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私の御守りみたいな人たち

頭の中が沸々してパンクしそうなので書き出します。

(リンクがうまく貼れなかった…)

「2時間…?長ぇ…」と思いつつ見始めたらあっという間だった。とても見応えのある内容。エルレの成り立ちや個々のパーソナリティ、これまでの歴史を丁寧にかつ分かりやすく追われていて、さらにエルレのこれからが楽しみになった。


作中、ロッキングオンの山﨑さんが『エルレのライブをライブと呼ぶのなら、それ以外のライブはライブではない』みたいなことを仰っていて、表現は少し極端だと思うけど、仰りたいことはすごくよく分かる。

エルレのライブはすごくすごく、すごく特別だ。あんなにもぎゅうぎゅうで自分の意思で身動きも取れず、自分の汗か他人の汗か分からなくなるほど密着した状況なのに、登場前のSEが鳴り始めた瞬間から細美くんが『またやろうぜ!』って言って帰っていくまでの間、その空間には “自分” と “彼らが鳴らす音楽” しか存在しなくなる。いや、もう“自分” すらなくなって、私は私の形をした虚になってしまう感じ。それくらい、自我も時系列も付帯物も何もかもぜんぶぜーーーんぶどうでも良くなる。ぜんぶ手放して、その空間を満たす音にしゅるしゅると溶けていき、熱狂の渦に身を委ねる。ただただ拳を天に向けて突き上げて、喉が枯れるほど叫び、思うがままに心を震わせる。そうすると、ライブが終わる頃には何故か自分が無敵になった気になれる。自己肯定感が上がる、とか、赦された気になる、とかと似てるんだけど少し違っていて、「こんなクソみてぇなことしかない世の中だけど、まぁ付き合ってやるか」みたいな、どういう仕組みか全然分からないけど無敵になった気になるのだ。これは、エルレのライブでしか得られない不思議な感覚。エルレのライブを知る以前の私と、知った後の私では確実に何かが変わる。そういう意味で『彼らのライブこそがライブである』というのは大いに頷ける。当時ハタチそこそこだった私には、彼らの音楽、彼らのライブのチケット、ライブ中に細美くんがくれる言葉たちが御守りだった。自分の意思や成熟度に関係なくオトナという生き物にならなくてはいけなくて、目まぐるしく変わっていく環境の中で自分を見失いそうな時、自分でいることを投げ出したくなる時、彼らの存在が私の御守りだったのだ。彼らがいなければ今の私には成り得なかった。それくらい確実に彼らは私の一部だ。


これを見ている間、(何でも推しに繋げるのは良くないかもしれないけれど、)以前Twitterのお友達のはなちゃんが呟いていた『テテと細美くんは似ている』が頭から離れなかった。

“誰よりも傷ついて幸せに生きろ”

細美くんのことを思うとこの言葉が浮かぶ。細美くんの人柄をどうこう言えるほど彼のことを存じ上げている訳ではないけれど、彼が綴る歌詞やライブ中のMCなどを思い起こすと、自分が自分でいることを守り通すためなら傷ついたって構わない、という不器用な正直さ、かっこ悪いぐらいの真っ正直さが伝わって来る気がする。私は細美くんのそういうところがたまらなく大好きで、いつも周りの空気を見て、傷つかないようにのらりくらりしている私とは正反対な彼をすごく眩しく感じるし、強烈に憧れてしまう、きつくきつく抱きしめたくなるのだ。


次のアルバムを制作していた最中にその手を止めることを選んだ彼らが、数日後に新しいアルバムをリリースする。このドキュメンタリーを見たら、もうその事実だけで胸が目頭が熱くなってしまう。活動休止の報を受けて、光を失ったみたいに途方に暮れたあの頃の私に言ってあげたい。大丈夫、彼らはずっとあなたの隣を歩んでいるよ。あなたがその足を止めずに前を向いて生きていればまた彼らに会えるよ……握りしめすぎてボロボロになってしまった御守りを、いま一度強く握ってその日を待とうと思う。

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