「審判から」指導する、「審判と」を指導する。
サッカーの指導者をしていると、審判の割り当てには逃げても、逃げても、逃げ切れない。
監督やトップコーチならまだしも、駆け出しコーチにとっては逃げることのできない仕事だろう。
指導に比べて、審判はしんどいし、辛い。
走るし、ミスすれば文句を言われるし、高い講習料と登録費を払わなくてはいけない。
そんなコーチたちに伝えたい。審判からも育成に携われると。
試合は選手、コーチ、観客、そして審判で作り上げるもの
なんとなく、言われて「まあ、そうやな」くらいでしょ?
でも、この考えに反して、審判はいないぐらいに感じられる方が良いと言われる。
皆、納得のジャッジ→気にならない
こういうことだろう。プロレベルになればこれで良いかもしれない。
でも4種、3種は違うと声を大にして言いたい。
もっと存在感を出せ、選手と喋れ!!!
従う教育、学ぶ教育
日本でサッカーをしていると、審判に対して文句を言うか、審判には絶対服従のチームに二分されると思う。
審判にコーチも子どもも
「おい!なんでだよ!」「どこみてんねん!」
何度も聞いた。聞き飽きた。
逆に、子どもが文句を言うと、コーチが
「文句言うな!次言ったら交代させるぞ!」
これもよくある。
僕は言いたい。指導者の皆さん、子どもたちに審判とはコミュニケーションをとれと伝えてほしい。
ちょっとした合間でいい。
プレーが止まっているとき、ハーフタイム、試合後、
「あのプレー、どこをファールとしてとったんですか?」
「今のは脚かかってないと思うけど、当たってました?」
「今のはどういうこと?」
こうやって取り組むだけで、サッカーのルールに対する知識もつく、子どもたちが大人と会話をする力もつく、試合の中で自チームに有利になるように働きかけるようになる糸口になる。
審判とはコミュニケーションをとる能力は重要だと、日本は身をもって知っているはずだ。
2004年のアジアカップ、PK戦の途中で足場の悪さかからサイド変更を求めた宮本恒靖を知らないはずがない。
これには彼の英語能力も加味しているが、前提には確かなコミュニケーションがある。
指導者が審判としてできること
最初に僕は、
もっと存在感を出せ、選手と喋れ!!!
と、伝えた。
では、審判としてできることは何か。
それは文句を言われたときに、釈然とジャッジを簡単で良いから説明してあげることだと思う。可能であれば試合中に、試合の終わりにベンチに帰る際でも良いと思う。
まだまだ経験の浅い4種や3種の選手が全てを理解しているわけがない。きちんと伝える、それが求められていることだと思う。
僕はずっとこう思って審判活動をしている。
無意味に文句を言ったり、言われたり
無意味に従ったり、従わせたり
そんな無駄なことはやめよう。
日本サッカーの新常識として、審判からできることを。