その、自己主張&承認欲求が見苦しい
2021.6.16(水曜日) desire for recognition
目が覚めた時、カーテン越しの外が暗いのに気がついて、あぁ、雨が降ってんだなと思った。耳をすませると、外を通る車のタイヤから水を含んだシャーという音が聞こえる。かなり降ってるんだなと思う。
昨夜は少し疲れていたようで、いつものお酒も美味しいと思えず、大好きなドラマ(大豆田とわ子と三人の元夫)も見ずに寝た。早寝したせいか、今朝は絶好調まではいかないが普通に元気だ。疲れている時は寝るに限る。
疲れる原因はわかっている。生活の中で自分を押し出しすぎているからだ。何かにつけて自分を出そうとする傾向が最近目につく。若い子のそれは「おぉ、頑張ってるね」という言葉で称賛されるが、年を重ねてからのそれは見苦しい。見苦しいことをやっているのだから疲れるはずだ。先日から始めた週種類の勉強も自分の能力以上のものを押し出そうとして疲れている。やる気はあるのだが、その出し方は年齢と共に違ってきているのだということを自覚できていなかった。Instagramやnoteもそうだ。どこか何かで無理しているような気がしている。誰も私になど期待などしていないのに、何かを押し出そうとしている。承認欲求疲れかもしれない。あぁ見苦しい。
歳を重ねてまず心したいことは、押し出さないことだ。もう十分、生きてきた歴史が重いのだから、押し出すどころか引くくらいでちょうどいい。
エッセイスト光野桃さんの言葉だ。光野さん自身も、華々しい空間からある時期を境にグッと活動を引かれた。その時に書かれた言葉だったと思う。
引こう、引いて暮らそう。
引くというのは、すべてに遠慮しなさいということではないのだと思う。
余計なところで自己主張しない。余計なところで承認欲求を求めない。
ということだろう。「余計なところ」...余計なところが多すぎるわ、私。
などと、朝ごはんのおにぎりを頬張りながら思った。
*
雨が断続的に降っている。
雨だけど外でお昼ごはんが食べたくて、夫を誘うが「家にいたい」というのでひとりで食べにいく。歩き始めて数分もたたないうちにパンツの裾がびしょびしょになる。背中もかすかに濡れている。営業している店のランチメニューをいろいろ見ながら何を食べようかと迷いながら歩く。あるカフェの看板に糖質オフ麺で作ったパスタが新発売されたと書いてあるのを見て美味しそうだったのでそこにした。その糖質オフ麺を使ったパスタとアイスコーヒーを注文する。食べた。美味しかった。本当に糖質オフなんだろうかと疑うくらい美味しかった。以前、我が家でも糖質オフ麺を買ってきてパスタを作ったけどパサパサして不味かった。やっぱりプロは違うなと思いながら食べた。コーヒーをおかわりして読書をしながら1時間ほど過ごした。
今日読んでた本は「正しい女たち・千早茜」
収穫は『正しさは、堅実さが持つ傲慢さだ』ということ。正しいばかりが正しいわけじゃない。時には嘘も見て見ぬふりをすることも生きていく上では大切なのだ...たぶん。ふんふん...と頷きながら読む。
また濡れながら帰ってきた。夫はバナナとホットミルクで昼食を済ませていた。幼稚園児みたいだと思った。
雨、やむ気配がない。