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【破産者Beeの逆襲】役満養分の自分史を振り返る〜❶宗教3世の呪縛と解放

破産者Beeの経歴・失敗談を振り返るシリーズ第1弾
僕の養分人生を語る上で絶対に外せない話ですが、
FXとか自己破産のくだりを早く知りたい方は飛ばしてください。
あと、大事なお約束が1点、
公然の秘密ですが、以下、教団の名前は伏せます。

昔の僕に伝えたい

僕がこの記事で言いたいことは、ただ一つ、

おじいちゃん、おばあちゃんの代から
続いてきた教団の教えを捨てて、
僕は今、最高に幸せな人生を送ってるよ!!!

ということです。
もし、熱心な教団の信者の方がこの記事を読んだら、
「この親不孝もの!」
「恩知らず!」

といって、僕を罵るでしょう。
昔の僕も、「教団から離れたら地獄に落ちる」って本気で信じてましたから。
ですが、「教団の教えがなくても幸せになれる」のです。
これが僕が辿り着いた結論です。

さて、話は僕の幼少期にまで遡ります。

親の ”願いが叶って" 某宗教大学に進学

両親がそれぞれの祖父母の代からの熱心な信者で、
自身は3世にあたるのですが、
物心ついた時にはすでに、入会しており、
小学生の頃から親や祖父母と一緒にお経を唱えたり、
集会に参加したりしていました。
※このへんは宗教2世3世あるあるですね。

この頃は”宗教活動”というより、
日本人なら皆んなが使う"魔法の呪文"を唱えているんだと思ってました。

そして、小中高は地元の普通校に進学していたのですが、
大学受験で国立大学を受験するも不合格、
滑り止めで受けていた、その宗教系の大学に進学しました。
この時、そんなに悔しさはなく
「◯◯先生(教団の指導者)が作られた大学で学べるんだ!」
というワクワクした気持ちでいっぱいでした。

実は、幼稚園児の時、その宗教系学校の小学校を受験していたのですが、
落ちてしまい、母が大泣きしていたのを、幼稚園児なりに申し訳なく思っていたのを覚えていたのです(もし受かってたら小学校〜大学院まで宗教学校で過ごしていたことになります)。

大学の受験勉強に手を抜いたわけではなかったのですが、
心のどこかで、大学進学は親の言うことを聞いた方が良いかな?と考えていたんでしょうね。
※いわゆる反抗期もあまりなかったのですが、今思うと「自分の人生歩めよ!」って言いたくなります。

母親からすれば、「我が子を教団の学校に通わせたい」という"願いが叶った"わけですね。

そして大学進学後は、周りの学生のほとんどが同じ教団の信者ということもあり、さらに熱心にお経を唱えてたり集会にも参加しました。

察しの良い方は気づいてるかもしれませんが、
友人に会いに行っては
「一緒に教団の教えを実践していこう!」
と勧誘し、選挙の時には、
「◯◯党に投票お願いします!」
と一生懸命宣伝やってました。

この記事を読んでいる方には、
被害に遭われ…もとい、"お願いされる"側だった方も多いと思いますが、

いかんせん大学内で知り合う先輩・同期・後輩のほとんどが、
その教団の信者なので、それが”当たり前”だったんです。
それが"親孝行になる"と思ってたんです。
何より、それが自分の人生を幸せに生きるための"修行"だと思っていたんです。

そうやって仲間たちと宗教活動も頑張りながら、
やがて大学院まで進学して勉強させてもらい、
大手メーカーの技術職に新卒で内定をもらって
無事に大学院修了&就職しました。
教団内では、まさに”エリート”ですね。
「あなたが会社で活躍することが、教団の教えの正しさを証明していくことにつながるからね!」ってちやほやされるんです。
この時は、一生涯、教団の教えを貫いていくぞ!という意気込みでした…。

今の僕には必要ない

さて、ここまで読んでくださった方の中には疑問に思った方もかもしれませんが、
僕自身は、教団に対して、あまり恨みつらみといった感情は抱いていません。
というか、実は今現在も"名簿上"は信者です。
ですので、

・親ガチャに恵まれなかった
・今まで教団の活動に費やしてきた時間やお布施、
 教団内で知り合った方々と過ごした時間は無駄だった
・自分と同じような宗教2世3世で苦しむ人や、教団の被害者を救いたい

というような考えは持っていません。
教団の教えを実践したこと自体は今も後悔はしておらず、
現在まで役立っていること、感謝していることもたくさんあります。
実際、今でも思想哲学自体は肯定している部分が多いです。
宗教大学で知り合い、今でも仲の良い人間もいます。
ですので、教団内での教えや鍛錬、仲間との出会いなど、
「その時の」僕には必要なものだったと思ってます。

親に信仰を強制され、辛い思いをしてきた方々からすると、
「なんだ、読んで損した」と感じたかもしれません。

で、今現在はというと…

・教えを捨てたと言っても脱会はしていないので、名簿上は今現在も信者
・教団の思想哲学や支持政党の政策自体には、実は今でも割と肯定派
・"被害にあった"という認識はなく、当時の自分に必要な経験をし、
 たくさんの恩恵を受けてきた。
・両親を含む、熱心な教団の活動家さんたちに対して嫌悪感はなく、
「どうぞご自由に」程度にしか思っていない。
・ただし、今現在その教えを実践するつもりはない。
・教団の活動とは、完全に距離を取っており、
 機関紙も購読しておらず、聖典を含む関連書籍は全て処分した。
・「あなたも教団の教えを実践していきましょうよ」と言われたら
 容赦なく縁を切る

要するに、
必要と思うなら教団の教えを実践すれば良いけど、「今の」僕には必要ないよというのが現在のスタンスです。

もっとも、"あること"がなければ、
もしかすると、今も熱心に教団の信者として活動していたかもしれません…

ではなぜ、そんなに熱心に活動していたのに離れたのか?
自分には信仰は必要ないという結論に至った"あること"とは何か?

。。。次回(第2弾)に続きます。
続きはコチラ↓

◎Beeのしくじりポイントまとめ
・自分の人生ではなく、親の人生を歩んでいた。
・相手のことを「人対人」ではなく、就職先や役職などの
 "肩書き"で見ていた。
・教団内でチヤホヤされ、成績も優秀だったため、
 「自分は特別な力を持ったスーパーマンなんだ」
 と思い上がったまま社会人になった。


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