一億総活躍社会はハピネスの基準を規定しないことが課題。

便宜上、安倍政権のかががるスローガン一億層活躍社会は、誰が考えても無理であると思うし、活躍することが幸福なのか?と思うし、不完全性定理などが働くので、数学的に不可能であるので、正直、ユートピア社会主義のようなイキフンも醸し出している。

成熟期を迎えた国家において、国家の成長が活躍となれた目的や目標は、喪失してしまう。元々、人間には目的なんか無いのだから。

ここで全ての国民が活躍するということに着目しよう。

興味深い研究を紹介します、


働かないアリも集団維持に必要 北大研究者が興味深い研究成果

http://www.huffingtonpost.jp/science-portal/ant-skive_b_9287342.html

というものです。


つまり、活躍というのは、別に函数でいえば、資本的な労働力ではなくても、システム内において、何もしないことが役割として配分されていることがあり、それが実は活躍になっているのである。

問題は、活躍したくてもできない、ゆわゆるクルーグマンの言うような

「流動性の罠」に陥っている人たちだ。


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