大切なことを言葉にしようとすると、時間がかかる話。
こんばんは、Sukuuです。
今夜は、「大切なことを言葉にしようとすると、時間がかかってしまう」という私の性質についてお話ししていきたいと思います。これはもしかしたら当てはまる方も多いのではないかと思うのですが、どうしてそうなったかというところも含めて少し紐解いていければと思います。
突然ですが、私は高校時代に現国の先生に傾倒していました。その中でも私の心に響いたのは、その先生が解説する夏目漱石の『こころ』でした。登場人物のひとりである「K」は人類救済を志す青年なのですが、そこで私はこう思いました。
自分は言葉で人類を救済したい、と。
そうして私は大学の志望学部を文学部にしたわけです(ことごとく落ちましたが)。結局文学部には進学出来なかったものの、それと親和性のある学部・学科には進学することが出来ました。
私の思う「言葉で人類を救済する」ことを簡単に言い換えると、「言葉で誰かをすくう」ということになります。皆さんも経験があるのではないでしょうか、誰かの言葉にすくわれた経験が。
そんなことを自分のテーマとして生きてきた私は、人一倍言葉に気を遣うようになりました。また、しっかり考えてから自分の考えを発するようになりました。だからどうしても時間がかかってしまう。それでも、その場の会話のテンポって本当に場合によりますよね。私の言葉を待ってくれる人もいれば、どんどん先に進んでしまうこともある。
少し脱線しますが、私の好きなタイプを発表したいと思います。(突然ですみません。関係ある話だったもので)。それは「歩くはやさが同じ人」と「私の言葉をゆっくり待ってくれる人」です。どちらにも共通して言えることは、別に本当に歩くスピードがぴったり合うとか会話のテンポが同じかどうかが大切なのではなく、歩くはやさを合わせてくれたり言葉を待って会話をしてくれたりするような、そんな気遣いの出来る人が好きなのだということです。これは恋人に限らず、友人・知人にも言えることですね。
2日続けて、私のコアにあるような話をしてきました。文章でなら、泣きそうになることなく(笑)大切な部分も話すことが出来るのだなと思いました。こういう話をもっと誰かと直接出来ればいいなと思いながら、就寝します。おやすみなさい。