【MIX・編曲】落語独演会とダイナミクスレンジ
これはSRの恩師、工藤聡史先生の授業中に話していたことの覚え書きです。内容の正確さに自信はないですが、概要だけでもと思い書いてみます。
落語独演会でのPA
工藤先生はある落語の音響仕事で、いつものように高座の前にマイクを置いて待機していた。師匠がリハーサルに来て一言「マイクはほとんどいらんと思うで」という。
中くらいの公民館、生声ではどうかな?くらいの広さなので本来のPA仕事ならハウリングしない程度に大きめに出したいと思っていたそうだが、師匠がそういうのならとマイクフェーダーをグッと下げた。
開場して観客が満席ほど入って独演会は万雷の拍手で始まった。師匠は高座に登り深々と一礼すると、本当に聞こえるか聞こえないかギリギリの声で喋り始めた。音響屋としては拍手に声が負けないようにフェーダーをあげたいところだったが、グッと堪えて待った。
師匠の口が動く。師匠が何を喋っているかを聞くため一瞬にして静寂が広がった。師匠の言う通り、「マイクはほとんどいらん」で良かったのだった。
このエピソードから学べる教訓は、人は「聞こうとする音はよく聞こえる」であるし、ずっと大きい音が流れてくると集中力を”使わなくなる”、聞こうとしなくなるということだという。
一般的にカクテルパーティー効果というものは、雑音の中から「聞きたい音を選んで聞く」ことを指す。だけどもう1つ手前に、音自体の特性として『聴きたくなる音』があるのだという。
ダイナミクスレンジの幅がない音は『聴き飽きる』
クラブDJがホールを盛り上げようと爆音で音楽を流す、これはこれで「音楽を聴いて欲しい」の1つの手段だと思う。
一方、落語の独演会でマイク音量を極力しぼってギリギリ聞こえるかな?くらいの音量にすること。これも「あれ?なにか言ってるな?」と興味を引くような効果をもたらす。
どちらも方向性は「聴いてほしい」なのだけど、ここに”聴く側の視点”が入ると面白い。『聴く側の集中力・体力』について考えてみると、耳をずっと押される状態が続いたら人は疲れてしまうので、そういう音楽や音は徐々に脳がスルーするようになっていく。疲れる音は脳内でキャンセルする、ストレス緩和の生理現象だ。雑音に慣れると無音に感じるようなものだ。
翻って、楽曲のMIXにおいてダイナミクスレンジがずーっと同じで、ずっと大きい音(のような状態)が続くものは、体(耳)が疲れてしまう。すると細かいことや全体像について集中力を欠いていき、結果的に印象の薄い音楽として認識される。
あるいはバンドでライブをしているとき、ずっと大きい音を出し続けていると、次第に聴く耳が集中力を欠いていき細かいニュアンスはスルーされていく。
それは聴く側も演奏する側も同様にそうなっていく。
「聴く側が聴きたくなる音楽」というと哲学的に見えるが、その実、生理的な現象が含まれている。体力や集中力は有限であるという前提は理解してもらえると思うが、この生理現象を踏まえてMIXやアレンジをどう良くしていくのか、持論を少し書いておきたい。
楽曲の『波』はいくつある?
僕がアレンジやMIXをするとき、まず「この曲で一番落ち着く部分はどこだろう?」を考えるようにしている。(具体的な楽曲を提示しないまま文章だけの解説で恐縮だが)仮にイントロが一番落ち着く場所にしてしまうと、楽曲はずっと山登りの曲になってしまう。
DTM初心者のうちは、後半に向けて徐々に盛り上がっていく階段型アレンジをどんどんやるのがいいと思うが、ある段階からそれが「単調」と感じるようになるかもしれない。
それは全体感として、1つの流れがずっと続いているからなのだと思う。つまり曲中の上げ下げがなく、”波は1つ”のアレンジだ。
一般的に、ポップスはそうはなっていない。
最近のヒット曲はこういうシンプルなABCABCC型でないものも多いが、とりあえずABCABCC型の場合を例にあげたい。この場合、最初のC(サビ)が終わった後に一度盛り下がる部分が現れる。このC1終わりを『谷』とするなら全体感として”波は2つ”の構成になる。
これにDメロや間奏が入る構成を考えてみる。
最後のCの直前に谷を作る構成にすると、”波は3つ”の構成になる。楽曲中の大きな波が増えるほど「賑やかなアレンジ」になる。その良し悪しはともかく、構成を考える場合に『谷は何ヶ所必要だろう』を考えるのが僕の考え方の軸にある。
必然的に山になっているところは音圧がボーンと前に出ている音像になるし、谷は繊細な音色変化を聞かせるパートになる。MIXも、山と谷の音量差、聴こえ方の落差という視点を持つことでダイナミックな変化を演出できるようになる。
こういったアレンジの山谷について、作編曲を仕事にしている人のほとんど無意識にやっている。様々な曲を聴いているうちに「だいたいそういう感じ」のアレンジを身につけていき、それを真似て使えるようになるのだと思う。
編曲のダイナミクスレンジが重要
ダイナミクスレンジについて語られるのは、だいたいMIXやマスタリングの話題ではないだろうか。MIXやマスタリングでは基本的なダイナミクスレンジの知識と考え方が必要なのは言うまでもない。
だけども、音楽作家として「どんな音楽を届けたいのか?」を考える場合、編曲としてのダイナミクスレンジも考慮しなければと思うのだ。
メロディを作るときもそう。平坦なメロディと跳躍の激しいメロディを隣り合わせることで山谷を作れば、聴いている側が飽きずに集中できるものになる。と、少なくとも僕はそう考えている。(実際にそういう曲になるかは別の問題として)
谷深ければ山深し(これは相場格言だが)というが、アレンジやMIXにおいて「どうすれば大きく聞こえるか?」という問いについては、小さい方の音から逆算することに尽きると思う。大きい音をどうするか?を考える前に、楽曲の谷となるパートから考えることで、結果的に音量差(ダイナミクスレンジ)は生まれる。
基本的なことのようで、見逃されがちなメソッドだと思う。参考になれば嬉しいです。
落語のPAについて工藤先生が話してくれたエピソードは、その時は単純にSR的なダイナミクスレンジについて考える一例だった。だけど僕の中でその話は醸造され、最終的に『聴く側の集中力』というキーワードを得ることができた。感謝。
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