vol.2
一時的な麻酔のつもりで映画をつける。
画面の中でうさぎがスプーンでわらをすくって口に入れる。お腹に穴が空いているので、そこからわらが出てきてしまう。机から安全ピンを取り出し、自分でお腹を留めた。
どうしてこんなにも世界は生きづらいのだろうか、とまた同じことで頭を悩ませる。
昨日会社のお局から説教をくらった。内容は「わたしがあなたの年齢の時は結婚して子どもがいて家も買っていた、あなたは恥ずかしい、もっとしっかりするべきだ」という話だった。わたしはいくつになっても、どこの職場に行っても上司から説教を受けてしまう。ストレスのはけ口にしやすいのだろうか。わたしが常ににこにこして危うくて気が弱そうだからなのだろうか。こういう時にあぁ、わたしは恥ずかしい存在なのだな、わたしは不良品で落ちこぼれでポンコツでどうしようもないやつなんだな、と思い深く落ち込む…が、昨日に関しては冷静に思い悩んでいた。わたしみたいなやつでも、成人してからはどこかしらで毎日働いて、就職もして家を出てどうにか自分のお金だけでやりくりしてきた。仕事に関しても、常に最善を尽くし努力していて──能力はないかもしれないが──恥ずかしくないはずだ。少なくともわたしはわたし自身のことを恥ずかしくないと思いたいし、認めてあげたい。
たどり着く先はいつも、狭いコミニュティの中で否定され続けると相手に言われたことに対してそれが真実なのではないか?それが全てなのではないか?と思うが、実は世界はとても広く自分の居場所なんて無限に探すことができる、ということだ。
そうだ世界にはたくさんの種類の人間がいて、恥ずかしい人間なんて一人たりともいないはずだ。というか、恥ずかしいの基準なんてその人の個人的な考えであるし、宇宙から考えたら本当にくだらなくどうでもいいことである。そしてむしろ、他人に「あなたは恥ずかしい」と伝えてくることは何も意味を持たないことであり、恥ずかしい行為であるとわたしは思う。
わたしはわたしの人生がある。大好きな恋人や友達もいるし、自分の世界がある。わたしの周りにいる人たちはみんなわたしの誇りだし、素晴らしい人たちだ。そしてその人たちと一緒に過ごすことは、わたしが選んだことだ。職場だって自分で探せば他にいくらでも居場所は見つけられるはずだ。
いつだってわたしは自由だ。
立ち上がると、わたしは自分の心臓のぽっかりとくり抜かれたハート型の空洞に安全ピンを留めた。
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