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フィードバック「観察する私」

夏休みに三日間の集中講義を行った。今日は二か月ぶりにあったメンバーと授業後の自分の変化について共有するフィードバックだった。

この授業では、他者と交わって行動する自分、反応する自分、行動しない自分を徹底的に俯瞰して分析をした。
この複数人の間で何が起きたのか、自分にはどんな感情が湧いていたのかを探った先には、自分が何なのかと、根源にして最も難しい問いが待ち受けている。
最も難しいとする理由は、今の段階でこうだと思って自分を結論づけるにはまだ自分のことがわかっていないように思えるが、結局行動を起こした場面に出てくる自分をみて初めて気づく自分があるのだから、考えるのをどこかで切り上げて、何かに所属し、また自分を見つけるきっかけを探す……と、自分のことなのに、自分の分析に自信が持てない限りは、自分がわからないままなのだ。

私は、ここで今迷っている。
自分に向き合っている、過去の自分を見ている、過去の自分からの承認も得た。ようやく未来に進める。でも未来どうしよう。

自信なく迷っている時間は永遠に続くなら、さっさと職業をとって、自信をつけるために成功体験を積むのか、
迷い続けるのは知識が足りないと自覚しているからであって、就きたい職業や自分のやりたいことはようやく今年明確になったのだから、職と自分の心のために知識をつける、自信をつけるためにもう一年をすごすのか。


「自信がない」というのが、命題だった。

私は自己承認が得られなくて、他者承認で補おうとしている。だから弱い他者を依存させてしまいたいと思う自分がいる。

アイデンティティを確認し、未来に進んだグループのメンバーと、進んでいない自分を比較し落ち込んでいるときに、ふと先生が依存にさせないためにはの対処法を語った。
依存にならないためには、相手に、相手自身では気づかない良いところを指摘する。
「それいいじゃん」「それできてるじゃん」と。
反復していけば、成功体験を自分で再現できるようになる。
(成功体験はどのような場所や、どのような人とともに生み出されたのか、感情だけでなく状況を細かく分析していくと、さらに反復しやすくなる。)自分一人の力で何度も成功体験を積んでいけば、他者に依存せずに自分に自信を持つことができる。

依存に対する解決策を聞いて、感動する自分がいた。
他者承認を優先する自分に対する対処法の一つを得たのだ。

逆に言えば、依存をさせたい、そして依存したい自信のない私への対処法でもあった。
私が私をみるだけでは気づけない、私のいいところは、他人に教えてもらえばいいじゃないか。

先生は、教育ボランティアをする私を見て、
・困っている人がいると、イキイキして、積極的に近づいていくよね。
・一人だとおとなしいけど、二人でチーム組んで取り組むと、うまくいくよね。人間関係の調整がうまい、他者といるときの自分の調節がうまいんだろうね
と評してくれた。

一緒に授業を受けたメンバーからも、私のいいところを聞いてみた。
・落ち着いている。押し付ける感じじゃなくて、底からじわじわとやってきて、寄り添ってくれる感じがする。
・目がいい。自分が話しているときに、おっきな瞳でじっと見つめてくれている感じ。話を聞いてくれていると思えるから、安心して話せる。
・ちゃんと観察してくれている、見てくれていると思う。ここにいていいんだという安心感を与えてくれる。
・無意識のまま加害する男性メンバーに対して、
最近友達のパワハラ上司をたくさん分析しているのもあって、加害する人の典型である、自分ではなく上からの承認で自己承認を満たそうとする言動を発したのに苛立ち(生徒に加害する自分から変わる気がないだろと思ったから)、「大学の先生のために自分を変えるんですか?変わるのは自分ですよね」と、加害をするような苦手な相手にも向き合い、相手を変えようと芯をつく叱責を、傷つく被害者のためを思って、臆せずできる。発言は相手に最も響いていた、つまり私には目の前の他者に向き合う力がある。

これは自分ではわからない私だった。どうやら今日の検査の結果にでているように、自分は「観察の人間」として良さを発揮していたみたいだった。
他者からの求めを自分が利用していると思っていたが、自分が他者によくするのは、自分のためだけではなく、相手の心の落ち着きのためにも貢献していることがわかった。
ここまで分析すると、他者の前で活躍する自分は「自分できるやん」と認めることができる。
自分の肩書は少なくても、人脈があるのは自分の功績なのではないか。

もう一つ感動したこと。
じゃあなんで私が他者の調整がうまいのか、他者に安心を与えることができるのか、弱者の前でイキイキするのか。
この性質は、親の影響や今までの経験によって培われたのではなく、どうやら四親等前までの遺伝子の影響があると、心理学の先生が言っていた。

四親等前、ひいおじいちゃん。
私のひいおじいちゃんは親族で最も尊敬する人、あの八月六日から広島で戦った、原爆症医だったのだ。
世界の不条理を目の当たりにして自身も混乱していただろう。しかし、医者として弱者を見捨てず、イギリスから来た記者にも冷静で英語で語りかけ、「ここに居続けるなら命の保証はない」と被爆者の怒りを代弁した強い人。
アメリカに禁じられても、今後の医学の発展のために原爆症論文を書いた、日本初の原爆症博士号取得者。

この人の遺伝子の影響があるのかと、自分の中で重なったとき、自然と涙であふれていた。




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