NEW SEASON-僕とインカレスプリント-
自分にとってのオリエンテーリングとは。
あなたにはその答えがありますか。
はじめに:この記事について
どうも、ベちおです。初めましての方ははじめまして。
この記事はちっぽけな学生オリエンティアの4年に満たないオリエンテーリング人生に関する自分語りになります。技術論とかは一切なく、これを読んだとてオリエンテーリングが上手くなることはありません。申し訳ありません。
でも、もしかしたらオリエンテーリングをより好きになるヒントとかはあるかもしれません。どこかにあったらいいなって思ってとりあえず僕に書けることをすべて書きました。そんな感じの拙い文章ですが、どうか最後までお付き合いいただけたら幸いです。
個人名とか写真とかを勝手に(しかも結構深めに掘り下げて)使わせていただいている部分があります。もし嫌でしたら修正しますのでお手数ですがご連絡ください。
自分のことについて
筑波大学2021年度入学の稲邊拓哉(いなべたくや)と言います。漢字が難しいのでよく間違えられやすいです。書くときはひらがなで書いてもらっても「稲辺」と簡単に書いてもらっても全然OKです。出身は埼玉、でも父方は青森(北海道)、母方は群馬とかなりめちゃくちゃです。
オリエンテーリングの競技歴は3年と9か月くらい。未だ学生で学連登録4年目なので大学入学と同時にオリエンテーリングを始めたことになります。一番存在し得るパターンですね。
唯一の競技的な実績は、インカレスプリント2024 ME 3位。スプリントが大好きで大得意です。フォレストは絶賛成長中。
好きな食べ物はキウイ。好きな芸人は真空ジェシカ。好きな合唱曲はCOSMOS。好きなサンリオキャラクターはポチャッコです。
さて、先にも書きましたが、ありがたいことに今秋福井県あわら市で開催されたインカレスプリント2024で3位入賞をさせてもらうことができました。そこで初めて僕という人間の存在を認知してくださった方も多いのではないかなと思います。
自分は多くの人にとって「ここ最近いきなり現れた謎の4年生」みたいに思われている感じがしています。これに関しては実際そうで、僕がオリエンテーリングに本格的に取り組み始めたのは3年生からでした。だからと言って1,2年生の時に全くオリエンテーリングをしていなかったわけではありません。
空白の2年間に何があったのかとか、そこから今現在どうしてこうなったのかとか、そういう僕のオリエンテーリングに関することをすべて辿って書き留めておこうかと思います。
(ほんとにすべてを書いたら卒論みたいな長さになってしまいました。すみません。章立てしているので休み休み読んでくださればと思います。でも全部読んでくれたら嬉しいなぁ…)
SEASON.1 オリエンテーリングと空白
オリエンテーリングと僕
そもそも、大学に入ってなぜオリエンテーリングを始めたのかというと…正直、特にこれといった理由は無かったんです。
中高時代は陸上部の長距離種目をやっていました。特段速いわけではありませんでしたがそれなりには速い方だったので、それなりに楽しく精一杯やっていた気がします。
で、後に高校3年で部活を引退して大学受験をして失敗。コロナ禍に重なった年に予備校で一浪を決め込むことになります。この一年の話は長くなるので割愛しますが、とにかく孤独で苦しい一年だったということだけ言っておきます。
一年後。筑波大学になんとか入学することに成功します。初めての一人暮らし。明るいキャンパスライフ。俺たちの青春はこれからだ!!…と思いきやコロナ禍は未だ収まらず。授業もすべてオンライン。当時SNSを特にやっていなかった自分には学類の友達が1人もできませんでした(今も1人もいないままですけど)。さらには、四畳半の独房みたいな学生宿舎に入居することになります。「狭い」って凶器ですね。浪人期に壊れた精神がさらにおかしくなりそうでした。
誰に会うわけでもなく親との電話でしか声を出すことのない生活が半月続き、この生活がずっと続いたらおそらく自分は実質的に死ぬんじゃないかと予感します。なんらかのサークルに入ってなんらかの人間関係を持たないとまずい。でも陸上をしっかりやるほどの体力も気概も一年でなくなってしまったし、他に何か特別したいこともないし、そんな自分でもいるだけ居られるサークルなんてあるのだろうか…とうだうだ考えた挙句、勇気を出して門戸を叩いたのが「オリエンテーリング部」でした。
当時姉が東京農工大学でオリエンテーリング部に所属していたんですよね。それで深くは知りませんでしたがオリエンテーリングの名前を知っていて、姉から勧められてもいた、というだけの理由です。どういう競技かは当時新歓に行っても正直よくわかりませんでした(ごめんなさい)が、対応してくれた部員の人たちがとても優しかったのでここを自分の居場所にすることに決めました。
空白の新人時代
オリエンテーリングを始めて、毎週森に入ってレースして、めっちゃ楽しかったんですよ。部員の人たちもやっぱり優しいし、レースで上手くできることなんか全然ないけど、宝さがしみたいでワクワクするし。めちゃくちゃなんとなく入部を決めたけど、それなりにオリエンテーリングを好きになりました。
入部初期は部の練習にも大会にもぼちぼち参加し、自分にとって適度な距離感でやっていけていました。他にすることもないですし。だったのですが、早々にして自分はあることに気づきはじめます。
「同期のみんなは新人クラスで入賞しているぞ」
当時自分の同期にいたみんな(半分くらいいなくなっちゃいましたけど)は、部内杯以外の外部のレースでもちょくちょく入賞して賞状やら景品やらを貰っていました。対して自分はみんなほど上手くは走れないことが多く、新人時代にレースで勝って表彰台に立てた経験は入部したての部内杯新人クラスを最後に結局一度もありませんでした。(部内杯も7人走って6人入賞するみたいな感じ。)「入賞」っていう経験をちゃんとしたことがなかったんです。
「入賞できないこと」が徐々に新人オリエンティアの僕にとってのコンプレックスになっていきます(今思えばみんなが優秀過ぎただけですけどね)。競技的な活躍をしているみんなは目に見えてどんどん期待されていきます。それを見て焦ってなんとか結果を出そうとしますが、所詮新人オリエンティアにとっての「焦り」なんて現ロスへの片道切符でしかありません。余計にレースは滞るばかり。先輩たちは優しいので「着実に速くなってる気がするよ」とは言ってくれますが、他の同期たちに対する「こいつは有望だ!」みたいな目が自分には向けられていないことはわかりました。それって自分には何も期待されていないってことなのではないか。そう考えてしまうようになり、勝手に一人寂しく感じることが多くなっていきました。上手くいかないレースをしたら寂しいのでオリエンテーリングをすることが少しずつ減っていき…。
オリエンテーリングと自分との距離はいつのまにか開いていました。その上、オリエンテーリングがあまり好きではなくなっていました。初めの一年間はずっとそんな感じで、部活にろくに顔も出さないまま自分とオリエンテーリングとの関わり方に対する答えが出ず、一人で苦しみ続けていました。
繋ぎ留めたもの
1年生の時はいつオリエンテーリングを辞めていてもおかしくない状況だったと思いますし、正直機会があれば辞めようと思っていました。それでもオリエンテーリング部からいなくなっていなかったのは当時の先輩方や同期達が自分をなんとか繋ぎ留めていてくれたからでした。先輩たちが大会に誘ってくれたり、ご飯に誘ってくれたり、ゲーム会に誘ってくれたり、電話で飲み会に呼び出してくれたり…。同期に誘われてよくわからん全国同期との合同チームでCC7を走ったことも(今思えばとんでもないチームだった)、同期会の誘いを断ってしまって関係性が微妙な同期3人の地獄のスイカ割りを生み出してしまっていたことも割と鮮明に覚えています。
オリエンテーリングに対する抵抗感が当時あったものの、あの時のオリエンテーリング部はとても温かくて、いつ帰ってきても受け入れてくれる優しい場所だったなあと思います。(今もそういう部でいれてるのかな…。)その存在が自分を辞めるまでに踏み込ませなかったのだろうと思っています。
☕Coffee Break 1 : 鎌倉京平の話
この記事はめちゃくちゃ長いので、「Coffee Break」というコラム的な何かでちょくちょく休憩を挟みながら進んでいきます。そのせいで余計長くなっているだろって言うのは無しです。本筋には関係ないので飛ばしてもらっても大丈夫です。ここでする話は「憧れの選手」の話です。
「憧れの選手」と言われたときに、僕が真っ先に思い浮かぶのが鎌倉京平という男です。鎌倉さんは僕の一個上の先輩で過去に筑波の主将を務めていたりします。実は近年の筑波のインカレリレー入賞の立役者であったりもあります。
先にも言った通り、部活に顔を出さなくなった一年生の稲邊少年を当時何人かの先輩方があの手この手で引っ張り出そうとしてくれました。そのなかの1人が鎌倉さん。ある日突然、何の脈絡もなく、「一緒にジョグしない?」と誘ってきたんです。当時僕は鎌倉さんとほぼ面識がなく、鎌倉さんについて知っていることと言えば、いつかの配車の後部座席で話しかけてくれた時に何故かしてくれた「免許証とかの正式な"鎌"の字が実はちょっと違う」話くらいでした。誘いを断る理由もないので行くことにしました。
…っていうのは照れ隠しです。その誘いがとても嬉しかったのを今でもずっと覚えていますし、多分死ぬまで忘れない気がします。死んでも忘れないかもしれません。鎌倉さんからしたら自分なんて素性の知らない一年生に過ぎないし、誘った上で断られたらそれはかなりしんどいはず。だったら最初から誘わない方がマシです。それなのに、僕というなんだか消えてしまいそうな人間を気にかけてくれていて、自分が傷つくことを受け入れながらも何かを変えてくれようとしてくれた姿に本当に救われた気がしました。本人には既に散々伝えてはいますが、僕が今オリエンテーリングを続けていられるのは、鎌倉さんの存在のおかげだったりします。
僕の現在の当面の目標として、「鎌倉さんみたいな選手になる」というものがあります。選手、というよりかは人間といった方が正しいですが。どこかで苦しんでいる人や悩んでいる人、寂しい思いをしている人を見つけて、不器用ながらも近くに居続けてくれる、そんな人間でありたいです。
SEASON.2 エンジョイ勢になれるまで
自分とみんなの「目指すとこ」
2年生になっても状況は以前とはあまり変わりません。部のことは好きだけどオリエンテーリングをすると寂しくなるので競技とは距離を置いています。
そんな中、自分の中で一つの転換点を迎えたのが、JWOC2022です。当時JWOCって何のことか正味良く分かってなかったんですけど(オリエンテーリングのジュニア選手権のことらしいですよ)、何かの機会で同期の樋口と谷口がJWOCの日本代表に選出されたことを知ります。自分にとってこういう機会は自分との差を認識させられてしまいがちで、割と苦しみの種になりやすいことだったんですが、今回は少し違いました。このときに自分の中で突然腑に落ちたことがあります。
