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ブランケットにくるまってアイスを食べたい

2ヶ月ぶりくらいにここに戻ってきました。
なんでだろう。ノートを書くといつも、自分自身にセラピーをしているというか、心身をちゃんとケアしている気持ちになる。居心地のいい、もう一つの自分の居場所がここにはあるのかもしれない。

9月の初めに、なんと二十歳になった。
「年齢なんてただの数字ですよ」そうサラッと言える大人になりたいなんて不躾なこと考えたりしている。まあ確かに、二十歳になったからといって特に大きな変化は経験していない。芸術に触れている多くの人って、老いや死、その先について深く考えようとする傾向があると思う。自分もその一員で、この前、「動物の中で老いるのは人間だけ」という記事を読んだ。人生を長く生きた個体は人間の生存に有益だったので、積極的に老いが必要だったということらしい。ペットの場合は、本来野生では少しずつ動きが鈍化するなどして食事がままならなくなり、衰弱死がほとんどだったが、そんなふうに死ねなくなっているという。

ちょうど昨日、「Enter The Void」という映画をみて臨死体験をした気分になった。魂が眩しい光に吸い込まれ、鳥のように空から世界を見ているような不思議な感覚。少し前に、脚本の授業で題材にしたヒプノセラピー(催眠をかけて瞑想する)について調べていたとき、自分で音声を聞いて試したことがあった。結局途中で眠ってしまったけれど、微かに見えた線のような、シルエットのようなものはまだなんとなく記憶している。夢や小さい頃の記憶なんかもそうだけれど、はっきりしない曖昧な映像の方がずっと印象が強い。それとも、これはただ、なにかを記憶するときに脳が行う形式的な処理なのかもしれない。

先日、旧友から5、6年ぶりに連絡をもらった。
彼女は実は、自分の夢に何度も登場していた多分インナーチャイルドのような?半分想像上の人物だったので、勝手に衝撃を受けていた。過去のイベントを象徴する人物。何年も顔を合わせていないので、最後に会った彼女のまま時が止まっている。
おそらく、冬休みに帰省して彼女に会えば、この永遠の夢のループからの出口を見つけられるのかな。そんな淡い期待を抱きながら、今日もホームシックに浸っている。

今年、バースデーケーキの蝋燭を消すときに願ったのは「弱くて情けない自分を受け止められますように」だった。
一つ歳を重ねて、20代に突入して、ピアープレッシャーを感じたりなんかして。
文末なので、なんとか辻褄を合わせようとしてみたけどもう眠いし何も思いつかないや。

ではいい夢を。


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