携帯電話=意識の延長
射精に関するドーパミンなどの脳内物資を調べていると勃起はセロトニンで、射精はアドレナリンなのだ。そしてその後ノルアドレナリンが鎮静作用だすのか。
ムーラダーラチャクラと呼ばれ第一チャクラは、男女共にあるので、これを刺激するのが瞑想法のひとつである。
ムーラダーラチャクラを開くには、ドーパミンがやはり必要なのだろうか。
そして気持ちいいとはなんだろうか。βエンドルフィンがでただけなのか。それはおいおい追求したい。何故、気持ちいいという知覚が表象されるのか。
そんなことはどうでもいいです。
携帯電話。のドーパミンの函数を考えていた。そうなのだ。調子が悪くて、考えてても、すぐに書けないし、あれなんだったっけな、って忘れちゃうのだ。
忘れちゃうということは抽象度が別の方向へ行ってるだけなので、人々が深い催眠状態=睡眠、やマインドセットが変わった時に、また忘れてたことが思い出せるので、別に問題はない。
そんなことはどうでもいいです。
携帯電話は電話であーる。
このケータイ電話だけで、どれくらいのドーパミンが発生するか相対的に考えてみよう。
それはテレクラが企業利益を上げることができるくらいのドーパミン量だ。
それだけなら、携帯電話を片手に持っている時のドーパミンの量は、だいたい知っている人か、知らない人の電話がかかってくるかもしれないな〜〜ってゆう感じだ。
携帯電話へかかる無意識は、だいたい範囲が決まってくる。想定の範囲内だ。
しかし、ここにショートメール、というのが付加するとどうだろうか。
携帯電話+メールだ。
この場合、そんなにドーパミンの量は変わらない。知っている人の範囲内だ。
ここまではよかった。
携帯電話を持っていようが、居ないだろうが、知人達の世界の、狭い範囲内で収まる差異だ。
しかし
携帯電話+インターネット
となると、話が違う。
WWWの世界はそれまでの知人関係の道具連関の配慮とは桁違いに範囲が広がってしまって、世界のすべてが選択の範疇に収まってしまうのだ。
これはとんでもない。
選択が沢山できる自由の代わりに選択できない不自由が芽生えてくる。
常に不自由な気分になる。
なぜなら片手の携帯電話の無意識は、世界中の規模になってしまったからだ。
これはアノミーという状態にも近い。2000年というアノミーにも近い。
腰が痛い。