純粋知性概念の統合の際における思索

昨日のわたしと、今のわたしが、もし違ってたらどうする?これはもはや、5感を統覚する理性からすると、完全性のない、すべてが未規定の条件になってしまう。昨日のわたしと、今のわたしは、厳密にいうと違う。だけど、条件づけることで総合的に判断し、同じだと同一性を認識して統覚できる。


ここに時間がある

              ← 時間

の方向へ時間が流れていくが人々はお互いに観測してる場合

            ← 時間

      人A    (距離)     人B

この段階では、人AとBの相対的な距離は変わらない。


ここで知性が無かった場合の、統覚の仕方である。

         ←  時間

 人々の経験         経験

(自分だけがしていない経験) 経験

これを統合する場合、経験していない知性を総合的に統合するには、無理である。何故なら、必ず理性概念の思索が入るからだ。この場合、人々の経験した知性のように完全性のある対象ではなく、可能的なものであればOKみたいな自由な想像力も可能。

すると、知らないことを、今までの経験の中から、構成して創りださなくてはいけない。最悪の場合、叡智的である最高の超自然存在に委ねてみたりする。すべてこれは夢だ。とかこれはすべて罠だ。とか。罠=神と同等なのか?



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