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他人のイメージの中で生きる午後

2021.11.3(水曜日) have an established image

朝5時50分、ゴルフに出かけるという夫と一緒に家を出て、私は散歩のようなウォーキングに出かけた。朝にウォーキングをするのは随分久しぶりだ。車は相変わらず走っているけどお店は全部閉まっていて知らない街を歩いているみたいで新鮮。以前は毎朝ウォーキングしていた時期もあったが、途中で会う顔見知りになった人から、最初は挨拶だけだったのが『お友達になりましょう』的な会話が始まった時点で、私はその人に会うのが嫌になってウォーキングをやめてしまった。その人は悪い人ではないとわかっているのだけど、人の心の中に自分のやり方で入って来そうな人...わかりやすく言うなら『低姿勢で厚かましい人』だった。私はひとりでやりたいことはひとりでやりたいタイプ。そういう場面にお友達はいらない。

まだあの人は早朝ウォーキングしているのかしら...などと思いながら歩く。

金木犀は今が盛り。私は金木犀の香り自体は好きなのだけど、金木犀アレルギー(香りを嗅ぐと頭痛と吐き気がする)があるのであのオレンジ色を遠くから確認したら脇道に逸れるようにしているが、でも突然現れりする時もあって、そんな時は息を止める。道を歩くだけでもなかなか忙しいのだ。

40分歩いて帰宅。白湯を飲む。

なんて健康的...と悦に入り、その後菓子パンをバクバク食べて自爆する。

同じマンションの住人の人で、私が出かける時にエレベーターやエントランスでその人に会うと必ず「あら病院?気をつけていってらっしゃい」と声をかけてくる年配の女性がいる。今まで何度も何度も数え切れないほどそう言われてきた。もちろん私だって病院に行くことはあるにはあるが、病院に行く時に限ってその人には会わない。だから何かの根拠があって言ってるのではなくて、その人にとって私は『病院に行く人』という漠然とした認識があるのだろう。それは長い年月をかけて脳にしっかりインプットされていて、『私=病院に行く』方程式が成り立っているようだ。それとも誰かと私を間違えているのだろうか...。今までめんどくさかったので「はぁ...行ってきます」と曖昧に返事をしてその場をしのいできたのだが、今度こそはちゃんと言おうと思っていたら今日エントランスでその人にばったり会った。

「あら、こんにちは。病院?行ってらっしゃい」

「私って病院に行ってるイメージがありますか?」

「あら違うの?どこに行くの?」

「買い物に行ってきます」

「あっ、今日は祭日だからねぇ、病院は休みだわね」

完全に私は『病院へ行く人』から抜け出せないようだ。

もうこれ以上何も言うまい。

彼女の前では病院へ行く人として生きていこう。




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イトカズ
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。

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