「この人らは世界で戦いたいと思っている選手だ。だけど自分はそうではない。だから同じ場所を目指す必要も、同じことをやる必要もないんだ。」
僕は当時なんとなく競技が上手くできたらいいな~とは考えていましたが、別に世界で戦える程上手くなりたいとは考えたことすらありませんでした。なので、この考えが驚くほど自分の中に浸透していき、すっと楽になりました。これまでずっと他人と比べていて、他人より自分ができないから楽しくないって思っていたんだ。他人と自分には差があっていいんだ、とようやく理解ができました。
以降は自分のペースで、自分が行きたいときにオリエンテーリングをすることができるようになっていきました。2年目のCC7は夏休み中で地元でゆっくり過ごしたかったので行きませんでしたし、全日本ロングは長いのでM21ASに出たりしました。1年経って遂に、自分の中のオリエンテーリングの立ち位置をはっきりさせることができたんです。
このスタンスが俗にいう「エンジョイ勢」ってやつですよね。エンジョイ勢って「競技派」に対する言葉として、「競技にガチガチじゃなくて緩くオリエンテーリングを楽しんでいる人」みたいに使われがちです。ですけど、そもそも「オリエンテーリングを楽しむ」為には、自分の中でのオリエンテーリングの優先順位とか生活の中での組み込まれ方とか、そういう自分と競技との適切な距離感を理解している必要があるんだと思います。なので実はこのエンジョイ勢になるっていうこと自体、意外と大変なことなんじゃないかなって個人的には思っています。
自分とみんなの「できること」
「エンジョイ勢」になって数ヶ月、自分なりにオリエンテーリングとは上手に関われるようになっていました。オリエンテーリングをするのが楽しくなったのでそれなりに参加頻度は増えましたが、競技はあまり上手くはなりませんでした。
そんな中、2年の冬合宿が富士で行われました。自分はこれまで部内の合宿にすら参加したことがなく、長距離遠征(今思えば富士って別に長距離じゃないよね)も1年の春インカレと長野くらいしか行ったことが無かったのですが、楽しそうだったので行ってみることにしました。ちょうど誕生日だったので夜にサプライズで祝われたりしました。感動。
それはそうと、合宿2日目のレースで大ツボリを起こします。ミドルなのに2時間越え。初めての富士は、これまで大してまじめに競技をしてこなかった自分には何もわかりませんでした。あまりの酷さにゴールした後しばらく横になって青い空をボケ~っと眺めている時間があったくらいでした。
本来ならこのあとみんなでファシュタをするはずだったんですが、「自分にとって今必要なのは絶対にファシュタではない」と直感し、ファシュタをしなさそうな市川さんにお願いして、一緒にテレインウォークをさせてもらうことにしました。地形の規模感や植生を一つ一つ見ながら、颯爽とかけていく先輩同期後輩を横目にゆっくり二人でテレイン内を回りました。この判断がおそらく自分にとっては正解でした。
自分が人よりオリエンテーリングができないことをずっとわかってはいました。でも、見て見ぬふりをし続けてきたんです。「走力が陸上をやっていた時ほどあれば僕だって速いはずだ」とか、現状ありもしない走力を理由にしてずっと自分のオリエンテーリングから目を背け続けてきました。
「みんなと同じことが自分にはできないんだから、
みんなと同じ練習をしても自分には意味はない」
ここにきてようやくこのことに気付くことができたんだと思います。ずっと抱えていたしょうもないプライドを捨てきることができた瞬間でした。
一独会
「一般表彰台を独占しようの会」です。冬合宿の前か後かくらいに肺気胸で何故かミドルセレ落ちした鎌倉さんが発足させたものであり、春インカレの一般クラスで表彰台に乗れそうな人を数人集めて一緒にトレーニングしよう、みたいなグループでした。
当時、自分は一般の表彰台に乗るほどの実力も見込みも全くなかったのですが何故か鎌倉さんが僕を混ぜてくれました。運良くリレーセレで部内一般の二軍チームに三番手で滑り込んだこともあり、春インカレのリレーに向けたチームの作戦会議や対策地図読み、ランニング会などに一緒に参加するようにしました。今思えばこのときにはじめて、「オリエンテーリングをしていないときにオリエンテーリングのことを考える」という経験をした気がします。
春インカレの個人ミドルはボロボロでした。でも勝負は翌日のリレー。これさえうまくできれば問題ありません。鎌倉さんと根岸さん(二個上の先輩。ギリギリで依頼された樋口のインカレシード選手動画を何とか作ってくれたりするスーパーマン)と同じチームで自分は2走でした。たくさん想定をして対策をして臨んだこのレースで、前後の二人の安心感に挟まれながらうまく自分をコントロールすることができ、自分のオリエンテーリング至上初めて、現ロスせず大ミスの無いレースをしてフィニッシュすることができました。
本当に嬉しかったです。別に他人と比較してもお世辞にも早いとはいえないタイムでした。でしたが、自分がオリエンテーリングを通して初めて得た成功体験は格別でした。石尊山インカレは、自分が「少し競技を頑張ってみようかな」と思うようになった大会であり、僕の競技者としてのターニングポイントの序章になります。
☕Coffee Break 2 : プライドの捨て方
「いいひと。」っていう作品をご存じですか。
ビッグスピリッツで1990年台に連載されていた漫画で、テレビドラマ化されていたりもします(そっちはあまりお勧めしません)。ちょっと昔の作品ですね。
大まかなあらすじとしては、学生時代に陸上競技をやっていた、新卒サラリーマンですごく「いいひと」である北野優二(ゆーじ)が、地元の北海道に彼女である妙子を残して東京の大手スポーツメーカー「ライテックス」に入社し、そこでの出来事の中でゆーじの人間性が少しずつまわりの人たちの世界を変えていくという話です。
中学生の時に読んで以来、僕という人間の価値観や人間観の基盤となっている作品で、人間や社会が内面に抱えている緻密で繊細な部分に焦点を当てていて、それに対する作者の考えが読者の心に自然と入り込むように柔らかく表現されています。
名言という名言が山ほどある作品なんですけど、その中でひとつ本当によく覚えている内容があります。
ゆーじが人事部に配属されていたときの話です。毎年人件費削減の為、中間管理職の人間をメインに何人か候補を絞りだし、その候補者たちに対して自主退職を促す時期があります。いわゆる「リストラ」です。
この年も例年にもれず、候補者を挙げて、リストラを通告しなければならない時期がやってきます。ゆーじはこの状況をどうにかしたい、みんなにとって幸せなリストラをしたい、と思いリストラ候補者を集めて会社の人事制度を確立するためにプロジェクトを発足し、いろいろな画策をしていきます。
その中の一つに、「プロジェクトを会社にしちゃおうプロジェクト」なるものがありました。…何言っているかわからないと思いますけど僕も良くわからないので経緯や詳細については原作を読んでください。
とにかく、「会社を新しく作ること」って長年企業に勤め続けてきた彼らにとっては、やったこともない新しいことでした。そのうえ彼らのほとんどが45~55歳くらいの、若者ほど未来も明るくない定年までもう間もない会社員。そんな歳になって、しかもそれなりの立ち位置にいる人間がそんなバカげたプロジェクトに手をかけるのには少々心理的なハードルが高いです。
そんな時に彼らにかけられた言葉がありました。部分部分は省いていますが大枠はこんな感じです。
このあと、「大事なのは、親から受け継いだこの自分自身を信じること。起業家に一番大切なのは戦略じゃない。ノウハウじゃない。ましてや肩書きや年齢なんて、邪魔こそすれまったく無意味な存在です。」と続きます。
肩書とか年齢とか、自分を表すものでありながら自分自身の本質ではないもの。そういう表面的なものはいつだって自分の可能性を狭め、自分の足枷になります。だからもっと自分の内面にあるものを大切にして歩んでいってほしい、という作者のメッセージです。
僕が良く覚えているのがこの「三つのことを忘れるステップ」の部分。僕はこれを「プライドの捨て方」だと思っています。結構人生のいろんなところで使わせてもらってたりします。
このプライドの捨て方。
オリエンテーリングに置き換えてみたらどうなるでしょう?
こんな感じでしょうか。
中高にオリエンしてたしていないとか、陸上してたしていないとか。これまでに入賞したことがないとか。逆にFクラスでは勝ててたのにとか。学連登録がまだ1年目だからとか。もう4年目だしとか。
そういうものは経験としては自分自身を作っている大切なものですけど、表面的にはただのステータスにすぎません。今現在自分が向き合うべきオリエンテーリングにおいては何ら重要ではない。だからそういう枷を外して、生まれ変わった自分でオリエンテーリングと向き合えたらきっと楽しいのかもしれないな~って思ったりします。
ちなみに、「いいひと。」本編におけるプライドの捨て方に関しては、最後にこう締めくくられています。
「いいひと。」、めちゃくちゃいい作品なのでぜひたくさんの人に読んでほしいです。既に完結済みで全26巻(+1巻)です。ただ、MBTIがおそらくINFPになるのでそれだけ注意してください。
SEASON.3 競技派への転換点
祖父江一門
ここまでは「オリエンテーリングそのものとの関わり方」に関する話でしたが、ここからは「競技としてのオリエンテーリングとの向き合い方」の話に移っていきます。
突然ですが、筑波には「一門制度」が存在します。毎年毎年、OBOGさんや院生部員の何人かにお願いして「一門長」を引き受けてもらい、各々の一門長の下に現役部員が数人ずつ付き、技術指導をしてもらったり一緒に遊びに行ったり飲み会をしたりする、縦割りのグループ制度です。(1年目は増澤一門で先輩方が手厚く、2年目は名雪一門で飲み会ワッショイ!!な一門でした)
さて、3年生になっての一門選択。その時に僕が選んだのが「祖父江一門」でした。これが自分のオリエンテーリングの根幹を変える選択になります。
…「祖父江」って誰かって?またまた~。
界隈ではかなり有名だと思いますが、祖父江有祐さんのことですね。僕の二個上の先輩にあたります。
中高生のときからオリエンテーリングをやっているので競技歴はもう十何年になるらしいです。世界大会に出場した経験も何回かあって、ジュニアのときにアジアチャンプになったこともあるとか。生粋のオリエンテーリング馬鹿で、365日四六時中オリエンテーリングのこと(としょうもないギャグ)を考えています。この冬、「ひとりアドベントカレンダー」という、25日間25のテーマでオリエンテーリングの記事を書くというとち狂った企画を勝手にやっていたのでぜひ足を運んでみてほしいです。
話は戻ります。僕が祖父江一門を選んだ理由は単純で、「祖父江さんが話しやすいから」でした。根本的な自分の性質として年上があまり得意ではない(過度に緊張しちゃう)というのがあり仲良くなるのにいつも時間がかかってしまうんですが、祖父江さんはなぜかそんな僕でも群を抜いて話しやすいと入部当初から思っていました。相性の問題でしょうか?
