見出し画像

まぁ、ミックスジュースだな。

2023.4.21(金曜日) Flowers have bloomed

花が咲いた。

起きたら、一輪の芍薬が咲いていた。
いろんな花を取り混ぜて買ってきたときはまだ蕾だったが、今朝起きてみてみたらふわっと花びらを広げていた。
やっぱり派手な花だわ。
私は派手な花というのが苦手だ。
花冠が大きく色の濃い花というのは見ていると吸い込まれそうになる。
「こっちにおいで、おいで...」と誘い込まれるような不安がある。
私の友人で花冠の大きな薔薇ばかりを庭で育ててる人がいるのだけど、何度「遊びにおいで」と誘われても行かないのはそのせいだ。
花屋のスタッフの「芍薬、季節ものだからまだ蕾のものを一輪だけ入れておきますね」という言葉に、蕾だから良いかと思い一輪だけ混ぜてもらったのだけど、蕾はいつか開花するということを知っていながら忘れていた。
そういうわけで、今朝の我が家のリビングの不安の空気が流れている。

余談だが、芍薬で思い出すのが…
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という言葉。
昔の人が美人を形容するのに使った言葉だと認識していたのだけど、さっきネットで調べてみたら元々は漢方薬に用いる言葉だったということが判明。
知らない方もいるかな...という余計なお世話でその記事を載せておく。
知らなくても別に困りぁしませんけど。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」、これは美人を形容する言葉ですが、元々は生薬の用い方をたとえたものです。漢方薬は数種類の生薬を混合し煎じたものです。それぞれの生薬は特有の薬効を有しており、症状に応じて適したものを用います。
漢方薬は数種類の生薬を混合し煎じたものです。それぞれの生薬は特有の薬効を有しており、症状に応じて適したものを用います。
「立てば芍薬」の”立てば”はイライラとし気のたっている女性を意味し、芍薬により改善されます。芍薬の根を使うのですが、痛みを取ったり、筋肉のこわばりを取ったりします。「座れば牡丹」の”座れば”はペタンと座ってばかりいるような女性を意味し、それは「お血(おけつ)」(お=やまいだれ+於)が原因となっていることもあります。
「お血」とは、漢方で症状を表現するのに用いられる言葉のひとつで、腹部に血液が滞った状態を意味します。「お血」は牡丹の根の皮の部分(牡丹皮・ぼたんぴ)により改善されます。「歩く姿は百合の花」は百合の花のようにナヨナヨとして歩いている様子を表現しており、心身症のような状態を意味します。その場合には百合の球根を用います。
 このように、それぞれの症状に合った生薬を用いると健康になれます。つまり、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」は、健康な女性は芍薬・牡丹・百合の花のように美しいという意味かと思います。

北海道立衛生研究所薬草園 林 隆章(ブログより一部抜粋)


迫力の大きさ!

花は好き。
でも苦手もある。
人間関係と同じで『好きだけど近寄りたくない』と同じ。
反対に『嫌いだけどちょっと興味ある』ということもある。

さて…
最近ニュースを確認するのをサボっていて、スマホに溜まっているニュースを一気読みした。
その中で一番興味深かったのは『オランダ政府が今まで12歳以上に限定していたが、今回12歳未満の子供にも安楽死を認める方針を出した』というニュースだった。
記事を読んで最初の感想は「へぇ〜、すごい」だった。
その「へぇ〜」にも「すごい」にもいろんな意味が込められている。
大きく2つに分けると『そんなことしていいの?』という意味と『いいなぁ』という意味だ。
でもこの2つの間にはものすごく深くて長い川がある。それを短い文章にまとめるには、私の残りの人生の全てを費やさないといけないだろうからここでは省略するが、ただ、私の中では賛成と反対と熟考の3つが混ざり合っている。
へぇ〜、いいなぁ、でもなぁ…

やっぱり私の頭の中は素材の定まることのないミッスクジュースだな。





いいなと思ったら応援しよう!

イトカズ
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。