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ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見て


※内容に触れています

ヴァイオレット・エヴァーガーデンの特別編集版と外伝を見た。

何も知らずに予告映像を見た時、それだけで少し泣いてしまったので気になって見た。どっちもラスト数分間はずっと泣いていた。外伝では日常的なシーンでもなんだか涙ぐんでしまったり、ストーリーが終わった後も泣いていた。

愉快な音楽の中で足元や作業だけが映る場面は、ジブリみたいでワクワクしたり、衣装や小道具、髪や瞳の色が映えていた。

映像が綺麗だというのを事前に見たけど、特に涙の作画が綺麗だと感じた。

『少佐の瞳があります』

これを言われた時の少佐の絶妙な表情変化が凄かった。

少佐は少しの場面しか出てこないのに存在感が強い。ギルベルト・ブーケンビリア、ヴァイオレット・エヴァーガーデンというフルネームが凄く綺麗。

あとは全てを通して、ヴァイオレットの手が義手であることに気づく瞬間が、関係性が変わるなんらかのきっかけになっていた。それを見て、目に見える傷跡があるからこそ気づいて貰えることについてまた考えてしまった。

手袋の下に金属の手を見た時、または振り払ったその手の硬さや体温の違いに気づいた時、それをきっかけとしてお客様となる人物のヴァイオレットに対する警戒や先入観が解けていた。例えば娘を亡くした作家、お母さんを取られたくない子供、妹と生き別れた女の子の「もう放っておいて」「なんでどうして」「貴方には分からない」、台詞にはなくともそういう行き場のない降り積もった感情が、ヴァイオレットの義手や孤児という境遇の吐露によって変わるきっかけになっている。

この物語に出てくる人達は良い人ばかりだった。
だけど唯一、イザベラが嫁いだ後も鳥籠に入れられているようで、結局彼女が言っていた「どこにも行けない」ようになっていたのが可哀想だった。

イザベラが「わたくし」という第一人称を使っていることで時間の経過を感じさせる。テイラーの手紙によってもう一度「エイミー」という名前を呼ばれ、第一人称が「僕」に戻った場面で凄い泣いてしまった。

ヴァイオレットの成長は誰かに対する感情の変化とともに描かれていた。病の母親が居なくなった後、お母さんのことが大好きな小さな子が屋敷に一人残されることについて泣いていた彼女や、イザベラやテイラーとの話の中でも、人の為に泣くことが「あいしてる」が分からないという彼女に人間味を持たせていた。

ヴァイオレットがテイラーに三つ編みを教える時、二本だと解けてしまうけど三本だと解けないのですよ、というようなことを言っていたけど、あれは離れ離れになってしまったイザベラとテイラーを、ヴァイオレットの存在が加わることによって手紙で繋ぎ合わせるということの暗示なのではないかと思った、、けど考えすぎかもしれない、

届かなくていい手紙などない、相手がこの世にもう居なかったとしても。


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