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恥ずかしい
自分の家庭の太さを利用して、お金を支援していただいて勉強していることが恥ずかしいと、時たま思ってしまう。
自分で選んだ道なのだが、周りは一生懸命働いているのに私は社会に何も還元せずに趣味に没頭し生きていることが恥ずかしい。
周りと二年遅れてもいいの?と散々くぎに刺されたことなのに。
結局自分を貫く辛さを知らなかった、人生の先輩がいうことはいつも正しい。しかし逆らってしまう。反抗期の癖が抜けない、未熟さ。
弱い。生き方を比較し、卑下してしまう。
こうやって自分を蔑むことも、他人から責められる前の先行防衛にすぎないのだから。
オープンに生きていると見せかけて、学費も仕送りも負担させていることや、勉強も就活もろくに身に入らず、旅行をしていること、自分の醜さを晒さない。多分周りにばれているから、信頼してくれていた人も、そろそろ寄り付かなくなるのだ。
やることなすこと、独りで自己管理できない。
唯一今貫いているのは、毎日このnoteに脳内の感情を書き起こしていくことだけだ。醜さを世界の誰かにさらけ出して楽になろうとしている、ここは教会の一角の懺悔室なのだ。
何事も行動を起こさないと変わらないのだが、今は、行動を起こす前にため込んでいることが多すぎてどうすればいいのか、わからない。
だからやるのが簡単で誰にも迷惑のかけない楽しいお笑いに逃げてしまう。楽しいはずなのに、浪費した時間が私を苦しませる。
趣味も苦しいだなんてどう生きていけばよいのか。
思うに、推しごとも自分で堂々とするには、やはり職で稼いでいる必要がある。時間がただあるやつが趣味に関して堂々と没頭して許されるのは、生み出す趣味だけだ。最近は消費する趣味ばかりだ。消費する趣味を堂々と見せびらかすのは恥ずかしい。
逃避癖のある人間は、社会的に評価されるものを生み出すことで精神が安定するらしい。
きっと、勉強も就活も一直線になるのは無理だ。
自分のためにも、未来の読者のためにも創作に、力を入れる。
自分の価値を信じて、生み出さなければ。