『ユキ』
私は、何者だっただろうか。
北の山は真っ白な雪に覆われ、きらきらと輝いていた。
私の目の前にはひとりの少年がいた。
「ユキ、寒くないの?」
ユキ。私はそう呼ばれていた。いつからそう呼ばれていたのかは、思い出せない。
少年は私を見かける度に声を掛けてきは、自分の首元に巻いてある布と同じようなものを私にも巻こうとしたりした。
「風邪引くから戻りなさい!ご飯できたよー!」
少し離れたところから大人の女の声がする。
「はあい。今行くー!ユキ、またね。」
少年は、この大人の女から呼ばれたり、迎えが来たりすると、いつも「またね」と言って去って行った。
私は、そのように呼ばれたり、迎えに来られることはないため、少年が去るといつも自由に歩き回った。
少年はことあるごとに私の前に現れた。
甘い匂いがするものが気になり、顔を近づけていた時もそうだった。
「おいこら!何をしている!この泥棒が!」
大人の男がいきなり木の棒を持って、私に向かってそう叫んできたところ、少年が駆けてやってきた。
「おじさん!やめて!ユキは泥棒じゃないよ!」
そう言って私の前に立った。
私はもう先ほどの甘い匂いがするものに興味が失せていた為、ぷいっと他の方向を向いて歩き出した。
「全く、今回は見逃してやるが、次に見つけたらタダじゃおかないからな。」
何やら大人の男はそう叫んでいた。
少年は、私の方にまた駆けてきて、
「ユキ、あそこにはもう近づいちゃダメだよ。木の実なら僕がとってきてあげるから。」
と言った。
そんなある日のこと、いつものように歩いていると、「うわあああ」と、大きな叫び声がした。
木の陰から覗いてみると、少年が狼のような犬に襲われそうになっていた。
私は、気付いた時には、走り出していた。
少年の前に立ち、狼のような犬を睨みつけた。
するとその獣は、私に飛びかかってきて、首にがぶりと噛みついた。
「ユキ!」
赤い血が、雪に滲んでいった。
だけども、私の後ろには少年がいたために、私は一歩も引くことが出来なかった。
少年は何やら泣き叫びながら逃げ出して行った。
私はほっとしたような気持ちがしたが、すぐに少年は戻ってきてまた泣き叫んでいた。
「おじさん!こっち!早くユキを助けて!死んじゃうよ!早く!」
「こ、この前タダじゃおかないと言っただろう!また近づいたのか!この犬は俺が番犬に置いておいたんだ!ほら!もういいから離しなさい!」
「ユキ!」
大人の男が犬を宥めたため、犬は私の首元から口を離した。
私は力尽きて、雪の上に倒れこんだ。赤い血が白い雪を染めていく。
「どうしよう....。僕のせいだ、僕が木の実を取ろうとしたから犬が襲ってきたんだ....。それを、それをユキが庇ったんだ...。僕のせいで...。」
___そうだ、私は誰だったか思い出した。
___私は、この北の山に住む、真っ白な毛をした一匹の「狐」であった。
「ごめん.....ごめんねユキ.....っ」
少年から抱きしめられた時、遠い昔に感じたことのある温もりを思い出した。
ああ、そういえば私にも昔、この少年を迎えに来る大人の女のような存在が、いたような気がする。
弱い者は守るのだと、遠い昔に私を庇ったその存在に教わった気がする。
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「...ユキ!ユキ!」
.....目を覚ますと、体の痛みが薄らいでいた。
側には、少年と大人の男がいた。
「はあ、良かったよ間に合って。血だらけの狐が運ばれてきた時はびっくりしたよ。僕は医者だから狐だって手当てするさ。」
ユキ。
それは、凍てつくような雪が降り積もる北の山に住み、その雪と同じように真っ白な毛をしたことから、少年に名付けられた名であった。
ひとりの少年と、ユキ。
___雪は、二人を見守るようにしんしんと降り続けるのであった。