった。
しかし、おかしい。くるぶしより下、はっきりと痺れが残っている。
24歳で結婚したい、なんて無邪気に夢を語っていた小学生の頃の自分を思い出す。この歳になってからは「ヤバ、あと1年じゃん~」なんて友達と笑いあっていた。
全てが音を立てて壊れていく。
暗い未来が頭をよぎる。
23歳、ずっとこのまま痺れと付き合っていかなければならないのか?ゾッとした。
毎日、不安に襲われた。お腹に開けた4つの穴の痛みなんて屁でもない。頭を占めるのは痺れの残った右足のことだけだ。麻酔科医は「手術をして痺れてしまうことは、ある。けれどそのうち治るよ」といった。他人事の物言いに腹が立った。元を辿ればお前が、という言葉はぐっと噛み殺す。医者に八つ当たりしても仕方ない。結局、縋ることしかできない。それがまた、虚しかった。
麻酔科医の言葉を裏切るかのように、退院してもわたしの右足は痺れたままだった。それどころか痺れが取れる気配すらなく、10月に入ると痺れた右足が激しく痛みを主張し始めた。痛みを10段階で表したとしよう。全く痛くない普通の状態が0、痛すぎて泣きわめくような状態が10。わたしは常に8くらい、痛みが強くなると10をも超える痛みがあった。
激痛。立とうと足に負荷をかけると痛みが増す。足裏が常にジクジクとやけどをしているような熱い感覚があった。鋭利なナイフで常にザクザクと刺されているような痛みも伴う。わたしが愛していた平凡な日常は壊された。外傷とはまた違う、神経の痛みに狂わされた。歩くことさえままならない。歯を磨く数分すら立ちっぱなしでいられない。靴下を履くのもタオルケットが足に触れるのも、とにかく刺激となる。痛みに叫ぶ自分の足を優しく撫でることすらかなわない。
こわれたロボットみたいに、「辛いのは今だけ、辛いのは今だけ」と何度も何度も唱える夜を明かした。何だかみじめすぎて、泣けた。
何もしてなくても勝手にぼろぼろ涙が零れてきたし、朝起きたら勝手に涙が出てきたし、夜は眠れなくて涙が溢れてきたし、スピッツの歌を聴くと泣けてきたし、インスタグラムを開けば友人があまりに眩しくて泣けてきた。自分がこんなに苦しんでいても、他人にとってはそれこそ他人事にすぎない。羨望、嫉妬、惨めさ、全てが苦痛でインスタを開けなくなった。
怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになった。何でこんな目に遭わなきゃいけないのだろう。理不尽な現実を怒りに変換すれば楽だった。八つ当たりすれば楽だった。だけど、心がすり減って、かえって痛みが増したような気がしたのはきっと気のせいではなかったはずだ。
泣きながら、ふと浮かんだのは「クラリネットをこわしちゃった」という歌だった。とても大事にしていた、ドとレとミの音がでない、クラリネット。何だか自分がクラリネットのような気がした。両親からもらった大事な身体。病気に蝕まれてしまった身体。とっても大事にしてたのに。わたしはこわれてしまったクラリネットだと、あのときは本気で思った。(今となってはこの思考クソ恥ずかしいものすぎるんですけどね)
ここで一度、心がぽっきりと折れてしまった。
病院求めて三千里
悲劇のヒロイン思考をしていても仕方がない。心が折れようが折れまいが、生活に支障をきたしている。何とかかする手立てを見出せないかと病院を受診する日々が続いた。大学病院含め、5つほどの病院をまわった。
行きついたのは 「ペインクリニック」というところだった。存在すら知らなかった。病院慣れしている自覚はあるし、あまり緊張しないタイプだけれど、その日ばかりは正直緊張していた。
『痛みを音で表すとどのようなものですか?』
うおー何だかペインクリニックならではの質問だなあ。ビリビリ、ザクザク、ジクジク等と問診票に書き込んでいく。ひとりの看護師さんがわたしの問診票に目を通した。
「痛みや痺れはいつから? 一ヶ月以上前から!? ……よく耐えたね、辛かったね」
看護師さんの言葉に何だか胸がいっぱいになりながら、ふいに横にいる母をみた。
号泣していた。待合室で、他の患者さんだってたくさんいるのに、それはもうどぱーっと。
それを見たらもう、だめだった。
わたしまで視界がぼやけてきて、思いっきり泣いた。病院で。
わたしは両親のこと好きじゃなくて、全く口をきかないことだってよくあって、最近は感謝の気持ちもすっかり忘れていた。だけど、足が痛いと泣き喚くわたしの足をさすってくれていたのは母だった。毎晩「今日は寝れるといいね」と声をかけてくれていたのも、母だった。
そんな母がぼろぼろ泣いていたものだから、わたしが泣かない訳がなかった。
