号泣。

ここで書くことじゃないっていうか。

皆にちゃんと伝えろよって話なんだけどさ。

追悼集会に参加できることになりました。

連絡来たときに今までで1番泣いてしまった。

今からコレでは先が知れる。

なんでなのかよく分かんないんだけど、その場に自分が立ち会うことの重さっていうのかな?

それが現実のものとしてズシッときて。

追悼集会の話があったとき、周りは「でもそこに参加することは現実を突き付けられることと同義だから立てる自信が無い」て話していて。

それも理解できるとは思いつつも、私個人の中にはそういう感情ってほとんど無かったのよ。

ていうのも、それ以上に残されたメンバーの心に寄り添って支えたい守りたいって感情のほうが勝っていて「自分の気持ちがどうであろうと私が今1番発信したいのはそれだけ」て自分自身の傷のことなんて後回しな感覚になってたの。

ちょっと自分の感情に鈍かったというか。

でもいざ追悼集会に参加が確定したら、途端に(いや…よりにもよって私にそれが務まるか?)て完全に不安になってしまっている。

周りは「彼に着いてきて此処まで来た琥珀さんが参加できることになったのは良かった」と、口を揃えて言ってくれるんだけど。

ああ…んん…何が言いたいのかはわかる。

でも今更になって私自身は尻込みしてる。

私、当日ちゃんと自分の感情に溺れることなくメンバーに伝えたいこと伝えてこれるのかな?

参加を決めたのは自分の心の整理のためという目的もあるけど、メンバーにこれからも一緒に居たいって気持ちを伝えたいのが1番あって。

それに今回のことで活動休止とかは絶対にしてほしくないって願いを叶えてくれたことの感謝も伝えたい、彼のせいで全てが終わったなんて結末には絶対にしたくなかったから。

でも伝えるためにはメンバーと向き合えないといけないわけだけど、そういうの考えると逆に私には尚更に無理だったんじゃないのかって。

だって故人に思い入れが深すぎるし。

彼がその場に居ないことを目の当たりにしても自分の感傷に浸ることなく、メンバーを見れるほどの余裕を持てる要素が私には無くないか?

なんていうかさ。

故人を軽んじているという意味ではなく。

死別の場面において何を1番に大事に扱うべきなのかについて、私は「遺された人達」だと考えているんだよね。

こんな言い方するのもなんだけど。

もう此処には居ない人の感情を思いやるより、此処に遺されて故人が居ない世界をこれからも生きていかなければいけない人達のほうが重いものを背負うものだよねって考えていて。

その思想は昔、親戚のお葬式に参列したときにお坊さんの説法でそういう話をされたことで。

通夜、葬儀、初七日、四十九日とか、仏教では故人を段階的に弔うという風習があるでしょ?

それは実のところ、遺された人達が心の整理を少しずつしながら自分の人生を生きていくためにあるもので「きっと今頃は故人も三途の川を渡ったんだろうな」と思いを馳せながら見送り自分は自分の人生に立ち返るためにあるって。

例えば旅立つ人を駅のホームで見送り、その姿が見えなくなると私達は寂しさを抱えながらも自分の家に帰って自分の生活に戻るでしょう。

旅立った人の先の幸を祈りながら、自分は自分の人生を生きていくことを受け入れていって。

また再会する「いずれ」の日を夢見て過ごす。

しかしそれが「死別」となると「旅立った人の先の幸」て私達には祈りようもないというかさ、死後の世界を見たことがあるわけもなくてさ。

遺された人達の感情に行く先は無いもの。

そのための宗教観で、そのための儀式で。

遺された人達が「見送った」と思うために。

どうか囚われずに先にある生を見なさい。

そのためにこの儀式は執り行われるもの。

そんな話をされたんだよね。

そのときに(無になった人の感情なんて想像することしかできなくて際限の無いこと…その空虚から遺された人達が抜け出すためにあるもの…ていう解釈は優しくて人間的だな)と思った。

お坊さんはもっと上手に伝えていたけど、内容はそんな感じの宗教家らしくない感情論の処世術で私にはすごく納得できたんだよね。

だからその価値観は自分の中に根強くあって。

大切な人を亡くした後、故人が居ない日々って「今も変わらず居てくれたらどうだっただろう」て想像する日々になるものじゃない?

でも居ないものは居ない、居ないなりの人生を歩んでいくしか遺された人達に選択肢は無くて頭では理解してても感情はついていかなくて。

そこにある感情の全てを否定しない。

けど私達には私達の人生があって、嘆くだけの日々を受け入れて何か実るものがあるでもないこともまた認めていかなければならないから。

だから今はメンバーを支えたい。

それが今は1番必要なことで、私の望むこと。

…って思ったんだけど…

この期に及んで「私もまた彼らと同じで此処に遺された側の人なんだ」てことを痛感してる。

「見送る」という儀式を通して慰められるべき人であり自分の人生に帰らなければならない人。

傷付いてないわけがない。

私が、傷付いてないわけがない。

それは自分でもわかっていたんだよ。

自他共に認める「故人が居たからこそ此処まで一緒に着いてきた人」が私で、失ったことから得た傷が浅いわけなんてないということは自覚をしていたんだけど。

逆にとんでもなく深いからこそ鈍くなっていることにも自覚があったから、今ならメンバーを支えるところまでは持ち堪えれるはずだって。

見立てが甘かった。

追悼集会には他の仲間も参列予定だったの。

いかんせん人数制限があるから、当初は周りは「なるべく故人と近しい人に参列してほしい」て遠慮しようとしてくれてたんだけど。

私のほうから「でも遺されたメンバーの支えも必要だって側面もあるし遠慮は無しでいこう」て話して、それならと都合がつく仲間達は全員が参列を予定していたんだけど。

人数制限に引っかかって、たぶん希望者のうち参列できるの30分の1もあるかどうかくらい。

私そんなに交友広いほうじゃないから体感的にそんな感じだけど、もっと交友広い友達いわく「そんなもんじゃなさそう」ていう状況らしく。

なんかそれ聞いて途端に不安になってきて…

幸いにして仲良い友達が1人参列できることになったけど、いつものイベントとは意味が違うから(いつものメンツで揃って行けないの怖い)て感じるようになってしまって。

私、ちゃんと立っていられるだろうか?

いつものメンツに支えられることなく。

メンバーを支えることはできるのか?

私には無理じゃないのか。

よりにもよって、私には。

故人を見つめずに、メンバーを見つめられる?

故人が居ない場を見て泣き崩れずにいられる?

当初は「たとえ1人で参列することになっても私は伝えたいこと伝えてくるんだ」て息巻いてた、それが途端に「自分の感情をよそにしてメンバーと向き合える気がしない」になっちゃって。

鈍っているだけだ、という自覚はあったけど。

今この最悪なタイミングで傷口開かなくていいじゃないかと、この想いを伝え終わるまで私は私自身とは向き合いたくなかったのに。

上っ面だけでも「私のことは大丈夫だからいい」と言える状態で臨める自信があったから、何の迷いもなく参列を決めたのに何でこうなった。

「参列は出来なくても当日に現地には行くから」と言ってくれてる友達に、恥を偲んで「たぶん私は登園拒否する幼稚園児みたいになるから当時は無理矢理に放り込んでくれ」て頼んだ。

当日どんな心持ちで迎えるのだろうか。

…どころの話ではなく、もはや明日の過ごし方すらも分からなくなってる私がメンバーのことを気遣えるほどのエネルギーを持ち込める気がしなさすぎて吐きそう。

踏ん張らねば。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?