生ハム
「30分ほどお待ちください」と言われて、30分で済んだ試しが無い。仕方がない。美容室とはそんなものである。電話が苦手でも、行きつけの美容室は電話予約しかする術がなく、私はいつも当日予約無しで入る。自業自得である。
髪を染めたいと思ったのは、本当に気まぐれだった。もちろん、前から色々な人(母や担当してくれた美容師)に「髪を染めた方が軽く見えるし髪質も変わるかも」と言われた。それに背中を押されたというのも、ある。でも結局はいつもの「とてつもなく押し寄せる、やらないと気が済まない」性格ゆえである。これは本当に厄介だ。
高校時代、生ハムを食べたくて仕方が無い期間がおよそ半年続いた。腹が減ったりおやつ時になったり、思い出す時はまちまちであったが、2日に1回は思っていた。「生ハムが食べたい」。生ハムなんて安いものならスーパーで300円程で買える。では、何が私を半年も止めたのか。金銭的理由ではない。「個人で買うものでは無いと思っていたから」だ。私にとって、生ハムは父の出張土産だった。どこへの出張だったのかは覚えていないが、数度同じところに行き、その毎回生ハムを持って帰ってきた。そしてそれを家族で囲んで食べた。決して金銭的に余裕のない家庭ではなかったが、生ハムが食卓に並んだのは、父が買ってきたその数度と、私がKALDIで買ってきた1度だけであった。そう、私はKALDIで切り落としの生ハムを買った。意を決してであったか、それとも今回髪を染めたようにどうしようもない衝動に駆られたか、はたまた「生ハムくらいでそんなに悩むの?」といったことを誰かに言われたか。それは覚えていない。何せ何年も前のことである。家に持ち帰った生ハムは「父が買い取る」という名目でみんなで食べた。私には生ハムの値段約400円が父から支払われた。妹はお金を貰う私を羨ましがり、母は「生ハム代だから」と冗談交じりに嗜めた。いや、ここは私の捏造かもしれない。妹の名誉に関わるので注釈を入れる。妹のくだりは勘違いであるかもしれない。ともかく、我が家の生ハムは全て「父から与えられた生ハム」となった。
今私は一人暮らしをしている。そして、時々スーパーで生ハムを買う。1度経験すると人間は慣れで躊躇が無くなる。割とこまめに、自分へのご褒美として、私は生ハムを買う。正真正銘「私の生ハム」を、1枚1枚剥がしながら食べる。そして食べ終わったあとには必ず、塩分の過剰摂取を心配するのである。