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遠藤正二朗 完全新作連載小説「秘密結社をつくろう!」第10話 ─世界の果てまで逃げのびよう!─Chapter9-10
前回までの「ひみつく」は
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【前回までのあらすじ】ある日、手にした謎の「鍵」によって無敵の身体能力を手に入れた山田正一(やまだ まさかず・29歳)。彼はその大きな力に翻弄される中、気になる存在になりつつあった後輩を失うことになってしまう。最初の事件で縁ができた若き敏腕弁護士の伊達隼斗(だてはやと)に支えられながら、2人は「力」の有効な使い道について、決意を固め、会社を起業する。まるで秘密結社と思えるような新会社"ナッシングゼロ"に3年ぶりに会う、実の兄・山田雄大が入り込み、マサカズの秘密を知ってしまった彼はそれを暴露しようとし、最悪の結果を迎えることに。これからは真っ当な道を進もうとした伊達とマサカズはあるルートからその受注に成功し、新たなミッションをこなす中で、バスジャック犯を撃退する活躍も見せていた。そんな中、マサカズと伊達の元に非常に高い能力を持つホッパー剛という青年が現れる。ホッパーが活躍する中、伊達を凍り付かせる一報が入り、それをきっかけに伊達はマサカズに事業を辞めることを申し出る。そんな中、マサカズはホッパー剛に鍵の秘密と力を託してしまい、歪んだ暴走の矛先は伊達に向けられ、マサカズが駆けつけた時にはもう…。その後、マサカズの元には新たな5人の若者たちが集まっていたが、そこにポッパーが現れ、戦いを挑むが惨敗。ホッパーの追撃をかわしたマサカズは雷轟流道場で短期間の修行をし、ある秘策をもってホッパーを撃退する。逃避行の旅に出た先でマサカズはある男と出会った後、自らの地元に降り立ち、いまだ自首をしない幼なじみの葉月にあるものを託す。その先にたどり着いた北海道の地でマサカズは異常事態に巻き込まれるが、マスクマンの格好で救出劇を遂げ、今度は南の地、那覇へと降り立った…。
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第10話 ─世界の果てまで逃げのびよう!─Chapter9
両手で抵抗を払い、両足で押し蹴り推進力を得る。ゆっくりと、確実に前進していく。泳ぐのは高校を卒業して以来だ。飛行機での移動もそうであり、この那覇という場所はなにかと“十二年ぶり”という括りを思い出させる土地だ。長さ八メートルほどの小さいプライベートプールを平泳ぎで泳ぎ切ったマサカズは、タオルで身体を軽く拭くと、プールサイドのチェアに身を預けた。太陽は頂点に達し、陽光が燦々と降りそそぎ、気温は二月七日にして二十度に迫ろうとしていた。マサカズはテーブルからマンゴージュースのグラスを手に取ると、それを宙に掲げた。このプールは部屋に備え付けられた個人用の娯楽施設なので、サウナのように乾杯を勘違いした酔客が絡んでくる心配はない。だからこそ彼は、底抜けに人の悪い笑みを浮かべていた。
雨の中、子供の様に拒絶を叫んでから、心の病みは確実に進んでいた。ホテルの部屋にもアルコールを持ち込み、酔い潰れるまで杯を重ねていたせいで、朝晩の生活リズムは破綻し、昼まで呑むこともあれば、深夜にコンビニエンスストアまで肴を買い求めることもあった。そして、浅い眠りは悪夢を誘発した。伊達が朽ち果て、久留間たちが血の泥濘に吸い込まれ、彼らは怨嗟のうめき声を低く、重く、鼓膜の奥まで轟かせ、それが限界に達する度、吐き気と共に目が覚め、便所に駆け込み胃液を戻す。何がきっかけだったのかは定かではない。心当たりがあるとすればこの土地の、のどかで緩んだ空気が影響したということも考えられる。ともかく、心が当然の反応を示し始めた様だ。二ヶ月の間凍らせていた感情が恐れを伴って溶解し、広がり、染み込んでくる。
伊達の死に端を発した異常な出来事の数々に、ようやく精神が悲鳴を上げ始めたようだ。マサカズはかろうじて自分のコンディションをそう分析していた。こぼれ落ちた内臓、人形のように逆さまを向いた顔、穴だらけにされ、吹き出された鮮血、普段ならどれもが正気を保てるほずのない凄惨で禍々しい光景だ。伊達の際は唐突だったため、すっかり呆けて目の当たりにした状況から逃げ出してしまい、それ以来、自身の死に対する現実的な恐れに支配され、久留間たちが惨殺されたことでその隷属は決定的となり、ここまで到達してしまった。だが、することもなくただホテルに籠もる毎日は、恐怖を薄れさせるのと引き換えに、封印していた数々の惨劇を思い出させ、それは毒のように心を犯し、排出のため眠る度に抵抗を繰り返している。呑んで、酔って、死の記憶に抗い、便所に逃げ込む。
