子どもと関わると楽しい
女性専用車だからと堂々と尻垂れてきてんなーと尻触ってたら、女性専用時間終わってて男性が車両にいた今日この頃。
めっちゃ忙しくて寝不足で心臓ドギドギバクバク命削ってるってなってても、子どもに算数を教えている時は全然苦じゃなかった。
算数の計算式を立てることや繰り下がりやくり上がりが苦手な子どもさん。
今まで塾で見てきた子どもさんと違って、発達に問題がある方だった。
出方も教科も全くノウハウがない状態で挑んだのだが、子どもさんがモノを買う時のお金の計算は楽しそうに取り組んでいるのを見て、ボランティアだとか眠気とかが飛んでいるのがわかった。
こだわりとか理解力のなさ、仕事を効率的にできないのを日々実感して、社会適合への自信をどんどん無くしていく。
バイトでもそうだった。
作業の見立てがついていないのに人に聞かず自分でやり抜こうとする、効率よりも自分が心地よくやりやすいやり方を優先する、仕事のできない典型例だろう。
なのに学歴があるから、できると見立てられ、失望されるのが日に日にましてつらかった。
だから趣味と創作に逃げた、自分の好き勝手が許される世界。
適性はおいといて、楽しみながらできる創作を、いつか仕事にしたい。
効率よりも、思いやりや熱意が評価される世界、私はやはり教師なのだろうか。
もう定職を諦めて、塾講師と家庭教師をしながら創作をし続けるというのも良いかもしれない。
直に子どもと関わることで、
社会で挑戦して打ちのめされたいという気持ちと、社会不適合者として教員の世界でサビ残業万歳で生きていくかでぐるぐる回っている。
資格のために勉強してきたわけではないのだが、大学院にいってまで教師にならないとは、東大入って芸人になった人間と一緒なのかと今更気づく。
積み上げてきたものを捨てるときは潔く、逃げ場をなくせ。
定期的に私が一番したいことは創作なのだと再確認しないとブレる。
創作を通して子どもと関わることを考えよう。
働きたくないと思うのもきっと衣食住に事足りているからだろう。
そろそろ家を追い出された方がよいか。
基本テレビを見ながら文字を綴ると思考が散らばるのがよくわかる更新だ。
ツイートの連続のようなことをやったって、成長しないのだから、もっとこのnoteの向き合い方も戦略を組まなければ。
小説書け!!
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