そんでもって無事希望通り祖父江一門に配属された僕は5月頭に祖父江さんと面談をします。ここで初めて、これまでずっとただのオリエンテーリングギャガーだと思っていた祖父江さんの凄さを目の当たりにすることになります。
【祖父江さんは目の前の相手と面談します。】
…します。
…。
…そりゃそうだろって思いました?確かに文言だけ見たらまあそりゃそうなんですけどね。でもこれには字面以上の凄さがあります。多分ですけど、面談ってコーチングとかと同じであり、場合によってはちょっと違うこともあると思うんです。
今現在の僕に対する面談であれば、自分に明確な目標があって、目標に対してすべきことを設定していて、課題があって、課題に対する解決策まで自分である程度準備をしているので、祖父江さんもそれに対していろんな視点からそれを考えてみてなんやかんや突っ込んで~みたいな感じで進んでいけているような気がします。多分これは典型的なコーチングです。
でも、それと同じ形の面談をこの頃にやっていたかと言われたら絶対違います。当時の僕には目標はギリあったけど、課題も良くわからなかったので、何をすれば良いのかすらよくわからなかったんです。なんとなく頑張りたいとは思ってるけど、それがなんとなくでしかない。
なので、当時祖父江さんが何をしてくれたのかと言ったら、自分の中の「なんとなく」をうまいこと言語化してくれて、曖昧だった目標やそれに向かうためのステップアップを目に見える形にしてくれました。自分に今、何ができて何ができなくて、目標を達成するためには何ができる必要があって、じゃあこういう力をつける必要があるからこういう取り組みをするといいよね、みたいな。
「わからないもの」をわからないままにしておくことが無くて、だからと言ってそれを一般論で片づけることもなく、その人にとっての正解を模索し続けます。これって目の前の人間とちゃんと向き合わないとできない事ですよね。だからそれぞれの目標やレベルに合わせたベストを考える面談になるんだと思います。それが祖父江さんの面談の凄さであり、祖父江さん自身の凄さだと思っています。アポなしで急に三泊泊まりに来たりはしますけど。
「ロングセレ通過」を目指して
祖父江さんと面談をして、はじめに目標にしたのが、「ロングセレ通過」です。理由はもう3年生でもあるので何らかのセレには通ってみたいな、となんとなく思ったから。正直ミドルとかを考えていたのでロングセレを目指そうってなったときはまあまあ驚きました。しかも5月時点の自分からしたら、1ヶ月半で現実にできるかどうかは相当怪しいラインの目標でした。でも、とりあえずやってみることにしました。
一回一回のレースで目標を決めてフィードバックをして…とやっている事は何ら特別なことでは無いんですが、繰り返していくうちに少しずつですが確かに自分のオリエンテーリングが上達していくのを実感しました。(アナリシスも書くようになった。)そんなことを続けていたら、セレ前週の部内杯ではなんと6位に入賞することができました。
この感じならロングセレはもしかしたら通れそう。そう思って万全の状態でセレに臨んだ…のですが、残念ながらセレには落ちてしまいます。
レースの前半はうまく走れていたんですが、中盤のとあるレッグで大やらかしをします。今自分がやっているレッグと地図上で見ているレッグがずっと一致していなかったんです。それに気づかずに走ってしまい、現地と地図を一致させようにも見ているところが全然違うので両者が一致するはずもなく…。
自分のミスに気づいたのは1時間後です。気づいた瞬間やる気もなにも無くなったので数秒間は前高原の西の方で寝てました。でもとりあえず競技時間内にフィニッシュまで行かなければならないので、周辺のコンピだけとってフィニッシュに直行しました。
終わった時の感覚は虚無でした。自分がそれなりに頑張って積み上げてきたものが思いもよらない形で壊されてしまって、悔しさとかとは違ったやるせなさに包まれていました。会場に戻ると、当然同期や後輩は順当にセレ通過を決めています。この上なく虚しかったです。
そんな中、自分のミスをなんとか笑い話に昇華しようと試みます。1時間ミスなんて普通しないですしね。こういう変なミスしちゃったんだよね〜みたいな話をして気丈に振舞おうとします。そこで1人のセレ通過した人間に言われたんです。
「まあ、それも実力だよね。」
この言葉を受けて、自分の感じていた虚無感が消え去り、代わりにとんでもない憤りを覚えました。
準備はたくさんしたつもりでした。これまでになく地図読みをして長距離に耐えうるためのラントレをして、自分がどう戦ったらセレに勝ち得るかを何度も考えました。「努力を人と比べるのは良くない」と僕は常日頃から思っていますが、それでも自分が積み重ねた努力量は明らかに人より多かったと思います。
でも自分はこれだけしっかり準備をしてきても報われることはなかった。なのに自分ほど絶対に努力していないこいつはどうして「実力」なんて言葉を簡単に使えるのだろうか。本当に腹が立ちました。タイミングが悪かったら手が出ていたと思います。
でも、おかげでようやく理解できたことがあるんです。
「自分は人よりやっても人並みにすらなれない事」です。自分は人と同じ「がんばり」をしても人並みの「実力」が手に入るほど器用な人間ではない。だからと言ってもともと天性の才能を持っているわけでもないしそれを補完し得る経験があるわけでもない。
結局、僕には何もなかったんです。だからこれから自分がするべきことは、何もない自分を正直に受け入れて、そんな自分が何をするべきかを必死こいて考えた上で、人の何倍もやってやること。それしか道はないんだと思いました。自分はこのときに一つ、競技としてのオリエンテーリングと向き合う覚悟が定まった気がします。
☕Coffee Break 3 :「がんばる」って何?
「がんばる」って何ですかね?
何をしたら頑張ったことになって、何をしなかったら頑張らなかったことになるのか。人よりもやっていればいいのか。はたまた自分の中でできるだけやったらそれは頑張ったことになるのか。でもそれはもっとやっている他人から見たら頑張っていないことになるんじゃないか。結果が出れば「がんばった」のか。じゃあ結果が出なかったら「がんばらなかった」のか。よくわからないです。
そもそも必要な努力量って人それぞれだと思うんですよね。オリエンのなんらかの技術を先輩に教わったとき、なんとなくその場である程度できてしまう人もいれば、なかなかうまくつかめない人もいたりします。その後2人がその技術を習得するために必要な「がんばり」の量は同じではないはずです。それに加えて、必要なアプローチの仕方も当然違うでしょうし、別にそれがその人にとって今習得すべき技術かどうかも当然違います。そもそもがんばりたいのかどうかもわからんですし…。
人には人の乳酸菌ってことでしょうか。必要な「がんばり」の形は人によって違います。だから誰かのやっていることとは関係なく、自分にとって必要なものに必要な分だけ向き合ってアクションしてみる。そうしたらそれは「がんばった」になるんじゃないでしょうか。知らないですけど。
結局のところやっぱりよくわからないです。よくわからないのであんまりこの言葉を使わないようにしています。がんばることが必ずしも正しいわけでもないですし、「がんばれ」って人に言うのは自分の「頑張ってほしいエゴ」の押しつけになってしまいそうで嫌いです。(もちろん本心は「がんばってほしい」っていう気持ちそのままなんですけど!)
逆に「がんばる」って言葉を敢えて選んで使う時には少しだけ覚悟をしています。「がんばり」は他人と比べるものでは無いですけど、自分の中での最大値ではあってほしいです。すべてが終わって振り返ったときに、「がんばった」って言い切れるくらいにはがんばっていたい。
余談ですが、僕のstravaとかを見ている人は、僕が一般的な学生オリエンティアの倍以上は走ったり練習したりしているように見えると思います。実際自分もそのくらいはやっているとは思います。
これは誰かと比べて練習量を増やしたりしているわけではなく、単純に「自分はこのくらい必要だ」と思っているからやっているだけです。なのでこの先ライバルのトレーニング量が増えたりしたとて特段変わることはありません。
自分にはあいにく人の何倍も才能が無いので、結果として他人の何倍もやっているっていう状況になってしまっているみたいです。僕なりの「がんばり」ですね。だから僕のトレーニングを見たとて焦る必要はありません。自分にとって必要な「がんばり」をすればいいと思います。でも僕も自分より足が速い人がすごそうなトレーニングをしていると焦るので、時折見なかったことにしたりします。世知辛いですね。
ここまでつらつら書いたうえでなんですが、実はそんなにしっかり考えているわけではありません。「がんばる」を適当に使うこともあります。僕が応援とかで「がんばれ」とか言ったとしてもそれは普通に「がんばれ」っていう意味であり、それ以上でも以下でもないです。なのでそういう場面に出くわしてもあんまり言及はしないでくださいね。
SEASON.4 スプリントとの出会い
スプリントと僕
ロングセレが終わり、僕はすぐに次に向かい始めます。正直しんどいけれど、体だけでも前に動かしておかないと本当にダメになってしまう気がしたからです。その先にたまたま待っていたものがスプリントセレでした。
今でこそスプリントが大好きで大得意な僕ですが、当時はというと、スプリントは全然好きではありませんでした。みんな止まらないで走っていくし、フォレストに比べて常にせかせかしている感じが嫌いで、とても自分にできるものとは思えない。一年生の時のスプセレにはトリム+タイツ+長靴下を履いていったくらいにはスプリントという競技に全く興味がありませんでした。
でも、ロングセレに落ちた自分に残されたものはスプセレしかありません。スプセレに落ちたら今度こそ何もありません。だから、セレまでの1ヶ月、ほぼ毎日学内でスプリントをしたんです。幸い、筑波大学にはそれを許してくれる練習環境がありました。1回1回、自分ができないことを見つけてそれに対する解決策を考える。それを次回のレースで試して改善する。そんなサイクルでスプリントをし続けました。周りのみんながしているハイレベルなことには一切目もくれず、自分にとっては何が必要なのかを考えてやり続けました。死ぬ気で続けました。実際セレの結果によっては死んでいた世界線もあった気がします。そのくらいやり切りました。
スプリントのもつ何かに惹かれたわけではありません。ですが、その一か月の間にいつの間にかスプリントが大好きに、自分から切っても切り離せないものになってました。それが僕にとってのスプリントの始まりでした。
翼の生えた日
そんな1ヶ月を送り、スプリントセレ当日を迎えます。
本番1週間前くらいからずっと緊張をしていました。自分にとって、それまでのオリエンテーリングの中で1番大事なレース。段違いに力を入れて準備をしたレースです。しかも自分の実力値もはっきりとわからない(データが無い)ので、「通過できるよ」と言われながらも本当に通過できるかなんて知ったこっちゃありません。そんな感じでめちゃくちゃ不安な気持ちを抱えたままレースに臨みます。(しかも真夏。めっちゃ暑い。)
レース後。まあまあ大きめのミスをした感覚がありました。でも、タイムを見たら全く悪くありません。想定通りなら余裕でセレは通れるほどのタイムでした。ペナチェックも通過し、暫定結果が出たぞ…となり、心落ち着かぬまま見に行きます。(スプセレって何故か紙で速報出しがちですよね。アレ大好きです。)
…暫定3位。流石にびっくりです。(最終的には上に1人挟まって4位になります。)
ロングセレの絶望から這い上がって1ヶ月死ぬ気で努力して、そうして自分のやってきたことが初めて明確な形に、しかも自分の想像していたよりも遥かに大きなものになって現れてくれました。
「breakthrough」っていうやつでした。それまでずっと動こうとしながら停滞し続けてきた自分の時間がようやく動き始めたようなそんな感覚でした。自分の力で必死に走り続けてようやくたどり着いた場所から見えた景色は最高そのものでした。
(この日以来、僕がバチバチに決まったレースをすると、村田さんが「これは翼が生えている」と言ってくれることがあります。この表現がなんだかカッコよくてずっと大好きです。)
☕Coffee Break 4 : 加藤賢斗の話
石尊山インカレからこのスプセレまでが僕のオリエンテーリング人生を大きく変えたターニングポイントになります。その中で、鎌倉さんが僕に頑張る「きっかけ」をくれて、祖父江さんは僕が頑張るための「手立て」を与えてくれました。それに加えてもう一人、僕の競技人生に大きな影響をもたらした人物がいます。
