I'll be by your side.
(※現在2021年12月。就職するよりも前なので、おそらく一昨年書いた下書きです。今の自分はこんな風には思わない、という部分もあるけど…過去にこんな自分もいたのかと思い公開してみます)
生きてるだけで、せいいっぱい。それが現状。誰かのことなんて考える余裕もない。
何をしても続かないし、続ける気力がない。部活に入るみたいに一旦レールの上にのってしまえばずっとそのままで居ることは出来るけど、新卒入社というレールから外れた自分に、もう辿り着ける駅はない。何か技術を身につけて就職と思ってデザインの学校に入ったけれど、週2だから続いたものの解ったことは自分はデザイナーに向いていないということだった。
ではどうするか。どうやって自分で生活していくのか。心に様々なものを抱えたままで。資格を取って働こうかな。そうすると働き始めるのは夏になる。それまではじゃあどうするのか。ひとまずもう1つアルバイトかな。でも毎日ちゃんと働けるのか。こうして何者にもなれないままずっと、死んだ心で生きていくのか。それとも、いっそ生を絶つ勇気が出るのかな。
誰かに縋りたい。今、誰かと深く心で繋がりたい。いつも思う。きっと誰かに心を明け渡したら、自分の中の「本当」を全て話したら、涙が溢れて止まらなくなるだろう。でもいつも求めている。ボロボロ泣いてそんな姿を晒しても、そばに居てくれる誰かを。せめて誰かの肩に頭を預けて、傷だらけの心を癒したい。大学に通えなかったのは甘えていたからだとずっと自分を責めていたけど、もしかしたら、いや多分それだけではなかった。心の病だとわかって、少しほっとした。戸籍上のものとは違う性自認を持ち自分とは何なのかと葛藤していた頃、性同一性障害という名が与えられたように。
「大丈夫」「あなたは悪くない」「生きているだけで充分だよ」と言ってもらえる、それだけでひとは救われる。溺れていた場所から、掬われる。きっと誰しも本当に自分を解ってくれる人を、心のどこかで求めている。
高校時代、言葉で人を救いたいと思っていた。何かものを書く仕事がそれにあたるのだと思っていた。でもきっと「大丈夫」と一言口にするだけでそれは達成されるのかもしれない。どんな真理に迫った言葉よりもたったその一言が、誰かに肩を貸すというそれだけが、ひとの心をすくうのかもしれない。自分が深い海の底にいるような状態で、と笑ってしまいもするけれど。
誰かのことなんて考える余裕もないのに誰かを救いたくて、誰かのことなんて考える余裕もないのに「誰か」を求めてしまう。