見出し画像

はじめまして。

Bedo(ビドー)と申します。
現在はフリーランスで自称「キュリエイター」として活動を始めています。
アニメーションと飲食を掛け合わせた新しい活動を目標に、子ども達の好奇心と五感が解放されるようなワクワクするコンテンツをクリエイトしていきます。
スロースターターですがこの場所で毎日想う事を発信させていただきます。

私の事
わたしは九州のど田舎で産まれ育ち、巷では「落ちこぼれ」の代名詞のような存在だったと思います。
義務教育プラス高校3年間で、宿題や提出物をまともに出したことは1度もなく、遅刻・無断欠席の常習犯で、卒業出来たのが奇跡でした。学校の勉強は全く興味が沸かず、割り切って努力することもせず、周りの子のように無邪気に何かを楽しんで笑うことも無く、学校生活はずっとどんよりした重〜い曇り空のような「自分は何のために生きていて、何で生まれたんだろう」と繰り返し自問自答するような毎日でした。人付き合いも何もかも面倒で、でも実際消えてしまうような勇気は無くて、目を瞑って「一瞬でパッと違う人生にならないかなぁ…」というくらい無気力に生き、自分自身を完全に諦めていました。
この先「なるべく人と関わらないこと」を仕事にしようと思い、高校卒業後は生活費を自分で稼ぐという親との約束で県外の専門学校へ進学しました。食べていくためには働かなくては!と生命の危機を初めて感じた私は
実家から引っ越してすぐに、とある商業施設内のファストフード店の求人へ応募します。この時、迷いなく行動に移せたのは、どこかで「自分を変えたい」という気持ちもあったからだったのでしょう。
幸いにもそのファストフード店での勤務が決まり、学校とバイトを往復する毎日が始まります。週6で17時〜23時までの勤務で毎日ヘトヘト。仕事は出来ない事ばかりで、先輩達に沢山迷惑をかけ、励まされ、恥ばかりかいているような日々でしたが、何故か「人と関わること」が苦ではなく、とても「生きている」感覚がして楽しかったのです。
そしてこのアルバイトで初めて「尊敬できる大人」と出会ったことが、私の人生の大きなターニングポイントとなります。
その人物とはアルバイト先の店長(マネージャー)でした。仕事も捌けて、人も使える。お客様ウケも抜群。「こんな大人がいるのか!」と衝撃を受けたことを今でも覚えています。「この人みたいになりたい!」という気持ちから
毎日夢中になって働いていました。
店長(マネージャー)に当時の話を聞くと「面接の時に落とそうかと思うくらい挙動不審やったったい。でも一か八かで採用したっちゃんねー。」と。
そのくらい、当時の自分はヤバかった(笑)
でも恥をかきながらも、何とか人並みのことはできるようになり、「経験をすることで自信に繋げられる」という体験から、後の行動に移す力へ繋げられたと思います。
その後専門学校、アルバイトを卒業→沖縄の動物病院へ就職→1年で退職、地元へ帰る→サービス業で迷走する人生を歩む→現在やっと自分を自分に取り戻すことができました。

苦手の克服は成長ではない
「苦手なものは克服しなければならない」
この考えで長い間迷走することとなります。
学生時代の「人付き合いが苦手」という感情から、自分は人と関わる仕事を経験することでこの苦手を克服しなければならないと思い、サービス業の業界へ飛び込みます。
リラクゼーション、飲食、化粧品販売、大まかにこの3種のサービス業を経験しました。トータルで15年ほどになります。でもふと気づくのです。
あれ?そんなに成長してないよね?

定数はやっぱり動かせない
サービス業に携わっていた15年間、確かに前よりは上手く人と関われるようになっていました。でもそれは表面的にだけ。あくまで仕事だと意識している時だけでした。仕事で消耗してしまう分、プライベートでは更に「人と関わりたくない」と思っている事に気がついたのはだいぶ後で、昼食後のチョコレートがなぜやめられないのか?を考えたことがきっかけでした。