加藤賢斗です。知らない人は少ないかと思いますが、僕の二個下の後輩で「かとけん」という愛称で親しまれています。彼は僕が競技を頑張り始めたタイミングと同時期にオリエンテーリング部に入部した、実質的な同期みたいな存在です。
彼が僕に与えてくれたのは「モチベーション」でした。信じられないかもしれませんけど、初期の加藤って本当に何にも喋らなかったんですよ。ずっと背筋伸ばして座ってたり立ってたりして。で何かするわけでもないのにずっとその場に居る。本当に人形みたいな感じです。で足がめっちゃ速くてフォームもめちゃくちゃきれいでね。でもオリエンテーリングは下手くそ。
そんな彼の不器用に生きている感じに惹かれました。彼と話せるようになりたい、どうにか仲良くなりたいという不純な動機でよく部活に行くようになりました。彼が男子で良かったですね。
ちなみにですが、僕自身が彼を「かとけん」と呼ぶことはありません。これは他との差別化であり逆張りであり、愛情表現でもあります。
そんな感じで部活に対するモチベーションが高まるとともに、自分は彼の先輩で居続けなければならないと思うようになりました。彼が失敗したらどうにかして心の支えにならないといけないって思ったし、成功したら自分のことのように嬉しかった。悩んでいたら力になってやりたい。そのためには自分が競技的にも彼の前に居続けなければいけないとそう思ったんです。その存在のおかげで、僕のやる気はずっと保たれ続けたままでした。
余談ですが、今の僕の彼に対するスタンスはちょっと違います。今の僕は彼に対して静観をしています。
彼のこれからの競技的な、同時に人間的な成長においておそらく僕の存在が邪魔をするだろうからです。これまで彼の心が沈むたびに、僕はずっと彼のそばにいて、どうにかこうにか励まし続けてきました。もしそうじゃなくても彼は人柄がいいので、他の誰かが助けてくれていたと思います。
でも今、彼は彼自身にしか打ち破れない壁にぶつかっています。彼自身が向き合わなければ何も変えられない状況にある…と当人ではないので真偽はわからないですが僕は感じています。もちろんそこに僕が干渉してしまうことも、これまでみたいに助けてやることもできるとは思います。でもそれでは彼の中で「解決したつもり」「前に進めるようになったつもり」で終わってしまう気がするんです。
だから僕は、何も言われない限りは今の彼に何の手出しもしないようにしています。自分と向き合って自分の力で得られたものは人生の中で揺るがない柱になると思っています。この先一人でも歩いて行けるように、今よりもっと強く生きていけるように、僕は今だけは何もしないようにしています。
SEASON.5 インカレスプリントと僕
スプセレの「次」
スプセレが終わり、次に考えたのは秋インカレ。ロングは落ちちゃったのでどうしようもないため、自分は秋までスプリントに本腰を入れる形で舵を切り始めます。目標は選手権入賞になりました。それまではインカレ入賞なんて一度も考えたこともなかったけれど、いろんな人に「いけるよ!」と言われたのでなんだか不可能ではない気がしました。
方針はこれまでと同じで、課題を一回一回のレースで意識して克服し、改善を目指していく感じ。ちょうど夏は筑波大大会の運営時期であり、激務の大会運営に阻まれながらなんとかトレーニングを続けます。(筑波大大会運営の話もどこかでしたいですね。)
この時期が一番楽しかったです。いろんなスプリントの大会に興味を持って行って、どこへ行ってもそこそこ良い結果を出せました。ただただ純粋にスプリントが楽しかった時代でした。
インカレ直前期はテレインである「笠間芸術の森公園」の人工特徴物の位置をすべて覚えるほどにはテレイン研究をしました。対策コースもたくさん組んで、とにかく不安をなくそうと思うばかり。もちろん、スプリントの練習もやり続けました。
ですが本番前週の練習会や直前の練習でやや大きめのミスを重ねてしまい、少しばかりの不安を拭いきれないまま本番を迎えることになります。
地獄の始まり
そんなこんなでわずかに不安を抱えながらもワクワクしながら臨んだインカレスプリント。ここで今後一年の生き方を180°変えてしまう大事件が起こります。
ド緊張の中、序盤も中盤もまあそれなりのミスをしながらもなんとか走り続けます。ビジュアルに突入後。視界が急に明るくなります。会場には大勢の観客。飛び交う声援。それに加えて限界まで履き潰したシューズで出走したことが災いし、ビジュアルで滑って転びます。小パニック。そこで落ち着いて立て直せなかった自分は、ビジュアル後に自分至上最大最悪のとんでもない大ミスをしてしまいました。現ロス中に流石に取り返しがつかないと感じてしまうほどでした。
そこからのレース中の記憶はほとんどありません。ですがフィニッシュの光景だけははっきりと記憶にこびりついています。会場ではもちろん、筑波のみんなが最後まで応援してくれています。実況席の村田さんが一瞬だけ自分の名前を読み上げたのも聞こえました。こんなに応援されているのに。多分、会場の注目は僕には集まっていませんでした。
今でもこの光景がフラッシュバックすることがあります。そのくらいずっとトラウマで、当時はその光景が脳裏に焼き付いてしまって寝られない日がよくありました。
やってしまった。悔しくて情けなくて、地図で顔を覆いながらフィニッシュします。一応時計を見ましたが全然ダメそう。
このとき中途半端にでも記録が残っていればまだ救いはあったんだと思います。しかし、大ミス中に立禁を切ってしまっていたことを伝えられ、あえなくDISQになります。
悔しかったです。何も残らなかったんですから。許されるなら泣きたかったです。でも、笠間インカレスプリントは僕に泣くことすら許してくれませんでした。このインカレで加藤が3位に入賞してしまいます。当時の彼はまだ1年生(しかも競技未経験)なので、競技歴半年にも満たない状態で学生のトップレベルまで君臨したということになります。
もちろんめちゃくちゃ嬉しくはありました。本当にすごいと思ったし一緒に頑張った仲間だし。でも、当時のレースは大概いつでも彼より自分の方が速かったんです。自分は彼と同じくらい、もしくはそれ以上の実力があった。にも関わらず今の自分に残ったものは何もない。その事実にさらされることがただただ苦しかったです。
悔しいし、泣きたいし、苦しい。その場から逃げたい。けど、その場の主役でない自分が雰囲気を壊すわけにはいかない。だから最大限に取り繕って笑うしかありませんでした。
☕Coffee Break 5 : 田中雅崇の話
上の写真で僕(48ゼッケン)の左に写っている長身の男が田中雅崇くんです。僕の一個下の後輩で、現在はイギリスへ留学をしています。
僕にとっての彼の存在は少しだけ特殊で、ここまでの鎌倉さんとか祖父江さんの話とはちょっとだけ違います。僕にとっての彼はというと…なんですかね。強いて言うなら「良くお世話になっている後輩」とかですかね。
正直に言います。雅崇は性格がそこそこ良くありません。ときにまあまあ嫌なことを言うし「うわっ」て思うことをします。本当に勝手に書いておきながらごめんなさい。
でも僕の中でこの「性格の悪さ」というステータスは、人間として高く評価しているものだったりします。なぜかっていうと、性格の良い人には性格の悪い人の考えていることがわからないからです。
人間は人間なので嫉妬したり、悩んだり、酷いことを考えたりしてしまうことがあります。でも所詮人間なので、そういうマイナスな思考を必死に隠そうとしたりもするんです。雅崇はそういう、誰もが抱える「人間らしさ」を察知することに長けています。多分、人の良いところも悪いところもいっぱい見て育ってきたんだろうなって思います。だからいろんな人の立場に立ててそれぞれが抱える複雑な気持ちを理解してくれるんです。
さっき出てきた秋インカレの写真がお気に入りである理由には僕の表情以外にもうひとつあって。それが雅崇の左手だったりします。僕の肩の後ろに手を回しています。あのとき一同の焦点が成功した加藤に向かっている中、雅崇はずっと失敗した僕のことを気にかけてくれていたんです。これがめちゃくちゃ当時の自分は救われました。こういう部分に気付けてアクションを起こせるところがどうしても自分が彼に勝てないところだなって思います。
思えば雅崇にはずっとお世話になっています。自分の精神が怪しくなるたびにどういうわけかそれを察知して声をかけてくれます。後にも書きますが、4年の秋インカレ前に大スランプに陥った際も、イギリスにいるはずなのになぜか電話をかけてきてくれました。めちゃくちゃ嬉しいですね。
そんな彼も今年の2月にようやく日本に戻ってくるみたいです。来年は筑波大学の主将を請け負ってくれます。どんな筑波大学になるのか、今から楽しみです。
SEASON.6 NEW SEASON
ある晴れた日に
何も残らなかったインカレスプリント。おまけにスタート直前で蜂が出て出走すらできなかったインカレロング。二日間を通して自分には何も残らず3年の秋インカレは幕を閉じます。その翌日。完全に精神を崩壊させられた自分は奇行に走ります。
授業を全部切って長時間ジョグに出かけました。向かうところ一週間くらいは誰にも会いたくありませんでした。というより会える気がしませんでした。とにかく一人の時間が必要でした。時間も距離もペースも気にせず、いつも聞いている音楽もラジオも聴かず、一面に広がる秋晴れの下を自分の気の赴くままに走りました。気が向いたのでついでに宝篋山も登りました。
このときに、いい機会なので一度自分の「これから」を整理しようと思いました。自分が卒業までに何を目指したくて何を成し遂げたいのか。自分はオリエンテーリングとどう関わっていきたいのか。これまでずっと目の前のことに一生懸命で、遠い目でオリエンテーリングを見たことがありませんでした。
そうしていろいろ考えた結果、僕は卒業までの目標を定めます。
「インカレスプリント2024優勝」
「インカレリレー2024正規チーム優勝」
この二つです。これを指針に卒業までのオリエンテーリングをすることに決めました。スプリントは特に力を入れたいと思いました。
「それも実力」。ロングセレのときに怒りを覚えたあの言葉。たしかに、ロングセレのとき自分がしたバグみたいなミスはたまたまだったと思っていました。しかしインカレスプリントでもバグは起こってしまった。これは絶対にたまたまではありません。このミスに向き合わなければきっと何も変えられない。この時にこの言葉の真意をはじめて知った気がします(当人はそういう意味で言ったんではないんでしょうけど)。一年をかけて徹底的にフィジカルもメンタルもテクニックも、自分の持ちうるすべてを見直して再構成することに決めました。
同時に、もう一つ。あとにも書きますが、当時「NEW SEASON」というタイトルで競技日誌のようなものを書きはじめました。その初回の末尾にこう書いてあります。
インカレの歴史に名が刻まれた加藤と何も残せなかった僕とでは、この先の一年は全く違うものになるのだろうと予感していました。これから輝かしいエリートオリエンティア街道を進んでいくであろう彼に対し、自分はそれを見ていることしかできない地の底みたいな一年が待っている。これから一年、何度も苦しい思いや寂しい経験をするだろう。でも、だからこそ、何があったとしても挫けずに自分の力で立ち上がって走り続けよう。そういう覚悟を決めました。
比べられることすらない世界
覚悟こそしていたものの、この先の日々は自分が想像していたよりもずっと険しいものでした。どんな大会や練習会に行っても加藤に興味を持って話しかけてくれる人がいっぱいいます。大概僕は加藤と一緒の場にいましたが、向こう方にとっては僕は別に全く興味のない人です。そりゃあそうです。僕は無名なんですから。そういうことがあるたびに僕はすっとその場からいなくなるようにしていました。
こういうのは新人のときに慣れていたつもりだったんですけど、やっぱり切ないものですね。結構苦しかったです。「比べられることが苦しい」ってよく言われたりしますが、本当に残酷なのは「比べられることすらしないこと」なんだなと思うようになりました。自分が比較をされる土俵にすら立てていない事実を目の当たりにしていると、とてつもなく寂しい気持ちになりました。
ただ、新人のときと明確に違ったのは「一年間泥水を啜って生きていく」という精神的支柱があったこと。苦しいのははじめからわかっていたことだし、寂しくなる経験なんてこれまで何度もしてきた。だから負けるな。そういう絶対に曲がらない一本の軸が自分の中にあったからこそ、それに縋ってなんとか日々を生き抜くことができました。
「NEW SEASON」
この頃から自分は、競技に対する目標や現状の課題、所感、その時々の感情や思ったこと、最近楽しかったこと、苦しかったことなどを記録する競技日誌のようなものをつけるようになりました。「NEW SEASON」っていう名前です。タイトル回収ですね。
