繕っている自分、ありのままの自分。
こんばんは、Sukuuです。
今夜は「繕っている自分とありのままの自分」についてお話ししていきたいと思います。
まず、繕っている自分(つまり表面上見える自分)とは、表の性格であったり着ている服だったり、容姿など人から見えている自分のことですね。反対にありのままの自分というのは、もちろん人から見える自分がありのままだという方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでは「人から見えない部分の自分」のこと、つまり内面や表面上に出ない性格などのことをいうことにします。
定義したところでようやく本題に入りますね。たとえば、人から褒められることって大なり小なり皆様あるのではないでしょうか。「そのピアス可愛いね」だったり「今日の髪型キマってるね!」だったり、はたまた「君の〇〇な性格が素敵だよ」とか「君がこう言ってくれて救われた!ありがとう!」など。これってどの自分を褒められているでしょうか。
そうです、「繕っている自分」なんです。
もちろんこうして褒められれば、うれしいと感じます。自分のことをちょっぴり好きになれるかもしれません。
でも、もしかしたら人によってはちょっぴり苦しさを感じる人もいるかもしれません。実は私もうれしさの反面、苦しさのようのものを感じる側の人間です。それは何故なのでしょうか。
たとえば、とても元の性格は根暗なのに外ではとても明るく振る舞う人がいるとします。「〇〇っていつも明るいよね!一緒にいて楽しい!」と褒められました。そうすると、〇〇さんはこう思うのではないでしょうか。「明るい私と一緒にいて楽しいと言ってくれた。うれしい。でも、本当の根暗な私は認めてもらえないに違いない」などと。
つまり、繕っている自分とありのままの自分が地続きではない人(ギャップのある人と言ってもいいかもしれない)は、人から褒められるとうれしい反面苦しさも感じることがあるということです。「本当の私は、あなたから褒められるような私じゃないもの」というわけですね。
『やがて君になる』という漫画のヒロインは、人から「好き」と言われることを極度に恐れます。あなたが好きだと言っている私は繕っている私だから、というわけです。
私の場合、これが顕著に出ます。トランスジェンダーである私は、心の性と身体の性に乖離がある状態です。見た目を男性に近づけられるよう、髪型や服装、話し方や声のトーンに気をつけて生活しています(友人といるとはしゃいでしまって声のトーンどこいった…となることもままありますが)。そうして気をつけていることを褒められたり、単に外見や内面を褒められたりすることはうれしいです。ただ、そこで思ってしまうことがあります。「本当の私はそんな人間ではない。私は完全な男性にはどうしてもなれない、欠けている人間だから」と。
そこからくる諦念のようなものに、私という人間は大きく支配されているような気がしています。だからこそ、思うのです。ありのままの自分、すなわち「欠けているこの私」を認めて愛してくれる人に出逢えたら、私は真の意味で救われるのではないかと。
もしかしたらもう出逢っていて私が心に鍵をかけているだけかもしれませんし、どうすればありのままの自分を認めてくれたことになるのかわかっていないのかもしれません。いずれにせよ、まだその状態には至っていません。
そうして救われたときにこそ、私は本当に自分を好きになることが出来るのではないか、と思っています。
最後は私の個人的な話になりましたが、少しでも参考になる部分があれば幸いです。多少ネガティブな部分をお持ちの方なら当てはまる方もいるのではないか、というようなお話でした。おやすみなさい。