お昼ご飯のあと、お腹は満たされて肌荒れも気になるのに、どうしても甘いものが食べたい。結局、我慢できずに社食の売店でチョコレートを買い、一気に食べて職場へ戻る。ちょっと元気になって接客できる。そうか、無意識に血糖値を上げてハイになるために体が糖分を欲しているのか!じゃあそれは何故なのか?簡単にいうとずっと自分の特性に合わない苦手な事をやっていたからだったんです。
自分の「職種」を意識し始めたのは、育休明けで販売員に復帰してからでした。子どもが体調を崩しても仕事は休めない。飲食業の夫は生活時間帯が真逆で全く頼りにできない。その度、実母に来てもうらうような生活をしていました。実家は車や電車で片道1時間以上の距離があり、子どもの熱が下がらないようだったら連泊してもらいお世話をお願いする日々が多くありました。実母に頼りきりで、自分は母親として何もできない現状に「こんな生活絶対変えてやる!」転職を決め、本気で人生と向き合うことを始めました。
・なぜサービス業なのか?
・今後どういう形で育児と仕事をしたいのか?
・自分の特性って何なのか?向いている仕事とは?
まず、サービス業は元々「苦手の克服」で飛び込んだ業界でした。
接客スキルは上がっても、あくまで表面上でそれ以上の成長が無いことは
身をもって痛感しました。積み上がった経験値が休み明けで「0」に戻る感覚がずっとありました。
そして当時は保育料が高額で、家庭の経済状況上、正社員で仕事をせざるを得ませんでした。同時に育児は諦めたくなく、子どもの心身の健康と自身の仕事を考えた結果、私と子で一時的に実家へ移り住むことを決めました。
自分の特性・適職に関しては、過去に”結果が出せた”と思うことを振り返りました。「集中して何かを創ること」そして「一人で完結できること」にポイントがあると考えました。

サービス業からの転職
自分の特性・適職については、色々な書籍や動画やネット記事を読み漁り行ったあくまで自己判断だったので自信が持てませんでしたが、仮説と検証だと割り切りすぐに行動しました。将来的には一人で何かできるようになりたいと漠然とした思いがあったため、スキルが身に付くもの、在宅でできる仕事に繋がる職種に絞りました。そこで見つけたのがWEBデザイナーの職業訓練でした。結論から言うと、WEBデザイナーにはなっていませんが、訓練後は通信販売運営会社へ就職、3年目に会社が関東へ移転する事に伴い退職をし、フリーランスとなりました。
職業訓練、通信販売運営会社勤務は自身の特性にピッタリとハマったと思っています。この経験は大きな大きな糧となり、現在のコンテンツ制作にとても役立っています。

自分を自分に取り戻す
わたしは幼い頃から空想好きで、頭に浮かんだ事を表現する手段が絵でした。決して誰かに教わったとか、技術的に優れているわけではありませんが、言葉より絵の方が上手く表せたため、絵を描くことが好きでした。
反面、男の子のような活発な部分もあったため、周りからは「よくわからんなぁ」という印象だったと思います。
小学2年生で初めて絵画のコンクールで賞を取り「自分が楽しくてやっただけなのに賞までもらえた」ことにとても驚き、嬉しかったことを覚えています。また、漫画が大好きで、見始めるとやめられずに徹夜してまで読み切っていました。物語にどっぷり浸かって、日常生活もそのストーリーのことを考えて妄想を巡らすことが何より幸せでした。そして自分で考えたストーリーで漫画を書いたり、ワンカットシーンを1枚のイラストとして描いたりする事が好きでした。しかし、その私が好きでたまらなかったことは周りの大人にとっては「ただの勉強しない逃げ道」としか見られていませんでした。
「絵なんか描いてどうする?」「もっと上手い人はいっぱいいる」「漫画家になるためには勉強もできないと無理。だからあんたには無理」という言葉を沢山聞かされました。そんな言葉から自分の好きなことを守るために、弱かった私は「好きなことを辞める」選択をします。
鍵をかけて心の奥の底の方に、誰にも見えないように深〜くしまいました。
もうバカにされないように。
好きなことを失った私はみるみる廃人のように無気力になっていきました。

でもやっと覚悟ができました。
私は絵で表現して何かを創る人になる。そして自分と同じような経験をしてほしくないから、子どもが好奇心で始めたこと、好きになったことは、まず大人が本気になって一緒にやってみる。子どもが本気になる前に、自分のちっぽけな小さな視野で勝手に否定しない。
子ども達の好奇心を大事にしたい。
時代はどんどん変わります。当時は画家とか漫画家とかイラストレーターしかないと思っていた道は、今や色んな表現ができる場所が生まれました。
子ども達の生きる未来はもう想像もできないような世の中になっているはず。今わたしのできる事で、日本の未来を生きる子ども達をサポートしていきたい。
そんな気持ちで今一歩一歩、「キュリエイター」としての道を歩み始めています。自称をいつか職業にしたいな。

とても長くなりましたが、ここまで読んでくださった方ありがとうございます。今後は活動も投稿していきたいと思います。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集