今もなお書き続けていて既刊13巻にわたります。自分のオリエンテーリングの話がベースで、技術論や競技に対する熱い話ばっかりですが、ときには部の闇に迫る話や友達ができて喜んでいるだけの話をしているときもありその内容は多岐にわたります。
自分の為だけに書いているものなので本来は自分の中に収めておけばよいもの…なんですが、技術的な話はもちろん、自分の苦悩や葛藤が飾らない形で書かれているので、もしかしたらそれが同じ悩みを持った誰かのヒントになる可能性があります。それゆえ、大々的にではないですが部内Slackのとある場所でひっそりと公開を続けています。
意外と根強いファンが多く、人のアナリシスを読んでいたらいきなりNEW SEASONが登場してきてびっくりすることがあったりします。良くも悪くも、「NEW SEASON」を介して僕という人間の素性が見えるので、NEW SEASONを読んで僕を好きになった、応援したくなったと言ってくれることが良くあります。嬉しいですね。
さて、話は戻ります。目標を決めた自分はそこにたどり着くまでのスモールステップを考えます。それで現状の自分のレベルを確認して課題を確認してそれに対する解決策を考えます。ここまではこれまでもやっていたことです。が、ここからはそれを「NEW SEASON」に書いて見える形にまとめるようになりました。言語化ってやっぱりすごくて、感覚でとらえていたものが言葉にできると、それが一気に体系化されるんですよ。なんとなくできたりできなかったりしていたものが自分でコントロールできるようになるんです。しかも、本質的な部分がはっきりするので根本的な課題が見えやすかったり応用が利きやすかったりします。アナリシスを書く意義も多分そういう部分にあるんでしょうね。
そんな感じでNEW SEASONという新たな武器(兼感情の掃き溜め)を携えて自分は新たなステージを進んでいくことになります。
☕Coffee Break 6 : 「NEW SEASON」巡り
「NEW SEASON」のお気に入りトピックを巡ろうのコーナーです。ガチコーヒーブレイクです。
自分はこれまで13回も「NEW SEASON」を書いてきました。その中では技術ガチガチの内容の他に、そのときになんとなく考えていたラフ寄りの内容を書いていたりもします。せっかくなのでお気に入りトピックをいくつか抜粋してみようかなって思います。「こんなこと書いてるよ」っていう紹介も兼ねていたりします。
足キャラ
心構え
PTSD
好きなテレイン
ロングセレ
トモダチコレクション
ミドルセレ
ランキング
…ふざけているようですけど、もちろん技術の話がメインですよ。技術の話4:目標や感想の話5:小噺1くらいでやっています。こういうのは自分で見返したときに楽しい内容があった方が酷じゃなくて良いと思います。
SEASON.7 ミドルリレーと僕
寂しさの春インカレ
自分のフォレストの目標は2024の春インカレなので、2023の春インカレにはあまり力を入れる気はありませんでした。スプリントのトレーニングを積みながら、でもフォレストシーズンなので休日はフォレストをやる…みたいな感じ。でも春インカレ自体はエリートで走りたかった(春インカレは演出が豪華なので)ので、ミドルセレ前は必死こいてフォレストの練習をして対策をしてどういうわけかセレを通過します。
春インカレの目標は「ミドル選手権30位以内」「リレー正規入賞もしくは一般優勝」。今年に懸けてはいないのでリレーセレも3戦ともラフな感じで走りました(実は1レースだけ1位を取っていたりした)。選手権に入り込むかどうだかみたいなところを彷徨いながら、結局は一般の一軍チームの1走で走ることになりました。
そんなラフラフで臨んだ春インカレは当然ラフラフなので結果なんか出るはずがありません。もともとそのくらいのスタンスでしたしね。でも、この春インカレで同期の及川くんやずっと結果を出せないでいたラストインカレの鎌倉さんがミドルで化けます。二人とも多分10位以内の順位を取っていました。熱かった。リレーもすごくて、女子は当然のように優勝し、男子は失敗してしまった部分もありながら5位入賞。
自分はというとミドルは4分ミスをして34位。リレーは1分ミスをしたものの1走を2位で帰還しますがチームの最終順位は1秒差で入賞を逃し4位。両方とも目標にかすっていながら達成できずといった形に。春インカレは楽しかったけどやっぱりちょっと不完全燃焼でしたね。ちょうど女子の一般リレーもそんな感じで、同期の坂池が会心の走りをしながらもチームとしては入賞に届かず、みたいな。2人で表彰式を黙って見ていました。「もっとチームメイクをちゃんとしていれば」「自分がまだできたことがあったんじゃないか」みたいなことを自分の中で考える時間がありました。そこで坂池が言います。
「来年は自分が主人公のインカレにしたいな」
なんかすごい刺さりました。選手権リレーを走れなかった坂池が言ったからっていうのもあるんでしょうけど、なんかそれとは別に来るものがありました。
インカレは確かに楽しいです。楽しいはずなんですけど…。僕がずっとインカレに感じていた感情はずっと「寂しい」だったな…って思ったんです。誰も自分を見ていないからなのでしょうか。それとも、自分がずっと「見る側」にしかいられないからなのでしょうか。応援して、おめでとうって言って、みんながメダルを持ったり花を持ったりして笑い合っているのを見ていることしかできないからなのでしょうか。
少しだけ、オリエンテーリングが好きじゃなかったときのことを思い出しました。
☕Coffee Break 7 : 坂池なつほの話
同期の坂池なつほさんの話です。筆不精の僕がそのときに思いついた適当なLINEを送れるくらいには仲のいい、割と希少な存在だったりします。
お互いお笑いが好きで、部内では珍しい趣味が合う友人です。一年のミドルセレがM-1グランプリ当日であり、会場でM-1の話をし始めたことでお笑い好きが発覚して仲良くなりました。最近は彼女の推しているお笑い芸人が賞レースで優勝するジンクスができ始めています(令和ロマン然りラブレターズ然り)。真空ジェシカが優勝できなくなるのでやめてほしいです。
さて、筑波大学の僕の同期・47期はびっくりするほど協調性の無い面々が揃っています。僕たちが運営代であった筑波大大会も外面的にはめっちゃいい大会でしたが、数多の戦いの後がSlackとLINEに残されていたりします(掘り起こしたSlackのログを定期的にSlackLogViewerで見返して「あの時」を忘れないようにしています)。
そんな感じなので最近は同期会が開催されることもめっきりないのですが、そんなどうしようもない同期をずっと取り持ってくれているのが彼女だったりします。まさに鎹。彼女がいなかったら今頃47期は確実に空中分解していたので、とんでもない功労者です。女手一つで期を掌握しています。
彼女の凄さは何といっても人当たりの良さです。ほとんどの人間に対して分け隔てなく関わりますし、心から楽しそうにしてくれます。まさにエンターテイナーっていう感じで、いつもみんなが楽しめるようにって気を配ってくれています。ポジティブな鎌倉さんみたいな感じです。すっかり競技部になりかけている今の部に、自分が1年生だったときの温かい雰囲気がまだ残っているのは彼女の存在が大きい気がします。
彼女は秋インカレでいろいろ考えることがあったらしく、次のラストインカレに燃えています。何かを変えようとしている懸命な姿を見て、僕も負けてられないなって最近思っています。実はひっそりと応援しています。
自分はあと2年大学にいるので呑気にしていますが、坂池は来年就職するらしいので一緒に過ごせるのもあと数ヶ月。「もっと私を大事にした方が良いよ。」とか言われました。普通に坂池がいなくなると部はともかく同期は崩壊の一途をたどりそうなので来年は少なくとも関東圏内には居てほしいです。
SEASON.8 スランプ
Hello, sprint season.
春インカレも終わったので自分のトレーニングは、スプリント主体に戻っていきます。フォレストも暫くないので、気兼ねなくスプリントができるようになったことがめちゃくちゃ嬉しかったです。練習も質と量ともに高くなり、フィジカル技術ともに明らかな成長が見られました。向かう先は5月のWOC選考会。WOCに行く気は微塵も無かった(行ける気もしなかった)のですが、スプリントの精鋭たちが本気で挑んでくる大会だと思ったので、同じ条件下で戦う為に選考会にエントリーします。目標は学生トップです。
でも、この大会で勝ったとて自分にとって別に何かになるわけではないので対策しようにもやる気が出ないな~。新規テレインだし。みたいな日々が続いていました。そのタイミングでねもけいさん(一応ですけど僕の4個上くらいの先輩です。WOCer)から「一緒に対策をしないか?」と誘われます。カモネギです。乗ります。現地の写真をあの手この手で拾って、対策地図を一緒に描いてみたいな日々が続きました。楽しかったですね~。
で大会当日。レースは1ミス20秒のみでまあそれなりに良い具合にはまとめます。まとめたのですが…。この日に初めて同期の及川にスプリントで負けます。DISQしたものの、加藤も異次元のタイムで走ります。まあでも2人とも選考会にはエントリーしていなかったので心理的な条件が違うと言えば違うんですけどね。でも、選考会にエントリーしていたKOLC同期の美濃部くんにも負けてしまいます。これに関しては全くの同条件なのでこれは言い逃れできません。
単純な実力不足を感じました。結果としては学生3位。これならインカレスプリントでほぼほぼ入賞はできるだろう。でもこれでは優勝は叶わない。悔しさや寂しさとは違った何とも言えない不思議な感覚だけを胸に自分のWOC選考会は幕を閉じました。
多忙期
ゴールデンウイークが終わります。ここから人生一の多忙期に入り、オリエンテーリングが自由にできなくなります。将来のことに関して何も進めていなかった負債の帳尻合わせの二ヶ月が始まりました。
この時期に何をやってたのかっていうのは教育実習とか教採とか院試とか他にもいろいろあるんですがあまり本筋に関係ない上に長すぎたのでカットしました。とにかくめちゃくちゃいろいろなことを並行して頑張った期間でした。
平日が思うように使えない日が多かったので本当に土日のオリエンテーリングだけがオアシスでした。5月の教育実習のはざまにあった横国スプリント-茶の里スプリントの休日が最高に楽しかったです。社会人オリエンティアがあんなにオリエンをしている理由が今ならわかります。
最終的にすべてが良い感じの形に収まり、無事進路も決まりました(大学院進学します)。ついでにロングセレもぬるっと通りました。
狂い始めたスプリント
人生最後のロングセレも終わり、次に待ち構えていたのは人生最後のスプリントセレでした。僕がこのときにオリエンテーリングをしていた理由はもちろん「インカレスプリントで優勝する」ため。だからこのスプリントセレだけはどうしても外せませんでした。
どうしてもセレに通りたいのは去年のセレと同じですが、去年とは状況が異なります。自分はもうセレに通過し得るだけの十分な実力は既に持っています。単純なミスで自分がセレに落ちることは到底考えづらい。なので、当時の僕が考えていたことのすべては、「如何にDISQをしないで走り切るか。」これに着きました。そのため、自分はDISQの要因を徹底的に潰す走りをセレの為だけに身に着けようと考えました。
(ポストスルー対策とかしょうもないこと考えたりしました。下の記事内で詳細が書いてありますので興味ある方は是非。)
この時期に自身のスプリントレースに異変が生じ始めます。これまでのようなリズムで走れなくなり、スピードも失われ、1分程度の大ミスも平気で生まれるようになっていきました(それでもセレを通過するには十分なタイムなんですが)。さらには、及川や加藤以外のこれまで自分が決してスプリントで負けなかった他の部員にもレースで負けることが増え始めます。少し焦ります。「でも、そんなこともセレが終わったらきっと元に戻るだろう。」そう考えてトレーニングを続けました。
そうして臨んだ最後のスプリントセレは無事DISQをせず完走し、結果は13位でボーダーからは余裕で通過。再びインカレスプリントへの挑戦権を手にしました。しかし部内では7番目、トップ+約1分半、45秒ミスがひとつ。レースの内容自体はボロボロでした。
でも、この日以降はDISQに対して過剰に精神を割く必要がありません。これまで通り、いつも通りのスプリントをすることができます。自分のスプリントはきっとこれまでとは桁違いに良くなっていく。
