生き急ぐ。
今週末はなかなかにやりたいことをやれた。
…というのに寝付けない。
日曜の夜に寝付けないのはいつものことなんだけど、今回はちょっと理由が違っていて頭の中から「やり残したこと」が離れないんだよね。
炒めようと思って買った小松菜とかすらも(笑)
(アレやりたかったのに出来なかったな)てことが意識から離れなくて落ち着かない、なんか私すごい生き急いでるなーって感じちゃった。
先日、バイタリティの話をしたけど私が友達の行動力を褒めると何て言われるのかっていうと「生き急いでるだけなんだよ」て言われるのよ。
遠征して精力的にイベント参加してるし、強度の高いパフォーマンスなんかもするから体力的な面のことを言ってるんだと解釈して聞いてて(それは謙遜だな)と思っていたんだけど。
もしかしたら、こういうことなのかなぁ…?
やりたいことがありすぎる、着手すらしてない状況だと自分が落ち着かなくて居ても立ってもいられないから穏やかな時間を過ごすためにはやるしかないんだって感覚の話をしてたのかもしれないなーって。
もしそうだとしたら、今の私にはよくわかる。
選手達とか見てて「生き急ぐなかれ」て思うの、まして怪我なんてしたときには尚更で私達は口を揃えて「ゆっくり療養を」て言うじゃない?
まあそれくらいしか掛ける言葉も無いし、そうしてほしいって想いに嘘は無いんだけど選手達の心情を汲んであげれてない言葉だったかなと少し反省してしまっている。
まあでもやっぱり、怪我したときには治すことに全身全霊を注がないと他のことなんて何にも始められないし進められないから。
結局は今後も同じ言葉をかけていくんだけど、でもきっとその言葉は届かないといいますか。
あまり優しい言葉ではないのかもなって。
試合後なのにシュート練習しちゃう気持ちとかそういうの、ただの「熱心」「真面目」の現れではないのかもしれなかったよね…と思うと今の私には心臓がキュッとなるぞ。
「やりたい」とか「やらなければ」ていう思いに、「突き動かされる」というのは前に押される感覚がするけど心情的にどうなのかっていうとさ。
落ち着かないね、気が気ではいられない。
でも休まないといけないじゃない?
その歯痒さたるや。
身体を休めることを軽んじたところで、その分どんどん前進していけるわけではないってことは理解はしてるんだけど。
自分の気持ちを宥めるためには倒れるまでやるしかない、もうこれ以上は身体も無理だし意識も保たないってくらいやらないと自分自身の気が済まなくて休めもしない。
それって苦しいよねぇ。
なんて思った。
明日は明日でやるべきことがあるから、それを考えると休まなければならないんだけどねぇ?
でも「だからこそ今この時間はそれどころじゃないだろう?明日は他のことをやるんだろ?今やらないといけないだろう?」とザワザワする感覚に襲われていて、友達が言っていたことがコレのことだとしたら。
なんか私その気持ちを全く理解できてなさすぎていたことがものすごく申し訳なかったなぁ…
ヤキモキさせたりしてただろうか?
気を付けよう。
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