どの病院にかかればいいのかわからず、手あたり次第色々な病院に足を運んでいた。しかしこれまで自分が納得のいく診断結果に巡りあうことができなかった。看護師さんの「よく耐えたね、辛かったね」という言葉は一見するとありがちなものかもしれない。けれど、その優しくて。ああ、辛かったのを認めてもらいたかったんだなあって、それだけでこんなに救われるのかって、そんなことを思った。
車椅子生活で見えたこと
ブロック注射や処方された薬を飲んでいた。11月を過ぎたころ、もっぱら移動の手段は車椅子だった。
車椅子といえば小学生の頃、車椅子体験の時間があった。2人1組になって交代で車椅子を押して校内をまわる。貴重な体験だったけれど、正直その体験は意味を為さなかったと今は感じている。だってあれは用意されたシチュエーションでしかないのだ。
車椅子に乗ってみて、「前を向いて歩いているひとがあまりにも少ない」という現実を知った。
歩きスマホ。病院でのお会計の際に電光掲示板に表示された番号を見ながら。人と愉快に会話を交わしながら。様々なシチュエーションで、人は前方以外のどこかを見ながら歩いている。かくいうわたしもこれまで歩きスマホ、やってたなあ。
しかし、立場が変わると恐ろしい以外の何物でもない。コワ~~~!! 前!! 前向いて~~~!!! 何度も声がでそうになった。
車椅子に乗ると、当たり前だが目線はぐっと低くなる。だからこそ、大きくても小さくてもどんな身長の人でも「みんなでかいひと」だ。そんな人たちが前を見ないですたすたこちらへ向かってくるのは恐ろしくてたまらない。人と人の隙間をかいくぐり、ぶつかるのを避けるのがやっとだった。
車椅子で生活している人の苦労を垣間見た。長らく車椅子に身を預けているひとは、きっともっともっと人に気付かれない苦労があるのだと思う。それはきっと、わたしの想像を絶するものかもしれない。大変だと口にするのは簡単だけれど、その大変さに寄り添うのって、難しい。「車椅子の方は大変」だけで終わらせたくないと思った経験だった。
しかしながら嬉しかったこともある。
エレベーターのドアを開けて待っていてくれるひとがいた。「どうぞ~」と待っていてくれたのだ。「どうぞ」の優しさ、すごすぎる。それはシンデレラが一瞬で綺麗になるような華やかなものではないけれど、たしかにひとりの人間をしあわせにする魔法だった。わたしもあんな大人になりたいなあ。
あまりにじーんときて、マスク越しに呟いた「ありがとうございます」がちゃんと届いていたか定かではない。もっと大きな声でお礼を言えばよかった。
そして現在
現在、2020年4月。新入社員のくせして、もう半年以上も会社を休んでいる。「ゆっくり治して」と言ってくれる優しい会社だ。だからこそ、しんどい。待たせるのが心苦しい。待たないでほしい。心はとっくに離れている。たぶんわたしはもう戻れない。どう生きていこうか。何をして生きていこうか。答えが出ないまま、何となく毎日を浪費している。
昨年10月に比べたら痛みはその比ではない。きっと良くはなってきているのだと思う。杖をつきながらだが、たまに外を出歩いたりすることができるようになった。だけどわたしの右足、未だに痺れてるし、痛いし。
強めの神経系の痛み止めを飲んでいる。「こんなのふつう副作用で起きてられないよ」とお医者さんは笑っていた。笑えなかった。眠気もこない。気持ち悪い。左右で感覚が違うこの足が、気持ちが悪くて仕方がない。
たぶんわたしはこの半年足らずで、他のひとが経験しないようなことをたくさん経験した。この経験があったから今の自分があるなんてことは言いたくない。まだそこまで、大人になれない。
ただ他のひとより、手術をする前の自分より、ちょっぴりやさしくなれるような気がした。元気そうに見えるあの子も、疲れたサラリーマンも、右往左往しているご老人も、優先席に座っている若者も、目に見えない痛みに苦しんでいるかもしれないと、想像できるようになった。「どうぞ」の魔法、使いたい。
頑張る。毎日そう言い聞かせて、新しい日々をなぞる。腎臓の手術をしたら右足が痺れて痛くて、それだけだ。ちっぽけなことなのだ。
ドンマイわたし。しゃあないよ。
こんなちっぽけなことで苦しめられている自分に負けたくない。だってわたしは超~~~強くありたいんだ。
痺れのとれないこいつと、当分一緒に生きていく。ドとレとミの音がでないけれど、そんな自分を愛することができますように。それがいまの自分の目標だ。
だけどもし神様がいるのなら、一発グーパンするくらいは、許してくれよな!!!