…そう思っていました。その後もずっと僕のスプリントはおかしいままでした。「いつも通り」がいつの間にかできなくなりました。明らかなスランプに差し掛かってしまったとわかりました。ですが、焦りは禁物。最終目標のインカレスプリントまではまだ3,4ヶ月残っています。今はこの先は見えないけれど、このままやり続けていたらきっといつかこの状況は打開できるだろう。今は耐えの期間だ。そう信じて今やっているトレーニングを辞めることなく、夏中ずっと絶えず続けていきました。
結局、スプセレから1ヶ月、8月が終わっても僕のスプリントが元に戻ることはありませんでした。
☕Coffee Break 8 : 好きな曲の話
僕が聞く音楽ジャンルに「ボーカロイド曲(ボカロ曲)」があります。
「初音ミクが歌っているような曲」と言えば伝わりやすいでしょうか。ボーカロイド曲は歌声合成技術を使っていてボーカルに癖があるので、正直結構好みがわかれるところがありそうですね。
僕が思うボカロ曲の魅力は、「音楽を通して誰かの強い感情に出会える」部分にあると思っています。ボカロ曲は世界中のクリエイターが本当に自分の好きなように曲を作っていることが多く、「自分が売れるための音楽」というより、「自分が作りたい音楽」という感じがします。それゆえ、人間の奥底に深く入り込んでくれる曲とか飾らない切実な感情を表現している曲が非常に多かったりします。
僕が好きな、というか心の支えにしている曲を2つだけ紹介させてください。とっても良い曲なので良かったら聞いてみてくださいね。
Afterglow/ジミーサムP
3年生のスプセレ周りのときによく聞いていました。
ノスタルジックなイントロから進んでいき、突如爆発を起こします。まさに「breakthrough」の曲です。
NEO/じん
笠間インカレ以降一番聞いた曲だと思います。
「消えたって、消えないで」みたいな切なフレーズが、必死にもがく体にを力を与えてくれます。最強の応援歌です。
SEASON.9 あわらインカレの少し前
トレーニングと「ゆとり」
9月に入ってもなお、僕のスプリントは依然として狂い続けています。9月中旬の千葉大大会スプリントでも相変わらずパッとしないレースをしました。おまけに翌日の千葉大ロングもボロボロ…とは言わずともなんだか釈然としない結果に終わります。
自分は普段から、SNSにはマイナスな感情は絶対に書かず、プラスのことだけを書くようにしています。(鎌倉さんがそうしていると言っていたので見習ってマネをしています)。自分の軽率な発言のせいで誰かの心が曇ってしまうのは申し訳ないですしね。
でもこの日、(おそらく)初めて自分の上手くいかない諸々のもやもやをstravaのログと一緒にあげてしまいます。
直後に雅崇がイギリスから連絡をくれました。すげえなこいつ。僕は何か思うところはあるんですが、それがはっきりと言葉にまとまらず、ずっと曖昧な感じでとりあえず話を続けてみました。このときに雅崇が急に僕にある問いを投げかけてきます。
「今オリエンテーリングしていて楽しいですか?」
…全く楽しくありませんでした。春までは寂しいと思いながらも確かに楽しかったはずのオリエンテーリングに、スプリントに、自分は良い感情はもちろん、負の感情も何もなく、本当に何も思っていませんでした。自分が今、なぜオリエンをしていてどうしてインカレで優勝したいのか、そんなこともわかりませんでした。やらなければいけないから毎日トレーニングをして、スプリントをしなければいけないから毎週大会に参加し続ける。そんな目的を見失っていた日々のオリエンテーリングは習慣を越えて気づかないうちに作業へと変わっていました。自分の感情が介入する余地の無い、機械じみた生活だけがそこにありました。
インカレまではもう2か月しかありません。この言葉を受けて、自分は一大決心をします。
「この2ヶ月を一番オリエンテーリングを楽しんだ期間にしよう」
純粋にオリエンテーリングを楽しむということをすっかり忘れていました。そうなんですよね。オリエンテーリングって楽しいんですよね。
だから、課題とか技術とかは一旦今は忘れて、自分のやりたいようにスプリントをして、自分の気が向くままにトレーニングをしよう。やめたくなった日は途中でもやめちゃっていいし、もう少しやりたいって思った日は心が満たされるまでやってしまおう。そういうスタンスで、これまでよりも「ゆとり」を持ったトレーニングをするようになりました。
心と体はつながっているんだとか言われたりします。実際のところどうだかはよくわかりませんが、これ以降だんだんと僕のスプリントが再び軌道に乗っていきます。これまでよりも上手く走れるレースが増え、客観的なレース結果もぐんぐん良くなっていきます。
気付いたときには、僕はスランプを脱することに成功していました。
(心理的な部分の回復もそうですが、千葉大大会スプリントの振り返りをしているときにようやく笠間インカレの大ミスの根本的な原因を突き詰めることができました。原因の解明に11ヶ月もかかってしまったことと、それがたまたま見つかってしまった感じがしてショックだったんですが、葵ちゃんが「それだけ考えたから見つかったことですね♬」って言ってくれました。確かにって思えました。ありがとう。)
最後までできることを
スランプを抜けた僕はまさに絶好調です。日々のスプリントレースでは周りと比較しても良い結果を安定して残し続けます。
インカレ直前期ともなると界隈全体に「いよいよ!」みたいな雰囲気が醸し出され始めます。プログラムが出てドキドキしたり、シード選手に落ちて少し沈んだり、スタリが出て自分のスタート順に切れ散らかしたり、結局最後までインカレ広報に声がかからなかったことに寂しさを覚えたりします(無名なので仕方ないですよね…)。
対策も相変わらず、今まで以上に徹底的にしていました。テレインである「トリムパークかなづ」を限界までネットサーフィンしてテレインストーカーした情報をもとにOOMで新図式で描き直した「トリムパークかなづNEO」を作ったり、祖父江さんが組んでくれるレッグを無限に読んだり、不確定要素やレースの展開やテレイン内の各エリアに対する対策想定を考えたり…。とにかく穴の無いように準備をしました。
ずっと緊張をしていました。その浮ついた心を埋めるようにこれでもかという程地図対策や想定コース組みを繰り返し、今できることに励みました。
あわらインカレの1週間前、筑波大学は「笠間芸術の森公園」でインカレスプリント対策練を行います。去年自分が大敗北を期した、地獄の始まりとなったある意味思い出の場所です。
ここでのレースはやっぱり加藤には適いませんでしたが、そこそこのミスをしながらもそこそこ良い結果をたたき出します。プレレースとしては上々。加藤との差はまああるものの、彼に確実な安定性がまだ無いことを知っていましたし、インカレ優勝が全く見えない位置ではありませんでした。状況次第とは思いましたが、自身には十分優勝の可能性が残されていることをここで確信しました。
あの日の景色
しかし、この日この場を境に自分の心から一切の緊張が消え去ります。あんなに優勝したいと思っていたインカレスプリントに対する執着が突如消え去ってしまいます。あまりの心の静けさに少しだけ焦りました。ですがそれは決してマイナスなことではありませんでした。
このときにはもう、自分が1年を通してやりたかったことが既にすべてできていたと思えていたんです。一年間、自分と向き合うことから逃げずに毎日を過ごしてきたこと。自分の能力や実力にかまけず、必要な努力を重ねて続けてきたこと。一年前の自分自身が決めてくれた覚悟をずっと貫き続けてきたこと。
自分がやってきたこと、積み重ねてきたもののすべては余すことなく自分の身体に沁みついていることを理解していました。それだけで僕はもう大方満足でした。インカレの結果がどうなったとしても、絶対に僕はこの一年を進み続けてきたことを自信を持って誇れるだろうと感じていました。
初めてセレを通過したあの日に静岡大学で見えた景色が、もう自分には見えていた気がしました。
(本番の前日に雅崇にこの話をしたら少しだけ怒られました。そのおかげで本番前に少し腑抜けていた自分を叩き起こせた気がします。)
☕Coffee Break 9 : ともだちをつくろう
自分はあまり社交的ではないので積極的にコミュニケーションを取りに行ったりするタイプでもなく、オリエンテーリング周りの人間関係は3年の秋ごろくらいまでは部内の人間でほぼ完結していました(一部例外はいたりします)。
これに関しては別に寂しいとかは全くなく、自分としては部に話せる人がいるだけで十分楽しかったのであまり外部に交友関係を広げる理由も必要性もあまりないよな~というのがそのままの気持ちでした。ですがその後、どういうわけかいろんな場所でいろんな人たちと出会うことが増え、ありがたいことにお話をさせてもらえる機会が増えたりして少しずつ人間関係が広がっていきます。
…やっぱり友達っていればいるだけ良いですね。これに関してはめっちゃ言い方悪いですけど課金要素みたいな感覚があります。「友達いなくてもオリエンテーリングは楽しめるけど友達がいたらもっと楽しみ方が増えるよ!」的な。
シンプルに会場に行ったら友達とか知り合いと会えるので大会に行くのがより楽しみになりますし、リレーとか大きめの大会とかだったら応援したい人がいっぱいいるので全然退屈しないです。自分の知らない競技の話が聞けて身になることがあったり、失敗したレースをしても一緒にとぼとぼ長い誘導を帰ってくれる人がいてくれたり、ライバルとの勝負で一喜一憂したり。(インカレ選手名鑑の「ライバル選手は?」の質問がKOLC同期の上妻と相思相愛でバカ嬉しかった)
最近は、「この人と話してみたいけどどうしよう」とか、「あの人いるけど今声かけたら良くないかな」とか「タイミング逃してしまった…」とかそういうちょっとした部分で悩むことがたまにあったりします。よく考えたら贅沢な悩みですね。そんなのうまい具合にやれって。
とにかく、この頃はいろんな人と関われることが僕にとってのオリエンテーリングのひとつの楽しみになっています。僕なんかと仲良くしてくださっていつも本当ありがとうございますっていう話です。本当に楽しくさせてもらっています。
僕のまだお会いしたことのない、初めましての方もどうぞよろしくお願いします。どこかでたまたまお会いした時、お話ができたら嬉しいです。でもドが付くほどのシャイなので少しだけ気を付けてくださいね。人当たりは良いんですけどね…。
SEASON.10 僕とインカレスプリント
最後のピース
インカレスプリント当日。前日の夜、雅崇に「結局結果を出さないと悔しいとか思うんでしょ?」とか言われたので、やっぱり最後まで結果を追い求めるよう気合を入れ直しました。
とはいえ、前日暗くてできなかったスタートのシミュレーションだけは朝一でやりましたが、技術的にもフィジカル的にも対策的にも、他にはもう今更自分にできることはありません。あとは本番のレースで「自分を最後までコントロールしきること」さえできればOKです。
なので、ここからはメンタルがレースを大きく左右すると思っていました。レース前に不安が残っていると、本来気にかけなければならない自分自身に目を向けるのが難しくなります。これは1年前の経験を踏まえた反省です。だからスタートするまでの時間に緊張するのは良いとしても、絶対に不安になるのだけは良くないって1年前から考えていたんです。
不安になる要素っていろいろあります。例えばビジュアルで飛ばないかなとか、上手く地図が読めるかとか、スタートで焦ってミスらないかなとか…。挙げたらキリがないくらい不安は山ほどあります。ですが、そういう類の不安は予め事態を想定しておいて対策しておくことが可能です。
想定内になった不安要素は自分の力でコントロールすることができるので、結果不安ではなくなります。そもそも頭に浮かびすらしない不安要素は浮かんでない時点で既に不安ではないですし。大抵の不安は想定で消し去ることができます。ですが、想定ではどうしようもない不安があるはずです。
「自分の実力が上手く結果につながってくれるか」
こればっかりはその場でどうこうなるものではありません。その場で格上の選手よりも技術を上げることはできないし、その場で足を速くすることもできません。だから、自分についての確かな自信が無ければ無いだけ、レース前の不安は増幅するだけになります。
…確かな自信があれば。
自分自身に確かな自信さえあればこの不安は無くなります。だって自分の実力で結果を出せること自体が想定内なんですから。自分でレースをコントロールすることさえできれば、結果だってある程度コントロールできちゃうんです。
じゃあ確かな自信をくれるのはなんですか、って言われたら…。そりゃ技術力とか走力とかはもちろんあります。でもそういうものは他人と比較した相対的な指標であって、自分にとっての絶対ではありません。最後の支えにするには少しだけ信頼性に欠けます。じゃあ自分にとって「絶対的に」揺るがない自信は?