そのような日々が十日も過ぎ、暦も二月になったころ、マサカズはこのままでは立ち直ることができないと思った。
真夜中に目覚め、吐き戻したあとシャワーを浴び、十日ぶりに髭を剃り、新品の下着に着替え、飲みかけだった高アルコール酎ハイ缶の中身を洗面所に捨てた。酒浸りの自堕落な日々は決して無駄ではなかった。おかげで自分が随分まともな人間なのがよくわかった。これから先、より真人間になるためには、これ以上の転落を食い止めるしかない。
今の自分はふたつの問題を抱えている。ひとつはこの数日で露呈した、許容量を超えた陰惨な経験に対する拒絶反応だ。おそらくではあるが、医師の診断を受ければ今の自分は何らかの精神疾患を宣告されるだろう。これについては時間が解決するしかない。忘れることはできないが、新たな経験によって薄めていくことができるはずだ。そしてそれは、できるだけ楽しく幸せで、健全であることが望ましい。
もうひとつの問題については、未だ正体も定かではない、追跡者の存在だ。東京から宇都宮、札幌からこの那覇と逃亡を続けてきたが、その間それらしき存在と接触したのは一度だけで、まさしくそれこそが追跡に対する疑惑の根拠にもなっていた。こちらの問題については、時間でどうにかできるものではない。それは分かっていたものの、どうすればよいのかもわからない。それならいっそのこと開き直ってしまおう。それから二日後、マサカズはリュックを背負い、ボストンバッグを抱え、ビジネスホテルをチェックアウトした。
どうせどこに逃げても追われているという疑いはつきまとう。実際、追跡者などいない可能性もあるが、悪夢に現れる無残な死を考えれば、楽観的になどなれるはずもない。正体不明の組織がいつ方針を転換して、あの黒い猟犬を放つか知れたことではないからだ。警戒は怠らない。しかしアルコール漬けで、昼夜もわからぬ不健康な生活を送るのはもう無意味だ。それならば、折り合いをつけ、せいぜい開き直ってこの観光地を満喫しよう。
そう決めたマサカズが次の宿に選んだのは、北西に海を望む海岸近くのリゾートホテルだった。シーズンオフにも関わらず一泊五万円と高額だったが、十階の部屋から海が眺望でき、温水のプライベートプールが備え付けられ、広々とした室内にはこれまで連泊してきたビジネスホテルとは比較にならないほど上等なベッドや机、ソファが用意されていて、マサカズは値段相応だと納得していた。壁に掛けられた絵にはハイビスカスが描かれ、部屋の隅には鉢植えにヤシの木が植えられ、これまで欲していた地域ならではの風情も感じられる。宿には食堂に大浴場、スポーツジムといった設備が整えられ、マサカズはきのう、運動に励みたっぷりと汗を流した。今日で三日目の滞在になるが、夜は波の音に包まれ深い眠りが得られ、きのう一昨日と、どのような夢を見たのか覚えていない。
プールから部屋に戻ったマサカズは、クローゼットに押し込んでいたボストンバッグを取り出し、それを膝の上に乗せジッパーを開けた。中には、おびただしい量の札束が顔を覗かせていた。これは自宅アパートから持ち出した金で、もともとはカルルス金融から奪った金庫の中に入っていたものだ。総額五千万円のうち、三千万円は井沢に依頼して資金洗浄をし、会社の口座に五つの段階を経て振り込んだ。ボストンバッグの中には、洗浄が間に合っていない残りの二千万円と、吉田からの報酬を合わせた総額二千三百万円の現金が詰められていた。
担当弁護士の木内の説明では、会社を清算したのち、残余財産の分配という手続きが発生するとのことであり、要するにそれは会社に残った資金を株主に分配するということになる。ナッシングゼロは、マサカズが六十パーセント、伊達が四十パーセントの株主配分でスタートしたが、伊達の死後、マサカズが百パーセントの株主となった。もぐりの解体業の利益は大きく、老人たちを雇用していたため人件費も抑えられていたので、資本金の一千万円と資金洗浄で会社口座に入れた二千万円の合計三千万円は、会社設立の諸経費や、運転資金、清算のための手数料などを差し引いても一千万円は残り、これがそのままマサカズの分配金として、手続き完了後に振り込まれるとの話だった。
これだけの資金があれば、何年かは逃亡生活を続けることもできる。しかし、その期間は人生においてまったく無駄な時間だ。
マサカズはこの三日間に亘る高級リゾートホテルでの健全な暮らしの中で、あるひとつの決意をしていた。逃亡は、この沖縄で最後にする。今後について、ここで何らかの結論を出す。鍵の力がある。豊富な資金もある。そのような自分には、逃げるだけではない何かができるはずだ。伊達と起業したあの夏を思い出すには、この南国は都合がいい。