「自分自身の存在」です。
…随分と青臭い答えですね。スポ根かよって思われても仕方ありません。でも大変なことなんですよ、これって。
目標に向かってその日までに着実に努力して、懸命に考えて、必死に練習して、コツコツと準備して…。そう言う日々を乗り越えて目標に達し得るだけの力を持った自分自身であれば、そいつは絶対に最後までレースをコントロールできますし、結果も持って帰ってきてくれます。自分にとって絶対的に自信を持てる武器。だって他でもない、コントロールすべき自分そのものなんだから。…と僕は1年前から考えていました。
だから僕はずっと準備をしてきました。ひとつひとつのことから逃げずに向き合い続けた自分が、最後の最後に自分を支える絶対的な存在になってくれると信じて。一年間ずっと真っ直ぐがんばり続けてきてくれた自分のおかげで、僕は最後の最後に「自分自身」を頼りにする選択をすることが許されたんだと思います。
僕とインカレスプリント
レース中。明確なミスをした感触はありました。それでも、そのときに自分にできるベストを尽くし続けて、フィニッシュまで全力で走り抜きました。フィニッシュをし、確定したタイムを確認します。14分38秒。ウイニングが14分なので+約40秒です。優勝するには厳しい結果であることはすぐにわかりました。コースの難易度は高かったですが、自分の実力でもこのコースなら14分は出る、と感じました。
結果は3位でした。入賞をすることができました。
でも優勝まではあと12秒。
わずかに手が届きませんでした。
いろんな人が自分の入賞を喜んでくれました。一年前とは全然違って、みんなすごい嬉しそうな顔をして声をかけてくれました。中には自分のことのように喜んでくれる人もいたりして。誰かに何か言われるたびに、「めちゃくちゃ嬉しい。でもちょっとだけ悔しい。」そういうようにしていました。
ですが、本当に本当のことを言うと、気持ちは全くの逆でした。3位という結果はもちろん嬉しかったですが、それ以上にめちゃくちゃ悔しかったです。間違いなく自分が優勝を手にできたレースでした。あのミスをしなければ、しっかり頭を回せていれば…と過ぎてしまったことを割とずっと引きずっていました。
(ごく少数ですが、「おめでとう」って言ってくれながらも少しだけ複雑そうな顔をしてくれている人もいました。僕は自分のマイナスな面を見せないように振舞っていたので何も言わないようにしていたんですが、僕の内情をよくわかってくれているんだなって思って心が温かくなりました。ちゃんと伝わっていますよ。)
でもやっぱり、自分の力で初めて登った表彰台は嬉しかったです。メダルって案外重いんだなとか、部旗って意外と肩にかけにくいんだなとか、賞状とメダルを同時に写しながら写真撮るのって難しいなとか。4年近くやってきたのに初めて知ることがいっぱいでした。
こうして、1年をかけて臨んだ僕のインカレスプリントは、「3位入賞」という結果を残して終わりを迎えました。
悔しい悔しいとは言っていますが、僕はインカレスプリントに対してほとんど未練はありません。自分のやるべきことはすべてやりましたし、踏むべき手段もすべて踏みました。それでもなお優勝ができなかったのなら、それはきっと最初からそうなるものだったのでしょう。と思うようにしています。
ひとつ心残りがあるとするならば、インカレスプリントの表彰台で肩を並べたかった人たちと、もう二度と一緒にインカレの表彰台に立つことができなくなってしまったこと。それが少しだけ寂しいです。
☕Coffee Break 10 : 及川悠太郎の話
僕が勝てなかったこのインカレで優勝を果たしたのが及川悠太郎です。僕の同期に当たります。
彼は同期ですが、入部したのは僕が二年生の時。なので学連登録をあと一年残していたりします。第一印象は金髪の目つきの悪い怖そうな人(普通にサークルクラッシャーだと思ってた)。当時彼はあまり部活に来なかったので(僕もですけど)その素性を良く知りませんでした。その上たまに来てやるオリエンテーリングは下手くそでした。
彼は一年目の秋、春のインカレで俗にいう「インカレ病」にかかったそうです。そこで情熱を燃やし始めて以降、すぐに淡々と上手くなっていき、あっという間に筑波のトップに君臨しました。…という風に思われがちなんですけど、実はその裏には当人の弛まぬ研鑽と研究の跡があります。及川は僕と同じく、もしくは僕以上にオリエンテーリングの才能が無いので日々必死こいて努力をしている人間です。本人は恥ずかしがり屋なので自分からそういう話をすることは滅多にありません。ですが当人との会話や生活の中で彼のそういう部分が垣間見える瞬間があったりします。2023スプセレや2024ロングセレでかなり不条理なセレ落ちをしていたりと、エリートオリエンティアながらしんどい経験をたくさんしています。でも折れません。根本的に強い人間です。
僕は部内の人間の中で一番と言えるくらいに及川に信頼を置いています。彼は彼自身が発する言葉と行動が一致しています。「言うだけ」でやらないわけではないし、「やるだけ」で何も考えていないわけでもない。だから言葉に力があるし人間として信頼ができるんだと思います。よくわからんことを言ってても「及川が言ってるならそうなんだろうな」と思ったりします。
余談ですが、及川くんは実は見た目ほど怖い人ではないです。本人も人望が無いことを結構気にしています。「なんでそんな速いの?」とか聞いてみたらきっと嬉しそうにいろいろ喋り出すと思います。そのうえ大抵なんでも笑ってくれるので、話しかけてみると意外と楽しかったりすると思いますよ。おすすめです。
SEASON.EX 未来の話
NEW SEASONは終わらない
長くなりましたがこれで僕のこれまでの話は終わりになります。
この章では僕のこれからの話を少しだけします。
僕のインカレスプリントは終わりましたが、僕にはまだ学生のうちにやらなければいけないことがあります。皆さんお忘れかもしれないですが、僕の学生期間での目標は「インカレスプリント優勝」の他にもうひとつあります。
「インカレリレー正規優勝」です。もう少しだけ頑張る必要があります。
ここまでスプリントの話ばっかり書いてきましたが僕のフォレストの実力はどうなんやって話ですね。インカレミドル2023はどこかで書いた通り34位。インカレロング2024(実は走ってます)は32位です。
…微妙ですね。リレーで勝つって言っている割にはかなり心もとないです。そもそも正規チームで走れるかは当然、筑波の中では一般の一軍で走れるかすらも怪しいです。
今のままでは筑波大学は勝てない気がしています。選手の層は十分に厚いですが、上3人の総合力を考えたときにあと一歩という感じがします。強い選手として及川と森清がいますが3人目がいない。だから、リレーの3人目を狙っている人間が今部内には結構いるんだろうなと思っています。
…甘いです。リレーを走れればいいと思っている人間にリレーは勝てないです。というか任せられません。軟弱すぎます。少なくとも、及川を追い抜いて自分が筑波を背負う、くらいの気概が必要だと思います。
そのために僕はこの春までに大成長をします。ひとまずスプリントは春が終わるまでは休むので、僕の持ち得るすべてのリソースをミドルリレーに割くつもりです。徹底的に自分のフォレストオリエンテーリングと向き合ってリレーで戦う為の力を十二分に付けます。みんなが春に安心して僕にリレーを任せられるだけの存在になります。
NEW SEASONのその先へ
ここからはさらにその先の話。僕は学生を終えたらどうなるんでしょうか。
…正直よくわかっていません。本来、目指すべき場所はWOC2026とかWUOC2026とか言っておくべきなんでしょう。ですが未だ決心はついていません。そこに向かう為には相当の覚悟が必要ですし、なにより生半可な気持ちで口に出すことが許されるようなものでないと思っています。
それを踏まえたうえで、とりあえず現状は2年後に向かっていこうと考えています。これからしばらくの間はまだ競技を頑張りたいので目指す場所がわかっていないと練習を組み立てづらいですし、とにかく足を進めていることが如何に大事かというのはこの学生生活で痛いほど学びました。本気でやりたくなったらそういう瞬間が来るかもしれないですし、そうでないまま終わるかもしれないです。きっと未来の自分がやりたいようにやってくれると思います。ただ、それとは別にひとつだけ絶対にやりたいと決めていることがあります。
「コーチング」です。
…嘘です。コーチングではありません。正確にはコーチングとはちょっとだけ異なること、です。結構前に鎌倉さんの話をしたときに「鎌倉さんみたいな選手になりたい」と言っていたと思います。これは具体的には「寂しい思いをしている人を見つけて寄り添ってあげること」と書きました。
オリエンテーリングは楽しいです。競技を頑張る人がいて、運営を頑張る人もいて。競技をガチガチにやるわけじゃないけどいろんな大会にきてオリエンテーリングを楽しんでいる人とか、オリエンの他に本気でやっていることがあって、でもたまにオリエンがしたくなった時だけ競技をする人とか。競技は別に面白くないけどクラブの仲間が好きでオリエンを続けている人とか、頑張っているどこかの選手を追いかけて応援することを楽しみにしている人とか、ただ仲間とお酒が飲みたいだけの人とか…。全部挙げたらきりがないですけど、本当にいろんな人がいて、それぞれのオリエンテーリングを楽しんでいます。そういう個人の自由なスタンスで競技と関われるところがぼくのオリエンテーリング界隈の大好きなところです。
ですが、それを見つけられないままオリエンテーリングで苦しんでいる人がいます。オリエンテーリングは好きなのに、好きだったはずなのに、なんとなく寂しかったり楽しくなかったり。少なくとも自分が何度も苦しんできたので、そういう人に、そうであろう人に出会う度に僕は少しだけ心が痛みます。
そういう人の助けができるのが「コーチング」という立ち位置だと思っています。コーチングって詳しくはよくわからんですけどオリエンテーリングの技術向上とかフィジカル向上のためにアドバイスしたり、選手が抱えている課題に対する解決策を一緒に考えて提案したり、みたいなことをしてくれます。僕にとっての「今の」祖父江さんみたいな存在だと思っています。
もちろん競技が上手くなる手助けができたらそれに越したことはないですが、僕は競技が上手くなること以上に、その人がオリエンテーリングとどう関わっていくか、その軸を固めていることが最も大事なことだと思っています。
これって難しいことです。僕はとても長い時間を掛けましたし、正味本人次第なところがあります。僕にとってのオリエンテーリングの在り方と誰かにとってのオリエンテーリングの在り方は違いますから、僕が提示したことを誰かがそのままの形で自分の懐に入れていくのは少々無理があります。
じゃあ自分の場合、どうやってその壁を越えられたかって考えたら…全部運が良かっただけ。うまいこと良い人たちにベストなタイミングで出会えて、その出来事をきっかけに自分の生き方が変化していきました。でももしその「きっかけ」が無かったら僕はいつまでもオリエンテーリングと上手く関われないままだったかもしれません。
だから、僕がこれからすることは「きっかけづくり」です。僕の見てきたものとか感じてきたこととか、広く言ったら競技観とか生き方とか、そういう僕の持ちうるものを伝えられるだけ伝えて、それがどこかの誰かにとって、自分のオリエンテーリングとの関わり方を見つける「きっかけ」になったらいいと考えています。そうして一人でも多くの人がオリエンテーリングを全力で楽しむことができるようになってくれたら僕もとっても嬉しいんだろうな~って、そう思います。
さいごに:IN MY ORIENTEERING!!!!
いつかそれなりに結果が出たら言いたいと思っていたことがあります。
セレを通過したいとか、インカレみたいなでかい大会で入賞したい、優勝したいとか、世界で戦いたいとか。そういう競技的な目標が多く掲げられることが多いこのオリエンテーリングという世界。もちろんオリエンテーリングは「スポーツ」であり「競技」なのでそんなのは自然のことだと思います。そのために何かしらの努力をすることもできると思います。
反対に、そんな「エリート」なんて目指さないで、良い距離感でオリエンテーリングと付き合い続けることもできます。運営いっぱいやるとか、気が向いたら行くとかそんな関わり方もできます。
どっちが不正解とかはありません。無論どっちも正解です。その選択は自分がオリエンテーリングとどう関わっていきたいかを考えたうえで決めればいいと思っています。
別にすぐに決めることもありません。学連登録が1年目だって2年目だって、3だって4だって、学連登録なんてなくったってオリエンテーリングはいつからでも本気で競技をやれるし、逆にいつからだって休んじゃうこともできちゃいます。「みんながこうしてるから…」とか焦って自分の今を決めてしまうことを急ぐんじゃなくて、他人とか関係なく自分がどうしたいかを大事にしてあげて、自分が楽しんでオリエンテーリングと触れていける方法をゆっくりでもいいので探ってみてほしいです。
その上でです。その上でもし、「競技をがんばりたい」という人がいて、でも目標や進み方がわからない人がいるとするのなら、僕の姿をひとつの目指す場所としてみてほしいんです。
僕が今、競技をがんばっている理由として、「自分の存在をきっかけとして誰かがオリエンテーリングを好きになってほしい」というものがあります。これまでで散々述べた通り、僕にはオリエンテーリングの才能は無かったし、並外れた走力や桁違いの読図力があったわけでもない。それに長いことオリエンテーリングをやってきた経験も、世界のハイレベルな場で戦った機会もありません。
そんな何もなかったはずの僕がインカレの表彰台に立てました。時間はかかりましたけどね。でも、何も特別で無かった人間だったとしても、ここまでならどうにかたどり着けるぞっていう証明が僕はできたんじゃないかなと思っています。このことが、誰かが競技をがんばるための希望になっていてくれたら嬉しいんです。
別に目指す先がインカレ入賞や優勝でなくてもいいはずです。インカレで何番に入るとか、セレに通過するとか。インカレやセレにこだわらなくても、部内何番に入りたいとかライバルのあいつに勝ちたいとか、ミス率いくつ以内とか…。目標の形はオリエンティアの数だけあります。全日本やインカレやセレがオリエンテーリングのすべてではないですし、もしそうであってしまったらちょっとだけ嫌だなって僕は思います。
そうして自分で行先を決めて自分で歩みを進めて、そうして重ねていったものが力になって、形として現れてくれた瞬間に出会えたのなら、そこから見える景色はきっと格別です。生涯忘れられないものになると思います。だから、もし「がんばる」と決めたのであれば、いつか、そういう場所までたどり着けたら良いですね。
たまに、空白の2年間のことを思い返すことがあります。「あの時オリエンテーリングを本気でやったいたら、今頃どうなっていたんだろう」って考えることがあります。もしそうしていたら、きっと今頃もっと強くなれていたかもしれない。競技3年目には既にインカレ入賞が当たり前になっていたかもしれない。もしかしたらJWOCとかに出て世界で戦う選手になれていたかもしれない。
確かにそうかもしれません。今よりオリエンテーリングが強い選手にはなれていたかもしれません。でもそうしていたらきっと、「今の僕」にはなり得なかったと思うんです。
オリエンテーリングとの関わり方に悩んだ時間も、競技を本気でやっていなかった時間も、側からみたらそれは何の意味もない無駄な時間だったかもしれません。でも、そのときの僕が必死に悩んで考えて、そうして生き抜いて手に入れてくれたもの、出会えたもの、巡り合わせてくれたものが無数にあります。僕はそのひとつひとつを忘れたくありません。
だから、僕は空白の2年間に後悔はありません。その時間が今の自分を構成している大きなパーツであり、今もなお自分の中で生き続けていると信じています。もしいつか生まれ変わる機会があったとしても、そのときには今の自分と寸分違わない時間を過ごして、寸分違わない経験をして、そして寸分違わない全く同じ自分になりたいです。
さて、僕の学生としてのオリエンテーリングはもうすぐ終わりを迎えます。学生が終われば、僕の「NEW SEASON」も終わります。
その後釜っていうか後続で似たような競技日誌じみたものを書くとするならば、そのときはそれを「IN MY ORIENTEERING!!!!」って名付けようかなと思っています。
意味はそのまま「自分のオリエンテーリングに入り込め!!!!」、みたいな。英語はよくわからんですけど。「!」の数は適当です。強いて言えば半角四個が一番美しく感じたからとかじゃないですかね。デザインセンスは抜群なはずです。
とにかく、これは「自分にとってのオリエンテーリングに熱くあってくれ!!!!」っていう僕なりの全オリエンティアへの願いです。
この記事を読んでくださったどこかの誰かが、自分なりのオリエンテーリングを見つけてくれたら僕はこの上なく嬉しいです。…この上なく嬉しいので、その時は絶対に僕に「見つけたよ~」って伝えてくださいね!
それではまたいつか!
IN YOUR ORIENTEERING!!!!
あとがき
ここまで読んでくださりありがとうございます。
…よくここまで辿りつきましたね本当に。こんなクソ長いのに。本当にありがとうございます。感謝しかないです。コーヒー1杯とか奢ってあげたいです。
ここはあとがきです。ここに来てくれたあなたが本編を全部読み切ったという「てい」で話します。もしも全然読んでないけどなんかスクロールしてたらここまで来ちゃったよ…っていう方は一旦全部読んだことにしてください。あとがきを読み切るまでは戻らないでください。ですがわからないことがあってもそれはそれで自己責任です。そのあたりは僕にばれないようにお願いします。
さて、ここまで長々と僕という人間に関する話だけをさせてもらいました。僕の良いとこも悪いところも隠さず全部書いたつもりなので、僕をすごく好きになった人も、逆にすごく嫌いになった人もいると思います。ともかく、僕という人間の解像度が一気に上がったんじゃないかなって思います。その証拠にほら、なんだか今僕と直接お話しているみたいに感じませんか?…感じないならまあしゃーなしです。それならまたいつか直接お話しましょう。
この記事、タイトルで悩みました。note、編集画面だと文字数があんまり入らなそうで、しかも改行もできない仕様だったんですよね。なので短めの文字数でバンって決めるしかなくて。「僕とインカレスプリント」って書いた場合。僕が書きたかったことの本質はインカレスプリントそのものの話ではなく、インカレスプリントに至るまでのすべてを書きたかったのでこのタイトルはどうなんかなって思っていて。じゃあ「NEW SEASON出張編」とかにしたいなと思ってたんですけど、いきなり「NEW SEASON」とか言われても初めて見た人からしたら困惑しかねないですよね。なのでずっとタイトルのところに「NEW SEASON(仮)」って入れて書き進めていました。
それで、最後の方で「自分にとってのオリエンテーリングを見つけて欲しい」っていう部分の話を書いている時に考えたんです。僕にとってのオリエンテーリングって「インカレスプリント」だったな…って。じゃあ結局、「僕とインカレスプリント」は自分が書いていることにピッタリのタイトルじゃん…ってまた戻ってきました。僕にとってのオリエンテーリングが筑波大大会運営だったら「僕と筑波大大会運営」になってたと思いますし、飲み会だったら「僕と飲み会」になっていたと思います。
それで、よし決まったと思っていざプレビュー画面にしてみたら全然文字数入ったので「僕とインカレスプリント」も「NEW SEASON」もどっちも入れました。良かった。
ちなみにですが「SEASON.5」の小タイトルが「インカレスプリントと僕」と順序が逆になっています。これは、その時はまだ「インカレスプリントっていう出来事が先にあってそれに僕が巡り合う」っていう構図であったからです。書くべきインカレスプリントが二回あって困ったからとかではないです。なので、「SEASON.10」を除いて似たような小タイトルを付けた場所はすべて「○○と僕」と「僕」が後ろに来るようになっています。少しばかりのこだわりです。
これ、字数にすると約4万5千字あるらしいです。多いですね~。学部4年の冬に何やっているんだか。でも幸い僕には卒論の提出義務が無いので、これが卒論代わりみたいになりました。こんな卒論だったら何度書いてもいいですね。普通に一週間くらいかかったのでしばらくはやりたくありませんけどね。
で、なんですよ。ここからが大事です。
こんなに長くいろいろ書いて何が伝えたかったのかというと…結局よくわからないんです。いや、「わからない」って言うのは少し違くて。多分伝えたい相手によって伝えたいことが異なるから「これ!」って言うのが難しいんですよね。伝わってほしいことは本当にいっぱいあるので、全部大事だと思ったから全部書いちゃったんですけど…。いろいろあり過ぎるので、誰かにとっては必要な話であったとしても、それが別の誰かにとっては全く要らない話だったりしてしまうわけです。しかも異様に長いので途中で読み辞めちゃう人もまあまあいそうです。
そこでです。これを最後まで読破したあなたにこそお願いしたいことがあります。もしあなたのまわりにこの記事を必要としていそうな人がいたら、僕の代わりに届けてあげてほしいんです。この記事の「SEASON.○○読んでくれ」みたいな感じで。その人にとって大事な箇所を選んで贈ってあげてください。そうしてくれたら僕はとても嬉しいです。
本編にも書きましたが、僕は「きっかけ」を作ることしかできません。なのでこれを読んで何も変化しなかった人をどうにかして変えようとかは思いませんし、そんな権限は自分には無いと思っています。出会った「きっかけ」をどうするか、どうしたいかは本人の選択次第ですから。
ですが、「『きっかけ』が無い」っていうのは話が違う気がします。何にも出会えないまま何も変わらず苦しんでいる人がいるなら、それはどうにか救われてほしいです。だから、そういう人にどういう形かでこの記事が届いてくれたら嬉しいなって思うんです。その上で要らなかったら多分「これではなかった」っていうだけですし、必要だったなら万々歳です。
そんな感じで少しでも多くの人がこの記事を何かのきっかけにできたらなって思っています。僕は記者の役目を果たしたのであなたは配達の役目をお願いします。世界がオリエンテーリングを楽しめる人でいっぱいになるといいですね。
最後の最後に少しだけ弱音を吐かせていただきます。
これを書いている期間が4年目のミドルセレの後くらいで、ちょっとだけ心が切なくなっていました。4年目のミドルセレってなんかすごくて、深くは語らないんですけど少し寂しいこともいろいろあったりして、それで自分のオリエンテーリングの在り方がぶれそうだったんですよね。
自分ががんばることで誰かを苦しめてしまうことってあるんでしょうか。もしそういうことがあるのだとしたら、僕は…。
…ここまでにしておきます。僕自体は全然元気ですし既に持ち直しています。心配しないでください。僕はめちゃくちゃ強いので。
せっかく全部読んでくださったのに、少々後味の悪い思いをさせることになってしまいました。すみません。でも深く考えずに「人間センチメンタルになる時期もたまにはあるよね~」くらいに捉えておいてください。でも、もしも僕がいつか何かに打ちひしがれて苦しんでいるときがあったなら、そのときは僕のことを助けてやってくださいね。
そんな感じであとがきもこれで終わりになります。最後の最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
もし本編を読み終わっていなかったらお時間のある時にでも読んでみてくださいね。
それではまた。