その日の午後、スポーツジムのランニングマシーンで汗を流しながら、Tシャツ姿のマサカズは今後の計画を立て始めていた。すると、彼は隣のマシンで老齢の男が走っているのに気づいた。その年寄りは『おきなわマラソン』とプリントされたTシャツに短パン姿で、身体は小柄でひどく痩せこけていて、マサカズの目から見ても年齢に相応しくないハイペースでの走行だった。表情は苦しげになっていき、フォームは崩れ、走っているというよりは逃げ惑っている印象だ。息は絶え絶えになり、全身からは汗を噴き出し、遂には顔色が青ざめていった。マサカズは自分のマシンを止め、「あの、大丈夫ですか?」と声をかけた。すると老ランナーはマサカズの方を向き、笑顔で微笑んだが途端にバランスを崩し、その場に転倒した。マサカズはすかさず駆け寄り、老人を抱きかかえてマシンから離した。
「大丈夫ですか!?」
そう声をかけたものの、老人は口から泡をこぼし、肩を激しく上下させ、明らかに生命の危機に瀕している。マサカズはなんとか抱え上げると、のろのろとサービスカウンターまで向かった。異変を察知したのか、ユニフォーム姿の髪の短い日焼けした女性がやってきた。緊急事態に対して狼狽えることない彼女は、どうやらこのジムのインストラクターだと思われる。彼女はマサカズに老人を床に下ろすように指示をすると、携帯電話を取りだした。それが今どき珍しい、いわゆる“ガラケー”だったため、マサカズはわずかだが興味を抱いた。
救急隊員の手によって担架に乗せられ、ホテルから運び出される老人を、マサカズはフロントで見送った。インストラクターの女性はマサカズに礼を言うと、腕を組んで苦笑いを浮かべた。
「矢野さん、去年もここで倒れたんですよ。無理しちゃダメって言ったのに、また来ちゃったんですね。私もシフトで入ったばかりだったから、気づかなかった」
その言葉に、マサカズはどう答えていいのかわからなかった。
「おきなわマラソンに出たいって。けどもう八十五なんですよ。だけど体力つけたいって、オーバーワークでああなっちゃって」
彼女はなおも言葉を続けた。自分はどのような役割を期待されているのだろうか。しかし考えてみたところでわかるはずもなかったのでマサカズは、「なんにしても命に別状がないみたいですし、よかったです」などと月並みな感想しか口に出せなかった。
「山田さんが隣にいなかったら、危なかったと思います。矢野さんに連絡先とか教えてもいいですか? あの人、きっとお礼がしたいって言い出します」
漠然と、明確ではない不安がマサカズの心を押し潰してきた。彼は目を剥くと口を尖らせて首を何度も大きく振り、両の掌で窓を拭くような仕草をし、その場から慌てて逃げ出した。
部屋に戻ったマサカズは、フロントにチェックアウトを告げると荷物をまとめ、チェックのリネンシャツに着替え、最後に忘れ物の確認をし、料金を精算してホテルをあとにした。自分でもなぜこのような真似をしているのか、よくわからない。ただ、あのホテルにこのまま滞在してはいけない。一刻も早く逃げ出さなければ、自分にとって悪い先行きが待っている。考えるのはどこかで落ち着いてからだ。
日差しが照りつける中、ボストンバッグを抱えたマサカズは、タクシーを求め大きめの通りを探した。目の前で一台のタクシーが横切った。空車かどうかはわからなかったが、どうやら大通りに出られたようだ。マサカズが足を止めると、彼の真横から何者かの手が伸びてきた。次の瞬間、マサカズは突き飛ばされ、その場に転倒し、フルーツショップの立て看板に背中を強く打ち付けた。何が起きたのかはわからない。自分が出てきた方向から、大通りを走り去るスクーターの後ろ姿が見える。あれと転倒に因果関係があることは、感覚としてわかる。
そして、あるはずのものが失われていることに気づいた。抱えていたはずのボストンバッグが見当たらない。転倒の際、手から離してしまったのか。違う、周囲には転がっていない。たったひとつの結論を導き出したマサカズは、ジーンズのポケットに手を突っ込み「アンロック」と呟いた。
第10話 ─世界の果てまで逃げのびよう!─Chapter10
高級リゾートホテルから鞄を大事そうに抱えて出てきたのだから、その中身には何らかの価値があると思われても仕方がなく、犯人の見込みは正解だとマサカズは思った。
スクーターに乗った何者かにボストンバッグを強奪された。あの中には二千万円もの現金が詰められている。そもそもが図らずも強盗してしまった闇金の金だが、今後の選択肢において、とてつもなく重要な軍資金だ。プロレスのマスクを着けたマサカズは沖縄料理店の屋根に着地し、ビルの屋上目がけて跳躍した。耳慣れない爆音がしたので目を向けると、その先ではジェット戦闘機が上昇していた。
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